幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

第四章/幽客は何処に咲く_07

風が運ぶ潮の臭いは、水しぶきが舞う埠頭よりも高所の方がより強い。
英国はロンドン郊外。欧州屈指の国際港も、深夜とあればひとけはまばらになる。
停泊する大小様々な客船の明かりと、荷物を積み込む不揃いなランプの列。それから、沖合に浮かぶブイの放つ誘導灯。そうした光を見下ろせる場所、コンテナ船の荷下ろしに用いるガントリークレーンの骨組みに、シルヴィアとルーシアの姿があった。

「万梨亜、ミレイユ。首尾は」

羽織った外套をはためかすほどの強風。ごうごうと耳元を吹き抜ける音に混じって、かすれた声が聞こえてきた。

『……問題ありませんよ、シルヴィアちゃん』

『ええ。ダンスパーティーにも飽きてしまいましたわ』

シルヴィアは、停泊している船の中でもひときわ巨大な豪華客船に目を遣る。深夜にもかかわらず煌々ときらめくその船体は、もはや船を通り越して不夜城。そこには既に、三名のタロット使いが潜入していた。
豪華客船の客室係として船内をくまなく移動する万梨亜、財界関係者のパーティーに皇家の令嬢として乗船したミレイユ。そして、もうひとり。

「エレン、そちらは」

『次の曲行くぞお前らァーッ!』

シルヴィア達の耳に届いたのは、悲鳴にも似た歓声だった。エレンは復帰早々、客船内のライブハウスを大いに湧かせているらしい。かすれた無線で響く破壊的なサウンドに頭を抱え、シルヴィアは通信を切った。

「……本当にあの船に?」

傍らに立っているルーシアが、遠くそびえる不夜城を見ながら尋ねる。

「オーキスの身元が割れた今、ヤツはタロット使いからも、レグザリオからも追われる身だ。人質は多いに越したことはない」

「……みんな死ねばいいのに」

オーキスは、自らの身の安全のために人質が必要だった。ただしそれは、『人間として』交渉材料にするものではない。オーキスがあの研究施設でやってみせたようにダエモニアを量産できるとすれば、彼にとって人質の数は兵士の数に等しい。
その点、豪華客船には数多くの潜在的兵士が乗船している。一度港を離れてしまえば、足もつきにくくなる上、捜査を攪乱できる。身元が割れたオーキスにとって、客船はこれ以上ない移動手段だろう。

今回の二方面作戦は、そうしたオーキスの行動予測に基づいている。
シルヴィア達の作戦目標は、アメリカへ渡る可能性のあるオーキスを水際で確保すること。ヴァネッサ達は、主要拠点の襲撃。傍受を防ぐため、相互に連絡を取り合うことはできない。雫とクリスティンはアメリカ支部からサポートを行っているが、その通信も有事の際以外は遮断されていた。

時間的にはそろそろだった。
風のうなり声の中、シルヴィアは耳を澄ませる。ややあって、大型トラックのエンジン音が聞こえ、建物の影からヘッドライトが見えた。

「時刻通りだな」

眼下には、豪華客船へと走るトラックの車列が近づいていた。
シルヴィアとルーシアは、ガントリークレーンの足場から車列の真上へと歩いて行く。そして、トラックの最後尾にタイミングを合わせて、飛び降りた。
潮混じりの風が、全身を逆撫でる感触。軽い音を立てて、真っ暗な着地地点に難なく降り立ったふたりは、荷台のコンテナ内部へ潜入した。段ボール箱が積まれた荷台の中で、外套を羽織って息を潜める。
トラックのエンジン音と路面の振動。かすかな体感情報だけを頼りに、ふたりは豪華客船の格納庫へと潜入した。

翌朝、豪華客船は拍手と歓声に送られて大西洋へ出港した。
北大西洋航路は十日程度。それがシルヴィアらに許されたタイムリミットだ。それまでの間にオーキスを見つけられなければ、作戦は失敗に終わる。
シルヴィアは気を引き締め、コンテナの扉を開いた。薄明かりの中、ダエモニアの気配を探して意識を集中する。

「……居る」

コンテナから出たルーシアは、格納庫の中を急ぐ。最初は細い糸のようだったダエモニアの気配も、近づくにつれて次第に濃く、太くなっていく。それはまるで散らばった糸を一本に撚り合わせていくかのように。
たぐり寄せた先にあったのは、何の変哲もない輸送用コンテナだった。強烈な嫌悪感を放つ開閉レバーに、シルヴィアは手を伸ばす。

「開けるぞ」

軋む金属音。懐中電灯で照らしたコンテナの中には、密航者らしき男が居た。無数に散らばった注射器の中、うつろな表情でふたりの闖入者を見ている。
途端、シルヴィアの隣のルーシアが消える。シルヴィアも追いかけてアストラルクスへ移動するも、たどり着いた時にはすでにルーシアの鎌が、無数の注射器で作った人型オブジェのようなダエモニアのコアをはね飛ばしている。
鎌の柄を肩で担いで、ルーシアはシルヴィアの隣に歩み寄る。

「手応えがない……」

「オーキスとは無関係かもしれないな」

仮にさっきのダエモニアがオーキスの手勢だとすれば、この程度で消失するようなダエモニアを使うとは思えない。やむにやまれぬ事情で密航を企て、その際に運悪くダエモニアに取り憑かれてしまった哀れな男なのだろう。期せずして乗客を救うことになったが、今回の本命ではない。
シルヴィアは、物質世界へ戻る。客室フロアへ向かおうとしたところに、ルーシアの声が飛んできた。

「気をつけなさい。対消滅に」

ルーシアの双眸は、シルヴィアをまっすぐに捉えていた。眼帯で覆われているはずの右目までもが、強い視線を突き刺してくるように感じる。
しかし、とシルヴィアは考える。対消滅など何の根拠もない噂話だ。自らのドッペルゲンガーが殺しに来るなど、単なるオカルトでしかない。

「意外だな。お前が対消滅なんて世迷い言を信じるとは」

「……妙な面倒を起こすなと言っているの。死ぬならひとりで死んで」

そう言い残して、ルーシアは格納庫の闇の中へ消えた。
ルーシアと別れたシルヴィアは、事前に暗記した経路通りに、エレベーターシャフトとバックヤードを抜けて乗客の集まるフロアへ向かう。バックヤードの最後の扉を開けた先にあったのは、巨大な街だった。
高層ビルのようにそり立つ、船室のフロア。太陽の自然光を取り入れるべく吹き抜けにされた『地上』のオープンテラスには、造花ではない本物の植物が生い茂っていた。周囲に目を向ければ数多くの高級ブランド店が軒を連ね、大勢の人々が思い思いにショッピングを楽しみ、また、その疲れをカフェで癒やしている。
この客船には、数千の人々が暮らしている。オーキスがここに居るとすれば、数千の兵士を引き連れていることと同意でもある。

「急がなければ……」

シルヴィアは、雑踏の中から不審な行動をする人物を――そして同時に、顔写真で見たオーキスこと、ヨアン・ドラクロワを探す。非効率だが、この方法しかないと信じ、ショッピングモールからレクリエーションエリアと、広大な船を駆け回る。
部屋の内へ、外へ。示し合わせなければ待ち合わせもできないほどの広大な船内。すべての場所を見て回るなど、一日では到底不可能だ。オーキスが私室などに篭もっているとすれば、見つけることは途方もなく困難になる。

この客船がアメリカにたどり着くまでの間にオーキスを見つけ出さなければ作戦は失敗。滅多に表に出てこないオーキスが出した二本の尻尾を掴むことができなければ、次のチャンスがいつになるか分からないのだ。

展望デッキにたどり着いたシルヴィアは、その日初めての休憩を取った。デッキの手すりにもたれ、駆け回って悲鳴を上げる足を休ませる。空調が行き届いた船内とは異なり、デッキに立っているシルヴィアを、潮まじりの風が吹き付ける。
視界に見えるのは、天と海を割る水平線。白波を立てて引かれた航跡を辿れば、遠方にぼんやりと故郷が見える。遠のいていく故郷を見ながら、シルヴィアは誰に聞かせるともなくつぶやいた。

「どこに居る、オーキス……」

 




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