幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第一章 かくて少女は地に堕ちぬ/01

調べ物も暇潰しも、誰かと繋がることすら0と1の電気信号で叶えることができる時代。ネットは世界を隈なく覆った蜘蛛の巣だ。ヘアアレンジの手順から毒薬の製造法、ガールズトークから援交の方法まで雑多に際限なく捕らえては、コトもモノもカネも、時にはヒトすら逃がさない。
だけど、この世界からログアウトする方法はひとつだけある。

身長162センチ、体重49キロ。少女の体内を循環するおよそ3リットルの生命維持装置は、その半分を失うことで強制終了(シャットダウン)する。
――手順は頭の中にあった。
浴槽に湯を張って、スマホを放り投げる。少女を苦しめた繋がり(・・・)は、湯船の底で静かに暗転した。これで少女は晴れて、少女の世界(クラスの輪)から解放される。
――手段も右手の中にあった。
右手に握った刃の駒を進める。真新しいナイフのストッパーが奏でる音に迷いはない。ただ単調に、無感情に、カウントダウンでもするように刃が伸びていく。限界まで伸びきった数センチ程度の刃渡りでも、少女の細腕には充分だった。
握りしめた凶器を左手首へ沿わせ、食い込ませる。右手を勢いよく引けば、薄い鉄製の刃は皮膚を、肉を、その奥の血管を引き裂くことができるだろう。
――覚悟はすでに決まっていた。
刃を強く引いた。腕はヴィオラ、ナイフは弓であるかのように、躊躇のないフォルテッシモを奏でる。悲鳴と鮮血が舞い散るソロは終わらない。血液の生ぬるさも傷口に走る鈍痛も無視して、手首の弦(・・・・)を断ち切らんばかりにアップ、ダウンボウを繰り返す。
それはまるで、自身に捧げる鎮魂歌だった。
狂気のソロは、途中で終わった。血潮が湯の中に淡く溶けていくように、悲鳴も嗚咽も、少女の意識すらまどろみの中に溶けていく。

さようなら、世界。さようなら、まりん(・・・)
だけど、と薄れゆく意識の中で少女は思う。
本当にこれでよかったのだろうか――

*  *  *

任務から戻ったあかりを待ち受けていたのは、急遽執り行われることになった緊急会議だった。永瀧の講堂にも似た会議室に着くなり、タロット使い全員を招集した張本人、エティア・ヴィスコンティが教壇に立って話を切り出した。
「集まってもらったのは他でもありません。先ほど二例目を確認した新型についてです」
エティアは余津浜に居るタロット使い全員と目を合わせた後、教壇背後のモニタに大写しになった各地のタロット使い達に目配せをする。
「では雫さん、映像を」
怠そうな声を上げて、雫は手元のタブレットPCを叩いた。先ほどのダエモニア――ドールハウスのダエモニアが巨大化するまでの一部始終がモニタに再生される。拡大、ノイズ除去、コマ送り。その場で映像解析を試みるも、ダエモニアのどこを探してもコアらしきものは見当たらなかった。
『なるほど。こりゃあ確かにこれまでとは別モンだ』
『ダエモニアが進化した、ということかもしれないな』
遠隔地で同じ映像を見ていたであろうヴァネッサとアリエルが口を揃える。対ダエモニア戦闘の専門家二人の推察に、各地のタロット使い達は息を呑み込んだ。
「あかりさん、ぎんかさん。映像ではコアを確認できませんでしたが、実際はどうでしたか?」
「えっと、映像の通りです。弱点がないから、手の打ちようがなくて……」
新型ダエモニアには、従来のダエモニアにあるはずの弱点――コアがなかった。
それは隣で首肯するぎんかだけでなく、あかり自身も目の当たりにしたことだ。古城のドールハウスで傍若無人に振る舞っていた三体の人形が混ぜ合わさって、巨人へと変化した。それだけでも経験したことのない事態なのに、ダエモニアは新型だという。
エティア達の議論をよそに物思いに耽っていると、ぎんかに脇腹を小突かれた。
「……あの三人組のことはええんか?」
ぎんかの耳打ちに、あかりはハッとして背筋を伸ばした。繰り返し再生される映像の直後に登場したアルテミスら三人組のことが全く議論されていない。自らをなり損ない(・・・・・)だと語った彼女達の一切は謎に包まれたままだ。
『新型ダエモニアの情報は掴んでいないのか、クリスティン』
『あいにくだけどシルヴィア。私は人間にしか興味がないのよ、霧依と違って』
だが、あかりの疑問を差し挟む余地もなく、議論は粛々と進んでいく。質問の機会を逸したあかりは、壇上に居るエティアに視線を戻した。
タロット使い達の情報交換がひと通り終わったのを見計らって、エティアが問いかける。
「以前、ルーシアさんが新型ダエモニアに対応したと聞きました。説明いただけますか?」
指名されたルーシアは、フードを目深に被ったまま小さな声で語り出した。
「……新型ダエモニアが巣くうのは、人々の総意や集合無意識。普通のダエモニアみたいな、誰か一人が抱いた強烈な負の感情じゃなくて、もっと多くの人間がなんとなく考えてるようなこと」

ルーシアが語ったのは、かつてあかりも関わったとある事件(・・・・・)のことだ。
あの時初めて存在を確認された新型ダエモニアの正体は、孤児院の子ども達の総意が元になって発生したものだった。孤児達が共有していた『寂しさ』に巣くったダエモニアは、「母親が欲しい」という宿主達の総意を叶えるべく、母子の連続失踪・焼死事件を引き起こしている。

『それで、何をどうすれば倒せるのかしら? みんなが知りたいのは原因より対処法だと思うけど』
メルティナが説明を促すと、ルーシアは面倒臭そうに続けた。
「集合無意識との繋がりを断ち切ればいい。うまく()れば、取り憑かれた人間は助かる」
『ダエモニアから救う方法があるんですね……』
思わず口を突いて出た万梨亜の言葉で、会議の空気が変わった。

新型ダエモニアであれば、罹患した人間を殺害することなく救うことができる。
ダエモニアに取り憑かれた者は助からない。その事実を否応なく味わってきたタロット使い達にとって、新型ダエモニアの存在はある意味では希望だ。

『そうか』
一言だけ告げたシルヴィアも、安堵の表情を浮かべた万梨亜も、その隣で神妙な面持ちを見せるせいら、るなもきっと同じ想いだろう。あかりは、隣に座るぎんかと目を合わせ、頷き合った。

――助けられるなら、助けたい。もう二度と、冬菜のような犠牲者を出したくないから。

ルーシアの説明を引き取って、エティアは会議の総括に取りかかった。
「整理しましょう。我々、セフィロ・フィオーレは新型ダエモニアを敵として認定、討伐対象とします。ただし、これまでのように討伐せよとは言いません。各自の判断に任せます」
助かる見込みがあるのなら助けるべき。セフィロ・フィオーレの長としてそう判断して、エティアは会議を締めくくろうとした。
その時だった。

「ちょっと待った! 新型よりも重要なことがあるでしょ!?」
調子外れなシャルロッテの叫び声が議場に響いた。目を見開いたエティアに、シャルロッテはまくし立てる。
「変な三人組が出てきてダエモニアを一方的にやっつけてたんだけど!? あかり、説明してやって!」
「わ、私なんですか!?」
説明を丸投げされて焦るあかりに、エティアがゆっくりと問いかける。
「そうなのですか、あかりさん?」
「は、はい、その……。三人組の女の子がやってきて、自分達はタロット使いのなり損ないだって……」

「おそらく第一期生(・・・・)の話でしょう、ミス【太陽】(ソレイユ)
あかりの疑問に答えたのは、にたにたと威圧的な笑みを浮かべたメーガンだった。途端、全員の視線がメーガンに注がれる。
『説明してもらおうか、メーガン隊長』
冷ややかなシルヴィアの問いかけに、メーガンは笑顔を張り付けたまま答える。
「なあに、心配は要りません。話せることは限られますがね」
それきり、メーガンは言葉を断った。これ以上話すことはない、という無言の意思表示をモニタの向こうに居るシルヴィアに突き刺して、議場から立ち去る。
「……メーガン部隊長の言うとおり、彼女らは試験運用中です。詳細を話すことはできませんが、確かに言えるのは、彼女らが協力者であるということです」
そう結んで、エティアは会議を解散させた。三々五々に散って行くタロット使い達を見送ったあかりに、ぎんかが静かに耳打ちしてくる。
「なあ、あかり。ちょっと調べてみん?」
「調べるって何を?」
ぎんかはニヤリと笑って、あかりの手を引いた。
「いろいろ、やな」




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