幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

最終章/幻影に舞う白銀_08

口火を切ったのは、霧依の放ったメスだった。片手で三本、両の手では六本になる刃を、血族ダエモニアの少女めがけて正確に投擲する。

「『執刀』開始だァッ!」

飛来するメスに、少女が反応。飛来する凶器を打ち落とすべく、手持ちの拳銃で迎撃した。
六発の銃弾は、ほぼ同時に撃ち出される。たった一発の発砲音であったにも関わらず、その場に居た誰もが、六発の銃声を確かに聞いていた。

意識が加速している。
そして、世界が遅延を始めた。

メスと弾丸は、水の中を歩むようにゆっくりと飛ぶ。
大気を引き裂きながら直進する刃と、ジャイロ回転を見せる弾丸は、激突軌道を変えることもなく、しばらく飛翔した後に衝突した。

克つのはメスか、弾丸か。
その答えは、なめらかな断面を晒した弾丸を見れば明らかだった。ダエモニアの弾は六発すべてメスに両断され、あさっての方向へゆっくりと飛んでいく。

加速した時間の中で、ダエモニアの少女は飛び退くべく踏み込むも、体は動かなかった。少女の足元には、地中から延びた大量のカテーテルが絡みついていた。意志を持つかのように蠕動する幾本もの細い管が、執拗に少女を責め立ててその体の自由を奪っている。

少女にはもう、メスを避けることなどできない。
六本のメスが四肢の継ぎ目を、首を、そしてコアである心臓にたどり着くまでのじれったいほどに長い時間が、少女の余命となった。

一方で、ヴァネッサは抜ききった剣を白木の鞘に収めた。
眼前の少女を無視してまぶたを閉じ、思案する。

ここアストラルクスにおいては、世界の流れは誰もに平等とは限らない。
その世界の遅れすらイメージの強さによるものだとすれば、加速を願えば願うほど、世界を周回遅れにできることになる。

そして開眼したヴァネッサは、さらに遅延した世界に居た。
霧依の放ったメスは中空をほんのわずかに進む程度にまで減速している。
ヴァネッサは、その場全員の時の流れを超越した。

「これが限界か……。完全停止とはいかんのが心残りだが」

残念そうに自嘲してから、ヴァネッサは大地を蹴った。
加速しすぎて重たくなったアストラルクスを、ぬかるみを歩むように進む。
ヴァネッサが接近しているにも関わらず、血族ダエモニアの少女は武器を構えようとはしなかった。
いや、できなかったのだ。遅滞した世界に取り残されたままの少女に、限界まで加速したヴァネッサの動きなど知覚できようはずもない。

ヴァネッサは、無抵抗の少女へ一振りで切断した。
だが、コアを切断したとしても、ダエモニアの消滅までにはタイムラグが生じる。ヴァネッサが元いた場所へ戻り、日本刀に付着した怨嗟を払って鞘に収めた頃になって、ようやく少女の切断面から飛沫が漏れ出した。

そしてヴァネッサと霧依は、正常な時間の運行の中に戻る。
途端、二人の少女はそれぞれ消滅した。

「なーんだ、オーキスの技術も大したことないなぁ!」

「所詮は贋作。本物には敵わんだろうさ」

高らかに笑う霧依にそう独りごちて、ヴァネッサは振り向く。その背後に、横隊を形成したポーン駒ダエモニアが迫っていた。

「さて、ドクター。オペの続きを始めるぞ」

「そうだなァ。患者の苦しみを、癒やしてやらなきゃなァッ!」

摩天楼で仕切られた区画、巨大な道路をみっしりと埋めるダエモニアに、ヴァネッサと霧依は飛び込んでいく。

客船のデッキに降り立ったシルヴィアを迎えたのは、五名のタロット使いたちだった。

「しっ……! シルヴィア様ぁ~っ!」

泣き叫びながら抱きつくミレイユを撫でてから、シルヴィアは全員と顔を見合わせる。ルーシアの冷たい表情、程度こそ違えど瞳を潤ませるエレンと万梨亜の笑顔。そして思わせぶりに微笑むクリスティンの表情を見て、シルヴィアは告げる。

「心配をかけたな。無事、帰ってきた」

それぞれの「おかえりなさい」の声を受けて、シルヴィアはようやく、自分が元の世界へ――生と死の狭間でたゆたうアストラルクスへ――戻ってきたことを実感した。

「対消滅はどうだった?」

クリスティンの問いかけに、シルヴィアは襟を正して答える。

「実感はない、な。あれはおそらく、オーキスが作り出したディアボロスタロットのコピーと、私の『正義』がぶつかり合っただけの、不完全なものだ。ただ……」

「ただ?」

聞き返した万梨亜に、シルヴィアは柔和な顔で語った。

「自分を見つめ直す、いい機会にはなったよ」

シルヴィアがあの空間で見たものは、短い白昼夢だったのかもしれない。
だが、それは過去に苛まれていたシルヴィアの迷いを晴らすには、充分すぎるものだった。
すっきりとした顔を見せるシルヴィアの様子に、万梨亜は泣き腫らしたまま笑顔を浮かべる。そして、ミレイユと共にシルヴィアへ身を寄せた。

「お、おいおい……。そんなにもたれると倒れてしまうよ」

胸の中で震えるミレイユと万梨亜を優しく抱きしめ、シルヴィアは微笑んだ。

「あらあら、仲のいいこと。エレン、私たちもやっちゃう?」

「や、やるかよっ!」

「……嘘つき」

クリスティンの茶化すような提案に、エレンは真っ赤になって答えた。エレンの様子を見て、ルーシアはいつもの調子でため息をつく。
その時だった。

「まだ仕事は終わっていませんよ、皆さん」

アストラルクスがひずみ、人型の渦を作り出す。空間の歪みは次第に凝固し、赤黒い衣装をまとったタロット使いが姿を現した。
メーガンだ。

「来てもらいますよ、シルヴィアさん。オーキスを追い詰めて始末するためには、あなたにも協力してもらわねばなりません」

シルヴィアは、ミレイユと万梨亜を優しく取りなしてから、メーガンをにらみつける。
オーキスの行動の元凶とも言えるメーガンは、おそらくこの事態の成り行きをすべて把握していたことだろう。
何か言ってやらねばならないと思ったシルヴィアだったが、言葉を飲み込む。真実は、オーキスの口から語られねば意味がない。

「分かった」

シルヴィアの返事に、戦闘中のタロット使いたちの声がアストラルクスを伝って聞こえてくる。

『頼んだよシルヴィアっ!』

『あとでご飯おごって!』

『オーキスは船の展望デッキだ。ナビは任せとけ』

シャルロッテ、舜蘭、雫の声が聞こえる。それに混じって、言語化できないような嬌声をあげる霧依の叫び。そして、ヴァネッサが最後に語る。

『シルヴィア、お前はお前の正義をやりな。失敗した時は、私がなんとかしてやるよ』

力強い『皇帝』の言葉に、シルヴィアは「ああ」と短く返事する。
その場のタロット使いたちの言葉を背に受け、メーガンに誘われながら、もはや形状をほとんど留めていない客船の展望デッキへ向けて走り出した。

雫のナビ通り、オーキスは血族ダエモニアの少女を伴って展望室に居た。マンハッタンの摩天楼を眺めていたオーキスは、突然の闖入者に驚くこともなく、背中を向けて語る。

「君が生きているということは、私の実験は失敗したということか。シルヴィア・レンハート君」

シルヴィアとメーガンへ振り返ったオーキスは、不敵に笑う。

「ワンドエースは消えた。お前の計画とやらは、ここで終わりだ」

「そう結論を急ぐな。私にも、そこのタロット使いに聞きたいことがある」

オーキスは、懐から拳銃を取り出し、メーガンへと向ける。

「はて、私が何かしましたか?」

「やはり貴様だったか。懐かしいよ、吐き気を催す、そのすかした声……。あの時は声しか聞こえなかったが、ようやく私にも貴様が『見える』」

銃口を向けられたメーガンは、肩をすくませた。
笑顔の仮面を貼り付けたまま、嘲笑するような口調で言い放つ。

「覚えがありませんね。あいにく、地下暮らしのモグラに語る名前など持ち合わせてはおりませんので」

「都合の悪いことは忘れたフリか、レグザリオの犬めッ!」

言い切るや否や、オーキスはメーガンへ向けて発砲した。
メーガンは空間を歪ませ、弾丸の軌道を操作しようとする。だが、オーキスの放った弾丸は空間の歪みを無視して直進。純粋な直線軌道を描き、メーガンの耳元を掠めた。

「おやおや、これは分が悪いですね」

後れ毛を吹き飛ばされたメーガンは、耳元を手で拭う。
異常なまでの怨念によって具現化されたそれは、絶対に狙った場所を撃ち抜く凶弾と化していた。

「次は貴様の肺に穴を開けてやる。ソフィアにやったように、苦しんで死ね」

二発目の銃声が響き、不可避の弾丸が放たれた。
メーガンは空間を操作するも、軌道は逸れない。迫りくる凶弾が狙った場所へ飛ぶことを察したシルヴィアは、鞘から剣を抜いた。
逸らせないなら、壊せばいい。
白銀の切っ先が死を砕き、無数の破片へと変えた。

「……お前も諦めが悪いな」

「ああ、その通りだ。この程度は計算の範囲内でね」

オーキスは、傍らに居た血族ダエモニアの心臓へ手を突き刺した。苦悶に震えるダエモニアの少女の体内をかき回し、黒い怨嗟を吹き出し続けるコアを奪い取る。

「ワンドエースを失おうとも、私にはまだこれがある」

そしてオーキスは、掌の中で律動を繰り返す少女のコアを、自らの心臓に押し当てた。コアは黒い霧となって溶け出しながら、オーキスの体内へと取り込まれていった。

「自らダエモニアになる道を選ぶのか……!」

自らの両手を見つめたオーキスは、拳を作る。頑強に結ばれた指の隙間からは、ダエモニア特有の黒い負の感情が放たれていた。

「さあ、この私を止めてみろ。シルヴィア・レンハートッ!」

咆哮したオーキスは、拳を掲げて吶喊した。




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