幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

第四章/幽客は何処に咲く_09

悲鳴は、船内の至るところから聞こえてくる。船内通路を走るシルヴィアは、恐慌状態で逃げ惑う乗客や客室乗務員の集団とすれ違った。人々の波は、客船内の中央に存在するオープンテラスから押し寄せている。
流れに逆らい、かき分けながら進むシルヴィアは、避難誘導を行う万梨亜の姿を目に留める。

「万梨亜、感じたか!」

「ええ、間違いありません! ダエモニアですっ!」

避難誘導を打ち切り、万梨亜もシルヴィアに連れられて人の群れを遡った。
逃げ惑う乗客の悲鳴は遠のき、オープンテラスに近づくにつれて笑い声が漏れ聞こえてくる。船内に充満していた潮のにおいは、それよりもより強烈な、生存本能を刺激する血生臭さに飲み込まれてしまっていた。冷たく光るリノリウムのフロアには、血だまりを踏みしめてきたような足跡。通路の壁面には、逃げ惑う人々が付けていったであろう赤黒い手形が張り付いている。

尋常な状況ではない。それは十二分に分かった。
シルヴィアと万梨亜は、曲がり角の先で起こっている悲劇に覚悟を決め、廊下から飛び出した。
そして、この世の地獄を見る。

「いや……、いやぁっ……!」

目の前の惨劇に、万梨亜は両手で顔を覆って血だまりの地面に崩れ落ちた。シルヴィアも、現実をすぐには受け止めることができず、力なく肩を落とす。

「なぜだ……!」

朝日が差し込むオープンテラスは、その地表も、テラス席のテーブルも、はては植え込みの木々に至るまで、おびただしい量の人間の血液が飛び散り――それは今もなお、ぶちまけられ続けている。
血だまりの中で、乗客の男達が殴り合う。その乗客の背後を取った女が、甲高い笑い声を上げながら、黒ずんだナイフを深々と突き刺す。急所を外したがために男は絶命せず、自らを刺した女の首を絞める。女は笑いながら泡を吹き、血だまりの中に沈む。
別の場所では、馬乗りになった男が、もう動かなくなった女の顔面を一心不乱に殴り続けている。無表情で執拗に殴り続けていた彼は、一発の銃弾に撃ち抜かれ、首元から血を吹き出して力尽きる。男を撃った警備員は、恍惚の笑みを浮かべ、周囲を次々と射殺。その後、満足し終えたのか、銃口を自らの口に押し込み、何の躊躇もなく引き金を引いた。

豪華客船は、海に浮かぶ地獄と化していた。
人が人を殺し合う、穏やかな旅路には似合わない狂気。その狂気の根源は、アストラルクスでひしめく人間の影だった。
それは地面に張り付くような影ではなく、まるで人体のように実体を持ったダエモニアだった。真っ黒な粘土をこねて固めたような顔のない等身大の泥人形が、物質世界の人々を殺人衝動に駆り立てている。

「行くぞ!」

シルヴィアは即座に中空から白銀の剣を抜き出し、影を切り払った。オープンテラスに直立するダエモニアを薙ぎ払い、切り裂き、泥の塊に変える。
だが、一対一の剣術に特化したシルヴィアは、無数の敵を相手にするには不向きだった。物量に対処する手段を持たないがゆえに、一対多の戦闘では効率が悪化する。
押し寄せる物量に歯噛みしながらも淡々とダエモニアを仕留めるシルヴィアの耳に、ギターサウンドが聞こえてきた。音の聞こえた方角と、ダエモニアの位置関係を把握して、バックステップ。後方へ飛んだシルヴィアの目と鼻の先を、青色の稲光が突き抜ける。エレンだ。
稲光はギター弦を思わせる細いレーザー光となり、チョーキングのビブラートに合わせて、たわみ、震える。泣くようなもの悲しいビブラート、そしてすべてを解放するような破壊的なストロークによって稲光は横滑りし、ダエモニアを一瞬で切断した。
焼け焦げ、土くれに還元されるダエモニアの群れの中に、エレンが降り立つ。

「突然湧き出しやがって! 何なんだこいつらは!」

「シルヴィア様ッ!」

時を同じくして駆けつけたミレイユは、通路を塞ぐように、巨大な盾を展開した。簡易バリケードの向こうには、無数のダエモニア。ミレイユの盾に銃口を向け、弾丸を放ち始める。

「ここのダエモニアは、オーキスの研究施設に居たモノと同じですわ!」

「あんだと!?」

エレンが踏みつぶしていた泥人形は柔らかな粘土となって潰れ広がり、近くに倒れている土くれを吸収する。こね合わされて立像となったダエモニアは、チェス駒のダエモニアに変形した。
黒い土くれのダエモニアは、次々と白いポーンへ置き換わっていく。それは、オープンテラスのある『地表』だけではない。

「まずい、囲まれる!」

シルヴィアは、八階建の最下層にあたるテラスから、吹き抜けの空を見上げた。上の層、そのまた上層と、落下防止柵から身を乗り出したポーン駒ダエモニアが、その銃口をシルヴィアへ向けている。

――迷いはなかった。

集中砲火。八階層分のダエモニアが、吹き抜けの中央に居るシルヴィアへと凶弾を放った。
瞬時に高く飛ぶバネをイメージ、両足を沈み込ませて跳躍する。間一髪のところで、ダエモニアの弾丸を避け、客船の上空へ到達した。
眼下では、黒い影が白のポーン駒へと変形していく。それは吹き抜けだけではない、いくつもある船のデッキや屋外劇場、備え付けられたプールなど、ありとあらゆるところに出現する。

そして、シルヴィアは気づいた。
この豪華客船は、大量のダエモニア兵士を送るための船だったのだ。兵員を輸送するこの客船が東海岸へ着けば、港湾地区一帯は間違いなく壊滅する。オーキスはその混乱に乗じて上陸することができる。

「……ここに、オーキスが居る!」

跳躍の最高点で、シルヴィアは急降下をイメージし、先ほどまで居た吹き抜けの地表に狙いを定めた。

「デュランダルッ!」

デュランダルを召喚し、急降下。大地の亀裂のような吹き抜けへ突っ込んだ。後方を飛ぶデュランダルを操り、各フロアのダエモニアを砕きながら降下する。

そんな最中、船室の壁を突き破って、ルーシアが吹き飛ばされてきた。デュランダルを緊急展開してルーシアを受け止めるも、彼女はシルヴィアに向けて叫ぶ。

「……避けて!」

ハッとしたシルヴィアは、ルーシアが突き抜けてきた穴に視線を向ける。

そこには、少女が居た。
白銀の髪の毛。真白いセーラーブラウスに、濃紺のリボン。身の丈に合わぬほどの長剣を握り、まばゆいばかりの光をほとばしらせている。

「――ッ!?」

彼女の姿をまじまじと見て、シルヴィアは絶句した。
その反応を見て、少女は、堅く不慣れで不器用な、それでいて見覚えのある笑顔を見せる。そして間髪入れず、剣を構えて吶喊。向かってくる少女と剣を交えようとしたシルヴィアだったが、その体はルーシアに蹴りつけられ、眼下に見える地表に叩きつけられる。

「ルーシアっ! 何をするっ!?」

「あなたは邪魔」

少女は、標的をシルヴィアからルーシアへ変えた。動きの機微を見切ったルーシアは、タイミングを合わせて鎌を振るう。剣の切っ先と鎌の刃が激突、少女はバランスを失い、ルーシアを突き刺す軌道を逸れた。
だが、切っ先を防げたルーシアでも、勢いづいた少女の突進までは防ぎきれない。懐へ飛び込まれ、勢いの乗った拳がルーシアの腹部を貫く。

「かっ……!」

短い悲鳴を発して意識を失ったルーシアは、『地表』に落下する。

シルヴィアは、悠々と降下してくる少女を見上げていた。
その姿はまるで、過去を映す鏡。
少女は、幼い頃のシルヴィアに生き写しの存在だった。

 




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