幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

第四章/幽客は何処に咲く_01

陽光の届かない地下では、蛍光灯が冷えたコンクリートのトンネルを照らしている。
トンネルを貫いて走る大型の金属パイプは、緩やかな弧を描いて同じ場所に戻ってくる。
それは円形加速器。ただし、加速させるのは通常の粒子ではない。

『231日目。ディアボロスタロットコピーの弱毒化実験、第19回目を開始する』

固定されたカメラに話しかけるのは、若き男性研究者。フレームインしてきた女性が、持ってきた白衣を弾性に羽織らせながら語る。

「基材はレグザリオから提供された『正義』のコピー。理論が正しければ、弱毒化されたディアボロスタロットが生成されるはず」

言い終わると、女性はカメラをフロアに向けた。
カメラが捉えたのは、施設を走る加速器に接続されたハイテク機材と、研究員達の姿。先ほどカメラに喋っていた男性も、その輪に加わっていた。
装置の開口部に科学文明にはそぐわないオカルトめいたタロットカードを投入すると、周囲の研究員が加速器を稼働させた。かつてこの地を駆けたカウボーイが振り回す投げ縄のような風切り音は、やがて低い唸りからモスキートノイズになり、可聴音域を外れる。
今や加速を示すのは、回転数と角速度を示す数字のみ。その数字が規定値に達したのを確認した男性が、もう一度指示を出す。

「基材投入開始。粒子衝突までテンカウント」

遮蔽された金属パイプの中で、加速された霊的粒子が不可視の輪を描く。機械式の静かなカウントダウンタイマーがゼロの数字を七つ並べた時、粒子の軌道とタロットカードが重なった。
衝突。
そして、施設を震わせていた微弱な振動が止む。

『励起状態良好。呪式レベル安定。基材『正義』の性質変異を確認。弱毒化タロットの生成に成功しました』

アナウンスと共に拍手があふれる。しかし、安堵もつかの間、研究員達は変異したディアボロスタロットの性質を記録すべく、仕事に戻っていく。

「おめでとう、ヨアン。素晴らしい成果ね」

カメラの前に戻った男性研究者・ヨアンに、女性は一輪の蘭の花を差し出す。花を受け取ったヨアンは、手元のマグカップに花を活けて彼女に返した。

「ここはまだスモールサクセスだ。祝うには早い」

「婚約者とふたりきりの時くらい、笑顔を見せて喜んだら?」

女性は、渋面を浮かべるヨアンの隣に寄り添うと、コーヒーを啜って眼下の研究者達を眺める。ヨアンは口角をわずかに釣り上げて、再び研究フロアへ戻っていった。

「……ソフィア、今は仕事中だよ」

       *

次にカメラが捉えたのは、四方をガラスで覆った小部屋だった。周囲を研究者達が取り囲み、実験の開始を待っている。

『これより、人工ダエモニア『ワンドエース』を用いたダエモニア消滅実験を開始する』

不意にフレームインしたヨアンは、強張った面持ちで要件だけを告げ、正立方体のガラス箱に安置された男に黙礼する。

「彼は『悪魔』のダエモニアに罹患し、その余命を我々の実験に捧げることに同意してくれた。尊い被験体に感謝を」

研究者達はそれぞれに頭を垂れて黙礼する。その後、呪詛の紋様がびっしりと刻印された純銀製の箱を、隔離されたブースへ投入した。
厳封された箱の中身は、生成された『正義』のディアボロスタロット『ワンドエース』。人間の制御を受け入れるよう、無数の呪詛言語によってプログラミングされていた。

「『正義』と『悪魔』の形質は、互いを潰し合う。『ワンドエース』であれば、被験体の『悪魔』を相殺することが可能かもしれない」

ヨアンが説明した、ダエモニアの相殺仮説。ダエモニア患者へ、真逆の性質を持つダエモニアを投与するという、実験が始まった。

「結界隔壁始動。ブース可視レベルをアストラルクスへ変更」

立方体ブースの特殊な窓ガラスは、映し出していた光景を変えた。その場に居た人々は、アストラルクスの光景を目撃する。
窓ガラス越しに、厳封された箱から黒い靄が発生する様子が伺えた。

「呪術式ロック解除。『箱を開けよ』」

純銀製の箱が遠隔操作で開く。立方体は展開図のように平面に広がった。固定されていた『ワンドエース』はタロットを思わせる形の陰を作り、被験体の体内へ侵入する。
そして、変異が起こった。物音は物質世界の手術台を揺らす音。麻酔で意識を失っているはずの被験体は苦しみ悶えながら暴れる。その変化に合わせ、アストラルクスでも変異が起こった。
被験体は、溶け出したタロットの陰に包まれた。黒一色に染まり、人型の陰となった被験体は、やがて角と双翼を広げた悪魔へとその姿を変えた。呪詛でコーディングされた隔離ブースの向こうに居る研究者達に向けて、眼孔を光らせる。

「第一号検体にアンプル注入を開始」

ヨアンの指示を復唱しながら、研究員達はブース内に薬剤を噴霧する。悶え苦しむ悪魔はブースに体当たりを仕掛けるも、呪詛でコーディングされたガラスはびくともしない。

「アストラルクスでの活性レベル低下。ダエモニアの弱体化を確認。このままアンプル注入を続けろ」

ひとしきり暴れた後、悪魔は倒れ伏せる。
誰もが実験の成功を確信した時、その場の研究者達の脳裏に、何者かの意志が流れ込んできた。

『人間風情が我を御せるなどと思わぬことだ』

その瞬間、隔離ブースが粉々に砕け散る。ガラス片が研究員を襲い、施設全体を巨大な地震が襲った。

「クソ! 総員、緊急退避! メインブースにてダエモニア発生! 緊急退避!」

アストラルクスを映し出していたガラスが消滅し、悪魔は不可視の存在になった。もはや、誰もダエモニアを止められない。
ヨアンは非常警報のスイッチを入れ、退避命令をマイクで叫んだ。けたたましいサイレンの音が耳をつんざき、赤色灯の光が灯台のように周囲を照らし出す。
その赤い光を浴びて、被験体が隔離ブースのあった場所に立っていた。瞳から血の涙を流し、もっとも近くに居た研究員の首を掴んで、ねじ切る。

「警備兵、検体第一号を射殺しろ!」

非常事態に駆けつけた警備兵が銃撃を開始する。頭と心臓を確実に打ち抜くも、被験体の動きは止まらない。足を狙おうと狙いを下げたところで、被験体は人間離れした動きを見せ、警備兵を銃火器ごと引き裂いた。

「ヨアン! 貴方も逃げるわよ!」

退路へ急ぐ研究員達に混じって、ソフィアが叫んだ。彼女の声に反応した被験体は、充血した瞳をソフィアに見定め、飛びかかる。だが、被験体の体はラケットでテニスボールを打ち返すように、慣性の法則を無視して弾き飛ばされた。
その後も、被験体の体は宙へ浮き、壁や天井に叩きつけられる。ポルターガイストのごとき常軌を逸した動作で跳ね回り、周辺の隔壁や機械装置を粉砕し、歪ませ、溶解させる。
それらはすべて、アストラルクスでの破壊活動が、物質世界に波及している証拠だ。

「タロット使いが来たのか!?」

だが、被験体は絶命しない。何度となく床や地面に激突を繰り返してはいるが、逃げ惑う研究者達の頭脳や心臓を拳一つで貫いていく。
ここにやってきたタロット使いは、被験体を殺さずに弄んでいる。ヨアンがそう確信した時には、被験体はソフィアの首根っこを掴み上げていた。

「な、何をやっているんだタロット使い! 殺せ! 彼女を助けろ!」

被験体の腕に発生したしこりが、ソフィアを包み込む。際限なく膨らむ肉腫は、苦しそうにもがくソフィアの口や鼻孔、耳へ流れ込んでいく。

『ふむ。では助けましょう』

ダエモニアとは異なる声が響くと同時に、被験体はソフィアごと、見えない刃に貫かれた。失活したダエモニアと、恐怖に瞳を見開いたソフィアは、血飛沫を上げながら地面に落ちる。

「な、何故だ……! 何故、ソフィアまで……!」

血溜まりに駆け寄ったヨアンは、ソフィアと被験体を引き剥がそうとする。
しかし、恐怖に引きつった顔のまま虚空を見上げるソフィアと被験体の体は癒着したように体組織のように、べっとりと繋がっていた。助かる見込みはなかった。

ソフィアは死んだ。殺された。
ダエモニアではなく、それを殺すはずのタロット使いによって殺された。
ヨアンは血溜まりの中に立ち、周囲を見渡して叫ぶ。

「出てこい! 私の目の前に出てこい! 貴様ァーッ!」

タロット使いは、アストラルクスから現れなかった。
施設は破壊され、緊急避難を告げる赤色灯も、誘導灯も消える。非常用電源も破壊された今、大深度地下は暗闇に包まれる。
構造体を破壊されたのか、落ちた天井がトンネルを破壊し、加速器を歪める。隙間から流れ込んだ地下水は濁流となり、崩落した岩盤と泥で施設を満たした。
ヨアンの視界は消え、意識も暗黒の世界に落ちていく。

       *

地下研究施設の崩落事故は、その言葉通り闇へと葬られた。
時の試練を経た今となっても、研究に従事していたスタッフの大半は地下に埋もれたまま、誰に省みられることもない。存在そのものが記録上消失し、迷宮入りした行方不明事件として各地の警察に処理されている。
事件の後、レグザリオは彼と一切の接触を断った。事あるごとに訪ねてきた『いけ好かないカラスとネコ』も、めっきり姿を見せなくなった。

しかし、彼にとってこれはかえって好都合だった。レグザリオが裏切ったことで検体の提供こそ無くなったが、ダエモニア研究の副産物として得られた知見は、彼のその後の研究に役立った。
ダエモニアに囚われやすい人間の特徴は分かりやすい。そういった人間に目をつければ、後は背中を押すだけで『生きたサンプル』を作り出せる。
そうして、彼は研究に没頭した。
そこに存在するのは、知的好奇心ではない。
レグザリオへ。そして、その手先であるタロット使いへの復讐心が彼の心を突き動かし、そして歪ませていたのだ。

『タロット使いが憎いか』

やがて彼は、かつてと同じ幻聴を耳にする。
彼には声の主が分かった。その正体は、自らが合成したダエモニアである『ワンドエース』。研究施設で死なず、彼の中で生き続けていたのだ。

『タロット使いが憎いか』

タロット使いは彼の婚約者であるソフィアを殺し、多くの仲間達を巻き添えにした存在だ。彼の答えは決まっていた。問いに答えながらも、ダエモニアとの契約に条件を付け加える。

「しかし、お前では力不足だ。私は奴らを殺す……いや、存在そのものを『汚染』してやりたい。お前の能力に、私の知能が合わされば、それは可能になる」

『ならば、契約成立だ』

彼は、自らの体に湧き上がる悪感情を、歪んだ理性で制御する。
流入したダエモニアの意志と、数年に渡り蓄積された意志が一致した時、彼は人間として初めて、ダエモニアを克服した。奇しくも、彼が研究していたのとは真逆の方法で。

「では、始めようか、友よ。我らの復讐を」




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