幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

最終章/幻影に舞う白銀_01

混沌と狂乱の最中にある船上も、アストラルクスではその様相を異にする。渋面を浮かべた男性の合図ひとつで、ダエモニアの軍勢はシルヴィア達を統率の取れた動きで包囲する。

「もう一度言おう、シルヴィア・レンハート。お前の『正義』を渡してもらおう」

オーキスの傍らには、シルヴィアに生き写しの幼い少女。その手に握られた身に余るほどの長剣は、膝立ちになった万梨亜の首筋にあてがわれ、触れるか触れないかという薄皮一枚の距離で妖しく光っていた。

「貴様と交渉をするつもりはない」

シルヴィアは起死回生の一手――少女の虚を突く方法について思考を巡らせる。なんせ相手は幼いとはいえ自分だ。自身の戦術の欠点は、自身が一番よく分かっている。
もちろん、対処法はすぐに見つかった。少女の姿勢は、万梨亜の首を切り落とすには不確実な、見せかけに過ぎない。吶喊、剣を外に逸らしつつ脇腹を切り裂く。通常であれば、それで終わりのはずだ。
だが、これは罠だ。こちらの動きを誘うための、敢えて作った隙だ。
現実に、いま目の前にいるドッペルゲンガーと剣を交えることは、あまりにもリスクが高い。未曾有の対消滅現象によって周囲を破壊し尽くすようなことがあれば、万梨亜どころか他の仲間達も、はては乗客の命すら危うくなる。

横目に仲間達を見た。這々の体でシルヴィアにしがみついているミレイユ。なんとか立ち上がるも、エレンに抱えられているルーシア。彼女らへの期待は酷だろう。
身構えるシルヴィアに、オーキスは告げる。

「困ったな。これはお前のための――いや、ダエモニアの存在によって非業の死を遂げるすべての人々を救うための交渉なのだよ。シルヴィア君」

にらみを利かせるシルヴィアに、オーキスは続ける。

「この世のありとあらゆる悲しみの根源はダエモニアだ。連中はディアボロスタロットのコピーとして産み落とされ、人間の悪心によって育まれた後に宿主を喰らう」

ダエモニアは湧き続ける。それはタロット使いの歴史を紐解いても明らかだ。根源を叩けない限り対症療法でしかないと理解しながらも、タロット使い達はダエモニアを殲滅する。あくまでも歯止めのために。
そんなタロット使い共通の諦観に、オーキスは無情にも言い放つ。

「無駄なのだよ、お前達タロット使いの働きは。元を絶てない限り永遠に続く、ただの徒労だ」

「…………」

こみ上がってくる無力感と、憤怒。
ふとした弾みで口をついて出そうな言葉を飲み込むことで精一杯だった。

「怒りを向ける相手を間違えているぞ、シルヴィア君。我々の敵はダエモニアと、永きに渡って手を打たず、放置してきた無能なレグザリオだ」

その一言を聞いて、シルヴィアの思考は繋がった。
オーキスが引き起こした一連の事件、過去にレグザリオの元でダエモニアを研究していた事実、現在レグザリオから追われ、殺害命令が出されている理由。
オーキスの動機は、復讐だ。

「……何が我々だ。ソフィアを殺された腹いせに、地球上の人間を巻き込むような貴様と一緒にするな!」

かつての婚約者、ソフィアの名が出されても、オーキスは微動だにしない。

「ソフィアか。……確かに、初めこそ復讐を叫んだよ。だが、憐れなヨアンはもう死んだ。オーキスの望みは、無能なレグザリオから世界を解放する。ただそれだけだ」

オーキスはシルヴィアの元へ歩み寄る。それを守るように庇うように、生き写しの少女は万梨亜を引きずりながら近づく。
対消滅の恐怖が迫っている。心臓が早鐘を打ち鳴らす。

「さあ、シルヴィア君。お前の正義を、そしてその敬虔なる自己犠牲の精神を試そう。つかの間の平和のため、このオーキスを殺すか。恒久的な平穏のため、自らの身を挺して世界の礎になるか。二つに一つだ」

選んだところで、行き着く先は変わらない。
結局、対消滅の宿命からは逃れられない。そう理解したシルヴィアは、剣を自らの意志で消した。何も持たない丸腰のシルヴィアは、腰から下にまとわりつくミレイユに言葉をかける。

「ミレイユ、離してくれ。私が行けば、少なくともこの状況は打破できる」

「シルヴィア様!? 行ってはいけませんわ! オーキスの言うことなど嘘っぱちのデタラメにッ――」

シルヴィアはミレイユの腕をゆっくり解き、微笑む。
それ以降、言葉を継げなかったミレイユを残し、シルヴィアは歩き出す。引き留めようとするエレンを手を出して制止し、オーキスと少女の待つテラスの中央へ向かう。

「やめてっ! 命を粗末にしないでっ!」

泣き叫ぶ万梨亜を疎ましく感じたのか、少女は万梨亜を後方へ蹴り飛ばす。そして少女もシルヴィア同様に剣を消し、利き腕を差し出してくる。
中空で制止した手は、シルヴィアの握手を待っている。

「短い間だったが、世話になった」

シルヴィアは、その場全員に目配せしてから、少女の手のひらに、自らの指先を近づけた。

「シルヴィ――」

最後に聞こえた声が誰のものだったのか、シルヴィアには分からない。
利き腕が何かを掴んだ感触を最後に、死に直面するというおぼろげな思考すら挟む余地もなく、シルヴィアの五感といっさいの意識は永遠の暗闇に閉じられた。

暗闇。無音。
前後左右に上下も不覚。温度、接触も不覚。ただ不覚だと判断する意識だけがそこにある。
たゆたっている。
それが、どこなのかは分からない。広大な空間か狭隘な小箱の中か、膨張しているのか縮退しているのか。生きているのか死んでいるのか、そもそも生死の区別すらこの場所で意味があるのかすら、不覚。
では、この不覚と判定した意識は何か。意識が存在するのならば、現状をたゆたっていると表現した『主体』はいったい何者なのか。そこで意識は、自らにとってもっとも身近であろう概念を、どこからともなく思い出す。

シルヴィア・レンハート。

たゆたう意識は、自らをシルヴィア・レンハートだと考えた。
そして、思考が爆発した。
それは沸騰したケトルの蓋が水蒸気によって持ち上げるように、膨らませ過ぎたゴム風船が圧力に耐えきれず破裂するように、急速に自らの存在を形作っていく。
過去の記憶、現在の姿、そして未来の希望。それらは、バラバラな素材が攪拌されることで均質な一杯の紅茶となるのと同じく、混ざり合ってひとりの均質な人間の姿を形作る。
白銀の剣。タロット。そして、正義。
すべてを想起し、認識し、理解した瞬間、シルヴィアはスポットライトで照らされる。
誰も居ない。オーキスも、ダエモニアの軍団も、仲間のタロット使い達も存在しない闇の中に、ひとり佇んでいる。

「ここは……」

そう言いかけて、意識が途絶える寸前の出来事を思い出す。
ドッペルゲンガーの少女と握手し、迷い込んだこの空間。先ほどまで大海原に居たとは考えられない深淵では、スポットライトの外に突きだした手も空を掴む。

「これが、噂に聞く対消滅か」

シルヴィアの眼前に、もう一つのスポットライトが下ろされ、幼いシルヴィアが姿を見せた。
少女は、アストラルクスでやるように、中空から剣を取り出してみせた。そして、舞台演劇のごとく恭しく一礼すると、シルヴィアの抜刀を待つ。
正々堂々、一騎打ちで決着をつける。その思惑を理解したシルヴィアは、少女に問う。

「貴様は、ダエモニアでありながらエレメンタルタロットの力を得るため、私の『正義』を必要とした。それが、オーキスに付き従っていた理由か」

少女――人工ダエモニア・ワンドエースは無言ながら、にんまりと笑う。そして剣を、彼女がもっとも得意とする中段に構える。

「私には、対消滅の詳細も、この空間から抜け出す方法も分からない。だが……、貴様にだけは、負けない」

シルヴィアは、まばゆいばかりに輝く白銀の長剣を思い描く。
隅々まで研ぎ澄まされた純粋なる正義を、空想の中に編み上げた鞘から引き抜いた。

対峙するシルヴィアと、その幼い姿。制止したふたりの騎士は、まったく同じタイミングで激突した。




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