幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

最終章/幻影に舞う白銀_06

少女は、シルヴィアに馬乗りになり、執拗に首を絞め続けていた。
青白くなったシルヴィアの双眸は虚ろに見開かれ、四肢は地面に投げ出されている。その表情には、もはや生気など微塵も感じられない。
シルヴィアは、その時確かに死んだ。

――はずだった。

シルヴィアの指先が、かすかに動く。その両手は、ゆっくりと持ち上がり、自らの首筋へ向かって延ばされていく。
少女はさらに強く、首の骨を折らんとばかりに絞め付けた。だが、シルヴィアの動きが留まることはない。
震える指先は、とうとう自らの首へ。少女の手の甲に深く爪を立ててかきむしり、堅く密着していた少女の掌へ指を滑り込ませ、気道を奪い返す。
わずか指一本分に過ぎない隙間を、堰き止められていた生気が流れた。引き離されていた精神と肉体が、このときようやく繋がった。

そして、シルヴィアの虚ろな瞳に、光が戻る。
幾重ものヴェールに覆われてぼやけていたシルヴィアの視界は、幼きドッペルゲンガーの姿を捉えた。

シルヴィアは直感した。
蘇ったのだ。戻ってきたのだ、と。
そして、シルヴィアの意識下で生への渇望が目覚めた。
輝きを取り戻した『正義』が、死を否定し、生を選択する。決断をした途端、息ができない苦しみと、ドッペルゲンガーへの生理的な嫌悪が沸き上がってくる。
だが、その程度のものでは、シルヴィアの決意はねじ曲がることはない。

彼女には、彼女にだけは負けられない。
四肢に力に込め、ドッペルゲンガーを引き剥がすべく暴れた。無闇に暴れるなど、シルヴィアの美意識には反する行為だが、そうするより手立てはない。
シルヴィアが手を、そして足を絡ませのたうち回るうちに、少女はバランスを崩す。首筋の拘束が緩んだ間隙を縫って少女を振り払い、シルヴィアは再び舞台に立つ。
スポットライトは、シルヴィアに落とされた。

「……お前のおかげで、目が覚めたよ」

シルヴィアはゆるやかに息を吐きながら、自分に、そして眼前の少女へ言い聞かせる。
全身に染みこんだ気だるさを制し、抜刀。少女も同じく剣を取った。
瞬く間に生み出された二本の剣が、スポットライトの中で交差。激しい衝突によって、黒銀の剣は塵芥となって霧散した。
武器を破壊された少女は、新たな剣を空想の鞘から抜き、再びシルヴィアに斬りかかる。だが、ドッペルゲンガーの生み出した刃はぶつかり合うごとに形を崩し、無数の破片となって降りそそぐ。
少女はそのたびに刃を取り出すも、幾度繰り返しても変わらない。黒銀の破片が宙に舞い、スポットライトに照らされて輝いた。

もう黒銀の剣では、白銀の刃に打ち克つことはできない。
少女は剣戟での一騎打ちを止め、黒銀の騎士鎧を召喚する。現れるとともに放たれた拳が迫る刹那、シルヴィアはイメージする。

硬質で鋭利。強力な騎士鎧すら両断する刃。
想いを力に変えることのできるタロット使いに不可能はないと念じ、タイミングを合わせて拳に剣を沿わせた。

その瞬間、願いは叶えられた。
まるでそれは、壁に硝子細工を打ち付けるように、拳は無数の破片に変わった。片腕を失った騎士は抵抗を見せるも、シルヴィアの切っ先はそれを上回る速さで奔った。
黒銀の甲冑は、肩口と胸元を切断され、消える。
少女は再度騎士鎧を召喚したが、今度はデュランダルが迎え撃つ。巨躯同士が互いの拳を打ち合わせると、黒銀の鎧は原型を留めないほどに潰され、耳をつんざく轟音とともに瓦礫と化した。

「何度やっても同じだ。お前に、私は倒せない」

問いかけたシルヴィアに、少女は再び黒銀の鎧を呼び出すことで答えた。ダエモニアができる唯一の意思表示とともに、少女はなおも間合いを取る。

「そのようね。さすが『正義』の使い手。同族として誇らしいわ」

その時、何者かの声が舞台全体に響いた。
そして、眼前のドッペルゲンガーが姿を変える。再びの変身に身構えるシルヴィアの前に、イギリスで見つけた写真の面影を残す、妙齢の女性が現れた。

「……ソフィア・レンハートだな?」

誰何したシルヴィアに、女性はどこか困ったような笑みを返す。

「少し違うの。私は、ヨアンの記憶が作り出した存在。この子……ワンドエースの中に流れ込んで蓄積していた、ソフィア・レンハートの幻影よ」

「ならば、お前も同罪か」

「……ええ。結果的には、いくつもの悲劇を招くことになってしまったから。その責任は、ヨアンだけが負うべきものではないわ」

「ダエモニア研究が何をもたらしたのか、説明してもらおうか」

シルヴィアの詰問に、ソフィアの幻は首を縦に振って語り始める。

「私たちはかつて、レグザリオの元でダエモニアを研究していた。人工的に生み出したダエモニアを制御下に置いて、彼らの生態を把握しようとしたの」

「人工ダエモニアなど、バカげたことを……」

「……ええ。そうでもしないと、本当にこの世界をダエモニアの脅威から救うことはできなかったから」

ソフィアの発言に信憑性はない。
だが、その語り口はシルヴィアにはウソをついているように思えなかった。抵抗の意志はないと判断したシルヴィアは、剣とデュランダルを納め、幻影が語る真相に耳を傾ける。

「レグザリオは、ダエモニアを撲滅するという目標を掲げて、タロット使いの血族を集めた。そうして出会った私たちは、寝食を忘れて研究を進めたわ。人種も言語も違っていたけれど、想いはダエモニアの撲滅で一致していたから」

ダエモニアを知覚できるのは、血族以外に居ない。
必然的に、ダエモニア研究には彼ら血族の協力が必要となる。

「そして、私たちはひとつの仮説にたどり着いた。ダエモニアの元を断つ可能性を秘めた、不可思議な現象。それが『対消滅現象』――」

「教えてくれ。『対消滅現象』とは何なんだ」

シルヴィアの問いに、ソフィアは説明を中断した。
そして、無念さをにじませながら、ぽつぽつと語り出した。

「……エレメンタルタロットとディアボロスタロットの邂逅によって起こるとされる現象よ。でも、未曾有の出来事が起こることは予想できたけれど、それ以上のことは分からなかった。だから、賭けることにしたの。人工的にこの子――ワンドエースを生み出して、擬似的に対消滅を発生させようとした。その矢先に……」

シルヴィアは、クリスティンから聞かされた地下の研究施設を夢想する。
社会から隔絶された空間で、ダエモニアを研究するソフィアと、若き日のオーキスを。
制御下にあったはずのダエモニアが突如暴走し、施設を破壊する様子を。
そして、何もかもを破壊し尽くしたメーガンの張り付いた笑みを。

発言をためらうソフィアに代わり、シルヴィアが続ける。

「ワンドエースが暴走した。レグザリオはタロット使いを派遣し、研究にまつわるすべての証拠を破壊させた。だが、ヨアンとワンドエースは死地を抜け出し、やがてオーキスとなって潜伏しながら、世界を操っていた」

「それを知っているなら、説明は不要ね。とにかく、当時の私たちは『対消滅現象』について何も掴めなかった。もしかしたら、こうしてあなたと会話をしていることがそうなのかもしれない、くらいに」

シルヴィアは思う。そうだとしたら、なんと救いのない現象だろうか。
だが、シルヴィアは悲しみとも憐れみともとれない言葉を飲み込み、ソフィアに語りかける。

「いいのか、私に話しても。仮にもお前はオーキスの一部だろう」

その言葉で、ソフィアを形取っていたワンドエースは、苦悶に歪む幼少期のシルヴィアとなって顕現する。だが、その姿は長くは保たない。人型は粘土のように、潰れては延びて、再びソフィアが目の前に現れる。

「私は、幻影だから。ヨアンの良心が作り出した幻で、ワンドエースが消したがっている存在。でも、もう長くはないみたい。あの人のやり方に、愛想が尽きたからかしらね」

苦笑しながら告げるソフィアの体は、膨らんでは萎んでを繰り返していた。
ワンドエースを制圧する力は、もうわずかしか残っていないのだろう。
姿を現そうとするワンドエースを制し、ソフィアは語った。

「シルヴィア、この子は私が連れて行く。だから、お願い。無限に続く復讐の苦しみから、彼を救ってあげてほしい」

粘土のように変形するソフィアの要請に、シルヴィアは俯いた。
自分の『正義』では、殺す以外に選択肢がない。
ヨアンを救うことは、殺すことによってしか叶えられない。

果たして、それが救うことなのか。
それを救いだと断言してよいのか。

「また悩んでるの? いい加減堂々巡りしてないで、とっとと仕事に戻りなさいよ」

その言葉は、ソフィアとは別人の声だった。
顔を上げたシルヴィアは、ソフィアの周りに、かつての候補者達の列を見る。
正義の試練を思わせる少女達の列の中から、鮮血のように赤いドレスを着た女がシルヴィアへ向かって吐き捨てた。

「どんなに悩んだって、あなたには殺して救うことしかできないの。だからまあ、これからもせいぜい救い続けなさいよ。もちろん、これは私たちからの、呪いの言葉だけどね」

候補者の女は、シルヴィアをにらみつけてから、懲りたように微笑む。
まだ訓練など知らない、あどけない少女同士だった頃に見た面影に、シルヴィアは自然と笑みを漏らしていた。

『正義』は、彼女らの犠牲の下に成り立っている。
ならば自分は、彼女らが夢見た理想を叶え続ける存在として、人々を救い続けよう。
たとえそれが、『正義』のもたらす矛盾の呪いであったとしても。

シルヴィアは、候補者の女に、他の少女達に、そしてソフィアに向き直って告げた。

「分かっているさ」

言い終えたシルヴィアは、再び温かい輝きの中に没した。

 




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