幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

最終章/幻影に舞う白銀_05

目を覚ましたシルヴィアは、煉瓦造りの回廊の中に立っていた。
果てなく続く隘路は、どこまでも直線に伸びている。壁に備え付けられた松明の明かりが、通路を点々と照らしていた。

先ほどまで居たはずの『上位の世界』。そこで首を絞められて以降の記憶がなかった。
とすると、この無限にも続く回廊が意味するところはそれしかない。

「さしずめ、臨死体験か……」

シルヴィアは敗北した。
これまで築き上げてきた正義と存在意義を、あろう事か自分自身に奪われた。
正義を為し続けると宿命づけたにも関わらず、その正義が誤りであり、もう剣を振るうことすらできなくなってしまった。
正義の上澄みが枯れ果てた今、罪の意識だけが茶葉のように沈殿している。

シルヴィアは、暗闇へと続く細い回廊を進むことにした。
振り返って後戻りすれば、元の世界へ戻れるだろう。その時、確かにそう思ったが、振り返ることはなかった。

戻る必要などない。
愚かな敗北者には、死が似合いだ。

脳裏に沸き上がったわずかな希望すら、諦観の念が瞬く間に塗りつぶす。
絶望の足音が、煉瓦の回廊に虚しく響いていた。

『無駄なのだよ、お前達タロット使いの働きは。元を絶てない限り永遠に続く、ただの徒労だ』

力なく歩みながら、オーキスの言葉を反芻する。
あの時、シルヴィアは反駁しようとした。しかし同時に、オーキスが言うような無力感を感じたのも事実だった。

何をやったところで無駄。
結局、誰も救えない。

思えば、『正義』のタロットを継承した時から、二律背反を抱えていたのかもしれない。
『救う』ことは『苦しまずに殺す』こと。シルヴィアは、エレメンタルタロットの力で人間を救う『正義』が、そもそも矛盾していることに気づいていた。
そうした矛盾を『正義』であり続けることで必死に否定してきたが、小さな狂いは積もり積もって大きな歪みとなる。

「人間を救うなど、もう不可能だな……」

そう自嘲して、シルヴィアは歩みを進める。
一歩ごとに死の色が濃くなり、希望はそれに反して色あせていく。
やがて世界からも色彩が失われ、濃淡だけになった回廊の果てにひときわ黒い扉が姿を現した。
二対のかがり火に照らされたあの扉の向こうには、死が待っている。直感がそう告げていた。

だが、扉の前には人影があった。
遠目に見覚えのあるその姿は、一歩近づくごとにはっきりと認識できた。モノクロームの世界でも、艶めくグレーの髪。折り目正しく清潔感のある服装。
それは、幼少期のシルヴィアだった。
幼い自分は、扉の門番であるかのようにシルヴィアの前に立ち、告げる。

「ねえ、幸せ?」

聞き覚えのある問いに、シルヴィアは思わず身構える。だが、目の前の彼女は少女らしい、無垢な表情を浮かべた。それが自らのドッペルゲンガーとは別の存在だと理解したシルヴィアは、質問に答える。

「幸せなど求めていない。自らの過去の過ちを棚に上げて、幸せを求めるなど許されない」

シルヴィアは、『正義』となるため他の候補者を殺した。タロット使いになってからは、救おうとしたが見殺しにしてしまった人々や、殺すしか救う方法がない人々も居た。
たとえその行為が必要悪だったとしても、それは『正義』に反している。

「じゃあ、何のために生きていたの? その人生に意味はあったの?」

幼い自分は、さらに質問を重ねた。

「あなたは、シルヴィア・レンハートは何がしたかったの?」

自らを見透かしたような質問に、シルヴィアは答えに窮する。

「わ……。わた、し……は……」

舌がもつれ、言葉が喉に詰まる。
だが、幼い自分は訴追をやめない。物言わぬ双眸は、喉に引っかかった本音が吐き出されるまで、シルヴィアを見つめていた。

「私は……世界を救いたかった……。救い続けることで、過ちを精算しようとした」

「じゃあ、どうして諦めるの? 振り向けば戻れると分かっていたのに、そうしなかったのはなぜ?」

「……叶わなかったからだ。救うことも正義も、矛盾していた。私はもう、過去の咎を受けて――」

死ぬしかない。
その一言は、シルヴィアの口を出ることはなかった。
幼い自分が、シルヴィアを突き飛ばしたのだ。煉瓦の床に腰を落としたシルヴィアに、少女は宣言する。

「……私は、あなたみたいに諦めない。そんなふうに簡単に、死を受け入れたりしない」

強い意志の宿る声だった。自らの信念を貫くという信念が、固く結んだ口元に現れている。
どこか懐かしい、忘れてしまっていた思いが、シルヴィアの心臓を鷲掴みにする。

「ここを通りたいのなら、剣を取りなさい。諦めと恐怖に支配されたあなたになんて、正義は絶対に負けない」

正義の少女は、剣を二本取り出した。そのうちの一本を握り、もう片方をシルヴィアの足元に放り投げる。落下した剣は甲高い金属音で回廊を震わせ、幾重ものこだまとなって駆け抜ける。
その一言で、シルヴィアはようやく少女の正体に気づいた。

「お前は、あの頃の私か……」

少女は首を振らなかった。
だが、双眸に宿った強い意志を見れば、その正体など誰何するまでもない。
彼女は、シルヴィアが温め、育んできた『正義』の意志だ。決して諦めることなく、恐怖と絶望の淵にいる人々を際限なく救うという、シルヴィアが忘れていた正義の理想そのものだ。

その途端、シルヴィアの視界が開けた。
モノクロームだった世界は騒がしいほどに色めきたつ。煌々と灯るかがり火は鮮やかに燃え、その後方にある漆黒の扉をまばゆいばかりの光で塗りつぶした。
もう、死はなくなった。

「あなたの正義は……。白銀の意志は、子どもの頃から変わっていない」

正義とは、悪をくじき、弱きを救える限りに救う者。
そこに、諦めを差し挟む余地はない。ただ一心不乱に、窮地にある人間をひとりでも多く救い出す。それこそが過去の罪滅ぼしであり、未来まで負い続ける責任だ。
諦観や無力感から生じた矛盾や二律背反は、理想論で覆い尽くしてしまえばいい。

諦めることなく、正義の理想を追い続ける。
泥にまみれていたシルヴィアの白銀の意志が、輝きを蘇らせた。

「私は、こんな簡単なことで悩んでいたのだな……」

シルヴィアは立ち上がり、まとわりついている埃を払った。長い年月の間に積み重なった諦めを落とすように、丹念に身支度をする。
その時不意に、背後から誰かの声が聞こえた。

『助けて、シルヴィアちゃん……』

振り返った先に、声の主の姿はない。
だが、細い回廊の奥で、弱々しい光が灯るのを見た。

戻らねばならない。
戻って、救い続けねばならない。

「次に会った時は、穏やかに迎えてくれよ」

シルヴィアは目の前の少女に、そして自分に言い聞かせるように告げる。
相変わらずの不器用な笑顔だが、それが精一杯の餞であることをシルヴィアは知っている。今度会った時は、自然な微笑み方を教えてやろうなどと考え、踵を返した。

小さな光に向かってシルヴィアは歩き出す。
回廊を進むごとに、奥の光は強くなる。シルヴィアの足は自然と早歩きになり、駆け足になる。声は聞こえないが、その光の向こうに何かが待っているという確信が、シルヴィアの心を急かしていた。
小さな星明かりのようだった光は、今や回廊全体を真白に染めていた。上下も左右もない白い通路を、シルヴィアは全速力で走り抜ける。そして目を眩ませるような輝きの中へ、シルヴィアは飛び込んだ。




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