幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

最終章/幻影に舞う白銀_10

オーキスの右拳は、シルヴィアの掌で受け止められていた。押すことも引くこともできず、その場で完全に止められた。
もう片方の手を延ばすも、そちらもシルヴィアが受け止める。
放たれる光と闇は、明暗の境界線をはっきりと分けた。

「……滑稽だな。貴様の正義など、結局は理想論でしかない。実現性の限りなく低い、狂った世迷い言だ」

言い放ったのはオーキスだった。
互いの手を組み合ったふたりは、顔と顔を付き合わせ、肉体を、そして強靱なイメージを戦わせ、ぶつけ合う。

「理想論でも妄言でもいい。私は、そうして救ってきた。そしてこれからも、正義の理想の体現者となって、人々を救い続ける!」

「自らの矛盾を理解していながら、なぜ私に刃向かう! なぜ根源治療の芽をなぜ摘もうとするッ!」

負の感情が毒霧となってオーキスの体躯から吹き出した。黒い濃霧はシルヴィアはおろか、展望デッキ全体を包み込む。
黒い闇の中で、シルヴィアはオーキスの上体を受け止めていた。言葉足らずの会話でも、オーキスの積み上げてきた感情は、シルヴィアには手に取るように分かった。

「……お前は、道を誤ったんだよ。正義は、己の欲望や願望を叶えるために存在している訳じゃない」

「窮屈だな、貴様の正義とやらは!」

かつてメーガンから同じ言葉をぶつけられたことをシルヴィアは思い出す。
以前は憤り、メーガンと対峙した。しかし今となっては、シルヴィアはその真意を理解する。

『窮屈さ』こそが、正義の呪いだった。
自らを正義の型にはめて生きることこそ、散っていった仲間のため、救えなかった人々のために負うべき代償だ。

「私は倒れるまで戦うと決意した。それは自らに科した罰だが、生きる目的でもある」

周囲を包む黒い霧は、シルヴィアの光によって払われた。
展望デッキは晴れ上がる。オーキスから漏れる怨嗟のオーラは、白銀の光で編まれたカーテンで隔たれる。

「ならば……!」

オーキスはシルヴィアの両手を振り払い、飛び退いた。
ダエモニアへと変容を始める体に、三本目の抑制剤を流し込む。咳き込むオーキスはどす黒いダエモニアの環流を吐き出し、濁り淀んだ双眸でシルヴィアをにらみつけた。

「その正義に殉じて、ここで果てろォッ!」

オーキスは、守りを棄てた。
確実にシルヴィアを屠るという決意が、見開かれた瞳や、弱点であるコアを晒した格好、振りかぶった豪腕から読み取れる。

差し違えるより他はない。
シルヴィアは、まぶたを閉じた。
迫るダエモニアの気配を全身にひしひしと感じる。そのもっとも濃い一点だけを確実に貫く、白銀の刃を想起する。

空想の鞘。
エレメンタルタロットから漏れ出る意志によって織り上げられたいくつもの騎士剣の束。無限に広い武器庫、剣が散乱した大広間に意識を移し、イメージの中へ飛び込んだ。
両手をかき分け、剣を探す。
ぎっしりと詰まった棚を、壁掛けの剣を無視し、大広間の奥へ。重い扉を何度もこじ開け、突き進む。
目の前には、際限なく想起される剣の山があった。
だが、シルヴィアが求めるものは、その程度の武器でも言葉でも意識でもない。
欲するのは、至高の剣。
シルヴィアが気づき、掴んだ正義をそのままに具現化する正義と呪いの宝剣。
いかなる状況に置かれようとも折れることのない白銀の意志。

何千何万何億もの捜索を経てたどり着いた理想の武器は、大広間から続く武器庫の最奥部にあった。
それは、なんの変哲もない、使い慣れた一振りの長剣だった。鞘の隙間から、まばゆいばかりの光が漏れている。

間違いなくこれだと分かる。
シルヴィアは、迷いなく空想の鞘から抜き取った。

     *

オーキスは、シルヴィアに覆い被さるような体勢で制止していた。
数秒の沈黙の後、バランスを崩したのはオーキスだった。胸元に取り込まれていたコアに、眩い白銀の長剣が突き刺さり、その隙間から体内を環流していたダエモニアの体液が流れ出している。

「なぜ……、だっ……。矛盾した貴様に、まやかしの理想しかない貴様に……なぜ私が、負ける……」

両膝をついたオーキスの体から、シルヴィアは白銀の剣を抜いた。コアの亀裂から怨嗟が吹き出し、霧散する。

「もとより正義は矛盾したものだ。いずれは私も、歪みに飲まれるだろうが……それまでは、自らの信じる正義を貫き通す」

オーキスの体内に入り込んでいたダエモニアのコアは霧となって消失し、体躯から放たれていたどす黒いオーラもアストラルクスの中に溶けていく。
シルヴィアは、選び抜いた至高の宝剣を、空想の鞘へと戻した。

「……どうした、殺さないのか? お前に言わせれば、私は人殺しだぞ」

「私はタロット使いであって人殺しではない。お前の処遇はしかるべき機関に任せる」

立て膝の姿勢から崩れ落ちたオーキスは、背後にあった壁へもたれかかった。胸元から流れていたダエモニアの環流は、人間の血液に変わっている。オーキスの周囲に、赤い血だまりが広がっていく。
弱々しく息を吐くオーキスは、シルヴィアの方を向いて小さく笑った。

「似ているな、ソフィアに。彼女も君のように、頑固な女だったよ。最後まで実験に反対していた」

シルヴィアは、忍ばせていたロケットを取り出す。くすんだ金色のロケットの中に、劣化しつつある男女の写真が入っている。

「……ソフィアの生家で見つけたものだ。このロケットは、お前が預かっておけ」

オーキスの眼は、胡乱に見開かれていた。
視界にロケットを捉えることができたのか、それとももう光が失われてしまったのか、それはシルヴィアには分からない。
オーキスの頭は、力なく垂れ下がった。

「それはできない相談だ。ダエモニアが消えた今、私の命運は決まっている」

コアが消失し、オーキスは人間の男性、ヨアンへと戻っていた。
ダエモニア感染者を元の人間へ治療する。本来は不可逆とされたダエモニアの治療は、皮肉なことに、虫の息となった彼の身に起こってしまっていた。
ヨアンは消え入りそうな声で、シルヴィアへ語る。

「シルヴィア、私を殺せ。制御不能のダエモニアになる前に、人の姿で……ヨアン・ドラクロワとして私を……殺せ……」

「…………」

シルヴィアは、答えなかった。
だが、ヨアンは、シルヴィアの意志を汲んだかのように、語る。

「正義は、二つ同時には存在できない。光が影を作るように、正義があれば、そこには必ず悪がある……」

そして男は吐血し、地面に伏せた。
血だまりはその場に広がり、ヨアンは赤い海の中へと沈んでいった。消え入りそうな声でシルヴィアへ語り続ける。

「私を殺して、お前が正義になれ……。正義のために殺すという罪を背負って、生きていけ……」

シルヴィアに対して呪いの言葉を吐く、それがヨアンにできる最期の抵抗だった。
ヨアンは震える手を持ち上げ、シルヴィアの居場所へと差し向ける。
血にまみれたオーキスの指先は、数え切れないほどの人間を殺してきた殺人鬼の手だ。だがそれは同時に、本気でダエモニアから人類を救おうとした正義のなれの果てでもあった。

シルヴィアは、自らの手を見る。
呪いを受けても救い続けるという決意をまばゆい剣に変えて、全身を震わせて呼吸を続けるヨアンを見下ろした。

そして。
シルヴィアはその日、悪を葬り正義となった。




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