幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NI MAU HAKUGIN

最終章/幻影に舞う白銀_最終話

その日のロンドンは、珍しく晴れていた。
朝方降った雨でしとどに濡れた石畳の道を、白銀の髪を結い上げた少女が歩いている。煉瓦とモルタルの古めかしい街並みを残す路地を抜けた先、市内中心部をとうとうと流れる大河が彼女を待ち受けていた。
見納めと思っていた汽船の往来と、ロンドンの湿った空気、そして幾ばくかの郷愁。少女はそれらすべてを肺の中に思い切り吸い込み、吐き出した。
そしてようやく、帰ってきたのだと理解する。
昼下がりの太陽が川面を照らす様子をぼんやりと眺めていたところで、少女のスマートフォンが鳴動した。

『おー、シルヴィア。元気か?』

「ああ、ちょうど散歩に出ていたところだ」

電話を掛けてきたのは、元上司のヴァネッサだ。
隊長という肩書きを微塵も感じさせない気安い言葉に、シルヴィアの声も自然と柔らかくなる。

『報告書読んだぞ。まとめてもらって悪いね』

「構わない」

一連の『オーキス事件』は、首謀者オーキスことヨアン・ドラクロワの死亡という結末によって幕を閉じた。
だが、タロット使いが対処した事件は、氷山の一角に過ぎない。今後の追加調査で、事件の全容が広範に及ぶであろうことは想像に難くない。政財界のフィクサーでもあった彼の死により、危ういながらも保たれていた世界の均衡すら崩れるだろうが、それは少女たちの管轄外だ。

シルヴィアは、川沿いのベンチに腰を下ろし、大きく伸びをする。

『ま、さすがに今回の騒動で上層部もレグザリオに懲りたろう。じきに本部のお偉方も方針変更するだろうな』

レグザリオの動きは、終始不審だった。
人々をダエモニアから救うというヨアンの研究を主導しながら、なぜ後になって裏切ったのか。なぜメーガンを仕向けてまで研究成果を隠蔽しなければならなかったのか。
レグザリオに対しての謎は積もる。
彼らはいったいなにを、どこまで知っているのか。

「そのお偉方とやらに説明しなくてもいいのか?」

『ん? ああ。ジャンケンで勝ったからな』

その言葉の意味するところはシルヴィアには分からなかった。
詮索する意味もないだろうと踏んだシルヴィアは、今朝方届いた報告書の話をする。

「永瀧支部の報告書を読ませてもらった。あちらも一波乱あったようだな」

『らしいね。いやー、新人ばっかの中、よく対処したもんだ』

『オーキス事件』と並行して、永瀧支部でも大騒動が起こっていた。
どうやら『本当の対消滅』を起こしたタロット使いが現れたらしい。彼女もシルヴィア同様、ドッペルゲンガーとの衝突によってアストラルクスから姿を消し、その後舞い戻ってきたという。

「本当の対消滅、か」

『なんだ、永瀧の『節制』使いがうらやましいのか?』

「そういう訳ではないが……。まあ、彼女達とは茶でも囲んで話のひとつでもしてみたいものだ」

「せやったら英国式のめっちゃうまい『お紅茶』ってやつをご馳走になりたいなぁ?」

軽い冗談のつもりで答えたシルヴィアは、聞き覚えのない声を耳にした。
とっさに振り向いたシルヴィアは、声の主と思われる少女を見つける。大荷物を持って旅行中らしい四人組の少女達の会話が、偶然にもシルヴィアへの返答となっていたらしい。

『あーっ!』

そのとき、電話口でヴァネッサが素っ頓狂な声をあげた。

「どうしたんだ急に」

『あー、お前。今日からそっちで永瀧の新人どもが研修するって知ってたか? うちのお嬢様ふたりと一緒に』

シルヴィアの背筋が一瞬で凍った。
ロンドン支部の研修予定など、まったく聞き覚えがない。

「な、永瀧の新人が研修だと!?」

思わずおうむ返しして聞き返したシルヴィアだったが、その声は川面を眺めていた四人の少女の耳にも届いていた。彼女達はそれぞれシルヴィアの方へ視線を向けるが、焦りを抑えきれないシルヴィアが、それに気づくはずもない。

「は、初耳なんだが……」

『そりゃま、言うの忘れてたからな! ハハハハハ!』

豪放磊落、といった様子で豪快に笑うヴァネッサに、シルヴィアは思わず眉間をつまんだ。

「忙しいのは分かるが、そういうことは前もって伝えてくれ……。こっちにも準備ってものが……」

「あの。もしかして……レンハートさん、ですか?」

シルヴィアに、四人組の少女のひとりが話しかけてきた。
太陽のように明るいナチュラルヘアを煌めかせる彼女は、どこか先代の『太陽』の使い手を彷彿とさせる。

「あっ、ああいや、ええとだな……」

いや、『太陽』の使い手を彷彿とさせる、どころではない。
『太陽』の使い手本人だった。

こちらを向いている四人の少女の顔をひとつひとつ見回して、シルヴィアはようやく、彼女達がその『永瀧の新人たち』であることに気づいた。
最初に紅茶の話をした騒がしい少女が、『節制』の白金ぎんか。シルヴィアの正体に気づいて話しかけてきたのが『太陽』の太陽あかり。そして、あかりの隣に佇む少女が『月』の月詠るな。そこから一歩引いたところで、『星』の星河せいらが仲間達とシルヴィアを眺めていた。

硬直したシルヴィアと、返事を待つあかり。
ふたりの作り出した沈黙に、るなが慌てながら割り込んでくる。

「あ、あかりさん。人違いかもしれませんから……」

あかりの肩に手を置きながら、るなはシルヴィアに頭を下げる。クエスチョンマークを浮かべるあかりに、今度はせいらと、ぎんかが声を掛ける。

「るなの言う通りだ。そう簡単に目的の人物に出会えたりしない」

「せやで~? そもそもレンハートさんはかなりのやり手や。そんな人がこんなところでのんきに電話なんてせえへんやろ」

返答を考えあぐねていたシルヴィアの退路を、少女達は奇妙な一体感でもって塞いでしまった。
シルヴィアは少女達から目を背け、小声で電話口のヴァネッサに詰め寄る。

「も、もう来てるじゃないか……! なんの準備もできていないぞっ……!」

『あー、悪い悪い』

何の誠意も感じられないヴァネッサの謝罪を聞き流し、今日の予定を頭の中に浮かべる。川向こうの時計塔で時刻を確認しようと顔を上げたその時、二人の見知った少女と目が合った。

「お久しぶりですね、シルヴィアちゃん」

「シルヴィア様~っ!」

四人の少女達とは別の方向から、大きなスーツケースを携えたミレイユと万梨亜が声を掛けてきた。
だがふたりの声は、『人違い』だと思っていた四人の少女達の耳にも届いてしまう。

「ん~? そういやこの人、どっかで見たことあんな?」

「もしかしてこの人が、ロンドン支部の伝説の……」

ぎんかとせいらが、まじまじとシルヴィアを見つめる中、るなが声をあげる。

「あっ、お久しぶり、です。皇さん、優希さんっ」

るなは、ミレイユと万梨亜に恭しく会釈をした。ミレイユと万梨亜も同じく会釈を返し、彼女の方へ駆け寄った。

「るなちゃん……! よかった、元気そうで……!」

「あら。もうこちらへ着いていましたのね、るなさん達は」

万梨亜ら三人は、どうやら元々の家柄の関係で以前からの知り合いだったらしい。久しぶりの再会に話の花がひとしきり咲いた後、六名のタロット使いの視線は必然的にシルヴィアへと集まっていた。
シルヴィアは、とにかくこの場を逃れようと電話を再び耳に近づける。

『おーおー、全員揃ったみたいだな。それじゃ、私はシエスタの時間だから後は任せた』

「ち、ちょっと待て! そっちはまだ午前中だろう!? 寝るな!」

言うだけ言って、ヴァネッサは、雫がやるような丸投げを残して電話を切ってしまった。機械的なコール音は、ただ『電話が切られた』ことだけを単調なリズムで繰り返し語っている。
力なく電話を下ろしたシルヴィアへ、あかりが練習してきたであろう言葉を叫んだ。

「な、永瀧支部から研修に来ました、太陽あかり以下四名ですっ! よ、よろしくお願いします」

「あ、ああ……」

シルヴィアは、冷や汗が額を流れ落ちないようにすることで精一杯だった。

     *

一方、談話室で電話を終えたヴァネッサは滑るようにスマートフォンの電源をオフにし、シルヴィアからの追撃を受けない逃げの姿勢を取る。

「お~、くわばらくわばら」

そしてそのままソファに横になり、午前中から長いシエスタに突入した。

「……うちの隊長、また伝え忘れてたっぽいね」

「面倒な上司を持つと苦労するよな、お互い」

その場に待機して一部始終を見守っていたシャルロッテとエレンは、寝息を立てて居眠りを始めたヴァネッサの様子を見てため息をついた。
オーキスの消失によって、緊急出動も減っている。談話室は暇を持てあましたタロット使い達のたまり場になっていたのだった。
そんな気だるげな空気を一掃するように、鬼気迫る表情を浮かべたマルゴットが扉を開け放った。

「舜蘭とクリスティンを見ませんでしたかっ!?」

「舜蘭は食い倒れの旅に行ったよ~」

「クリスティンは『仕事』って言ってたな。大荷物持って、楽しそうに」

「また……逃げられた……」

待機中のふたりがそれぞれの行き先を告げると、マルゴットはがっくりと項垂れて壁に体を預けた。おそらく、経費の使い込みが発覚したのだろう。
その時、ダエモニア発生を告げるアラームが鳴り響く。

「もう、こんな時にっ! 雫、発生源は!?」

談話室のモニタに、耳掃除の途中らしい雫が映った。
有事だというのに雫はだらけた表情のまま大あくびをひとつ。煩わしかったのか、けたたましく鳴り響くダエモニアのアラートを消した後で、モニタにアメリカ支部の見取り図を表示させた。
点滅するのは、とある地下室。どうやら発生源は霧依らしい。

「あれほど言ったのにまた妙なモノを持ち込んで……! 霧依、今日という今日は許しませんからね~ッ!」

マルゴットは血相を変えて談話室を飛び出していった。
その様子にまた雷が落ちるであろうことを予期したシャルロッテとエレンは、その場で顔を見合わせて肩をすくませる。

「アタシらも寝とくかぁ~」

「そうだねぇ、寝たふりしとこ」

狸寝入りで静まりかえった談話室。
そこから扉一枚隔てたバルコニーで、ルーシアは春のうららかな光を浴びながら、遠くに見える街並みをぼんやりと眺めていた。

「…………」

土の臭いも血の臭いも遠のいた大都会の景色は、ルーシアの過ごした少女時代とはかけ離れていた。それでも、かつての情景だけはいつでも鮮明に思い出すことができた。

「……みんな死ねばいいのに」

その口癖は、ルーシアがタロット使いを辞めるその日まで続くだろう。
すべての人間が消え去って平穏になった世界、それを見たいがためにルーシアは戦い続ける。名実ともに、ひとりぼっちになるその日まで。

     *

永瀧支部を訪れたメーガンは、エティア、アリエルの双方に『オーキス事件』の真相を『報告書の通りに』説明していた。
シルヴィアがまとめた報告書の中では、オーキスはあくまでも『自らの研究を反故にしたレグザリオへの復讐のために行動に及んだ』ことになっていた。オーキスの数ある動機のひとつであったオーキスとメーガンとの因縁については、一切記述がなされていない。

メーガンはそこで、シルヴィアの意図に気づいた。
報告者のシルヴィアは、メーガン自身へ追及が向かわないよう、あえてこの部分を削ったのだ。『借り』を作ってしまったことを悟ったメーガンは、沸き上がる感情を殺し、淡々と事情説明を終えた。

「……以上で報告は終わりです。やれやれ、ジャンケンひとつでとんだ貧乏くじでしたよ」

険しい表情を浮かべるエティアとアリエルは、周囲にネコとカラス――レグザリオの目がないことを確認して、背もたれに体を預けた。

「……どう思いますか、アリエル」

問われたアリエルは、ただ一つだけ頷くことでエティアの考えに同意を示した。
アリエルは椅子から立ち上がり、永瀧支部の指揮室の窓を開けた。あたたかで開放的な春風に長い髪の毛を揺らしながら、アリエルとメーガンに目配せして呟く。

「エレメンタルタロットの使い手が全員揃った今こそ、頃合いかもしれませんね」

 

風が、窓の外の桜を揺らす。
こぼれ落ちた花びらは吹き抜ける風に乗って、晴れ上がった蒼穹へ飲み込まれていった。

 

二十二名のタロット使いは、これから先も戦い続けるだろう。
彼女達の信ずる意志や理想、もしくは野望が成し遂げられるその日まで。
誰にも顧みられることのない、この生と死の境界線上にたゆたうアストラルクスと呼ばれる世界の中で。

 

幻影に舞う白銀 Fin




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