幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

序章/03

 不夜城勤めの騎士である私は、麗しの姫君と恋仲になった。俗っぽい言い方をすれば、カノジョというものだ。これまで散々こけにしてきた恋愛は、いざ身を置いてみれば薔薇色の日々と蜜の味。気のない振りをして独身を貫く同僚の騎士どもに春風と先輩風を吹かせて回りたいほどに、私は浮き足立っていた。
 だが、そんな愚かな真似はしない。私が浮かれポンチになることを見越してか、彼女は忠告をひとつくれたのだ。

 『社内恋愛のことは秘密ですよ、先輩』

 姫君曰く、恥ずかしいから。そう語った時の、照れて頬を染めた表情があまりにも愛おしく、さらにそれを独占したくて、私はこの秘密を守る誓いを立てた。
 殺伐としたオフィスの中、隣り合った者同士が交際関係にある。
 しかも、相手は絶対に手が届かないと思われた高嶺の花。清楚で美麗で、品行方正な姫君が、一介の騎士に過ぎない私を好いてくれている。互いに互いを愛し合う、両想いの関係にある。
 そんなことを想像するだけで、私のすさんだ心は春の陽気に浮かされる。
 だがこの時の私は、姫君が抱えた秘密を知らなかった。

「相談があるんです、先輩」
 再び姫君に呼び出された私は、にわかには信じがたいことを耳にした。

 彼女は、借金返済のために夜の仕事をしているという。

「本当は言いたくなかったんです。不潔だと思われたくなくて……」
 姫君の言葉で思考停止した頭脳に鞭を打って、私はかける言葉を探した。
 不夜城の仕事とは別に、父親の借金返済のため泣く泣く働いている裏稼業。彼女がいつも遅刻ギリギリでオフィスに滑り込んでくる理由は、そうした二足のわらじが原因だった。
「お付き合いしているから、本当は辞めたいんです。だけど、お金が……」
 姫君は、一点の穢れなき清廉潔白な女性。そう思い込んでいた私にとって、その理想像とかけ離れた告白はあまりにもショックだった。
 だが、姫君は私との交際を真剣に考えている。真剣に考えているからこそ、不貞行為と思われかねない裏稼業から足を洗おうと真剣に悩んでいる。それだけは真実だ。
 そんな姫君に対して、私ができることは何か。
 騎士が見せる誠意とは何か。
 そんなことは、考える間でもない。

 私は、あらん限りの預金を引き出し、姫君に差し出した。
 願わくば、この端金が水揚げに繋がればと願って。

      *  *  *

 湧き出たダエモニアは、霞みがかった煉瓦造りの街並みの中に消えていった。
 ロンドン旧市街。この地で上梓された名探偵の推理力、あるいはスパイの優れた洞察力をもってしても、解決することのできない事件がある。
 なぜなら事件は、人間の理解が及ぶ世界――物質世界から一段上の、星幽世界(アストラルクス)で起こっているのだから。

「お疲れさま、シルヴィアちゃん」
 ナース姿の優希万梨亜が、シルヴィア・レンハートの着衣についた埃を払いながら言った。
「ああ、そちらも」
 簡素なれども礼節を。サポートしてくれた万梨亜に短いながらも気遣いを返して、シルヴィアは手にした白銀の長剣をエレメンタルタロットに戻した。背後では、役目を終えた彼女の召還獣――銀騎士デュランダル――が光の粒となって消えていく。
「結局、ダエモニアの真相は霧の中。残るのは謎だけか」
「あかりさんは、今は余津浜のはずだから」
 太陽あかり。ダエモニアの声が聞こえるというタロット使い。
 彼女の存在を知ったとき、シルヴィアが抱いたのは希望と羨望だった。

 シルヴィアにできる救済は、喩えるならば末期患者の安楽死。根本的に人間をダエモニアから救う方法を探し求めたが、とうとう見つけることは叶わなかった。
 しかし、光明があった。不気味な叫び声を上げるだけだったダエモニアと、言葉を交わす能力がこの世に存在したのだ。
 その力があれば、負の感情に苛まれて異形の怪物と化した人々を治療することができるかもしれない。それも、正義とは名ばかりの白銀の剣で、善も悪も有無を言わさず斬り伏せる以外の方法で。
「殺す以外の方法があれば、な……」
「ええ、苦しみや悲しみを吐き出す手伝いが少しでもできたらいいんだけど……」
 ダエモニアを治療できるかもしれない、対話能力。その真相を知りたくて、シルヴィアは彼女達を新人研修名目でロンドンに呼び寄せた。
 だが、答えは明白だった。あの力は言わばあかりの天賦の才。シルヴィアに扱えるものではない上に、対話ではダエモニアは救えなかった。

「……声が聞こえるだけでは救えない、か」
 自分に言い聞かせるよう告げたシルヴィアは、アストラルクスに空いた穴から人気のない路地へ舞い戻った。正午を知らせるウエストミンスターの鐘が、遠くから響いている。
「きっと他にも方法があると思うの。まだ見つかっていないだけで」
 心配そうな面持ちの万梨亜を見て、シルヴィアは自身の表情が必要以上に強ばっていることに気がついた。どうやら自分は、自分が考えているよりも他人を――特に万梨亜を――不安にさせる表情をしているらしい。
 シルヴィアは、万梨亜が安心できるようにゆっくり口角を上げた。
「ああ。どれだけ時間が掛かっても、人々を救う方法を探してみせる。それが私が成す正義だ」
「でも、無理はだめよ。シルヴィアちゃんはすぐに無理をするから……」
 心配もよそに、シルヴィアは万梨亜の手を取って歩き出す。ヒールを履いた万梨亜に歩調に合わせて、石畳を二人、コツコツと鳴らす。
「まあ、淑女(レディ)に心配をかけない程度にね」
「シルヴィアちゃんだって淑女でしょう?」
「女が英国紳士(ジェントルマン)を買って出て、注意されたという話は聞かないが?」
 頑なにエスコートをやめようとしないシルヴィアに、万梨亜は眉をハの字に曲げて微笑んだ。
「本当、おとぎ話の王子様みたいなんだから」
「紳士と呼んでほしいね。あるいは、『女帝(クイーン)』を守る『正義』の騎士(ナイト)と」
 おどけたフリをして、シルヴィア達は目抜き通りを進む。通りすがった誰もがため息を漏らして振り返るほどの、理想的な紳士と淑女として。

      *  *  *

 騎士として姫君をリードするため、私は転職を決意した。
 行動に移してみれば、暴君の元で奴隷労働をしていることが愚かしく思えるほど、巷には仕事があふれていた。スキルと人間性が正当に評価され、あれよあれよという間に私は新興IT企業の内定を手に入れた。

 視野が広がると、世界が輝いて見える。最寄り駅も、見慣れた住宅街も、近所の公園で無邪気に走り回る子ども達さえも。
 かつてうるさいだけだと毛嫌いしていた近所の子ども達が、急に愛おしく見えてくる。この子が姫君との間に産まれた子どもなら、と。姫君に似てパッチリした眼なら、と。そうした予定はおろか、婚約すらまだだというのに、幸せな妄想に浸っては気を引き締めて仕事に精を出す。
 希望にあふれた人生の、なんと晴れやかなことか。
 互いに愛し、愛されるサムワンが存在することのなんと素晴らしいことか。
 私は、この世の春を謳歌している。謳歌の歩みを止める訳にはいかない。

「辞めるだと? お前みたいなヤツが他でやっていける訳ないだろう!」
 暴君の叱責に臆することなく、私は内定書面をデスクに叩きつけた。資本金、ビジネスモデル、待遇、極めつけは経営者のおつむの中身(・・・・・・・・・・)と、すべての面で不夜城を上回っていた。
 自らの敗北を認めず、なおもわめき散らす暴君に、私は違法残業の証拠で追い打ちした。この事実を密告させたくなければ転職を認めろ、と暗に示してやったのだ。
「返事は来週まで待て」
 暴君はそれきり沈黙した。本当は今すぐにでも辞めたいが、姫君は不夜城に残る。その他、同僚の憐れな騎士達にも何かを残してやりたい。
 残された時間で、私は引き継ぎ資料を作ることにした。仕事の資料に加えて、いざとなればいつでも会社を潰すことのできる違法残業の証拠を添えて。
 


« Prev:
» Next:


TOP