『……かりして、あか……さ……!』
最初、認識できたのは一面の暗闇だった。そう認識した主体が自分自身――太陽あかりだと思い出した途端、全身を押し潰すような気だるさに襲われる。
『……あかりさん……しっかりして……!』
嗚咽混じりに名を呼ぶのは、月詠るなだろう。どうして彼女の声が聞こえるのか分からなかったけれど、心配されていることは伝わった。あかりは唇を動かして返事をする。
「るな……ちゃん……?」
『あかりさんっ!?』
重たいまぶたを開くと、医務室のベッドの上だった。余津浜市の外れ、緑地公園近くに建つ洋館の一室。出窓を覆うレースカーテンの向こうには、澄み切った青空が広がっている。
ここは物質世界。人間が暮らす日常の世界だ。
『あかりさん! 私が分かりますか!?』
出窓とは逆――声がする方へ重たい首をひねると、小さなモニタにるなの姿が映っていた。瞳いっぱいに貯め込んだ涙は、今にもこぼれ落ちそうだった。
「分かるよ、るなちゃん……。私、どうしてここに……?」
『アストラルクスで遭難したことは覚えていますか?』
るなの言葉で、あかりは自らの身に起きた出来事を思い出した。
――アストラルクスへの転移失敗。最後までイメージを保てなかったがために、転移した時にはすでに満身創痍だった。
「そっか……私……」
「上昇機関なしでの転移は、慣れない間は禁止と言いましたよね、あかりさん」
ベッドサイトのパイプ椅子に座るエティアが静かに告げた。あかり達を優しく包む、いつものような柔和さはない。わずかに眉をつり上げて、厳しい口調で続ける。
「どうして使用を義務づけていると思いますか」
問われて答えに詰まった。その理由を身をもって知った以上、返す言葉もない。そんなあかりを見越してか、エティアは強ばっていた頬を緩めた。
「……ですが、助かってよかった。お帰りなさい、あかりさん」
エティアの温かな手に頬を撫でられた。規則違反を許されたということだろう。胸をなで下ろしたあかりは、モニタの向こうのるなが安心できるように笑顔を作る。るなの頬を安堵の涙が伝い落ちた。
「ご心配をおかけしました……。るなちゃんも、呼びかけてくれてありがとう」
『ううん……。あかりさんが無事なら、私はそれで……』
「あとは私に任せてください、るなさん」
るなに礼を言ってモニタの電源を落とすと、エティアは怖いくらいの笑顔をあかりに向けてきた。
「じゃあ、おしおきの時間ですね」
「え……エティアさん……もしかして、怒ってます……?」
「怒っているように見えますか?」
眉間をひくひくさせたエティアの笑顔を目の当たりにして、あかりは許された訳ではなかったことに気づいたのだった。
* * *
「ぎんかさんとお二人、しっかり反省してくださいね」
余津浜支部地下、鉄格子で組まれた懲罰房に笑顔で押し込まれたあかりは、高く積み上げた座布団の上に座るぎんかを見て唖然とした。
「ぎ、ぎんか……? どうしたの、その格好……?」
新人部隊四人の中では一番美容に気を遣うぎんかとは思えない、ボサボサに爆発した頭。いつものパリっとしたセーラーカラーも、折り目が入ってよれよれになっている。ぎんかとは思えない薄汚れ具合だ。
「……あかり、まあ座ろうや」
「う、うん……」
かたや積み上げた座布団の上、かたや冷え切ったコンクリートの床。
できればクッションが欲しいあかりだったが、「私も座布団が欲しい」とは言い出せない。くたびれきったぎんかは、どこか威圧的なオーラを放っている。まるで牢名主だ。
「まずは、二人揃って無事やったことを喜ぼう、な?」
「そうだね……」
「ところで、ウチは三日間ここに居る。……どう思う?」
問われたあかりは周囲を見渡した。鉄格子の内側、牢屋の壁に掛けられた日めくりのカレンダーは、あかりが認識している今日の日付から数日ズレている。
「つまり、ウチの方がここに居る期間が長いんや。どういうことやと思う?」
「私、三日間も眠ってたんだね……」
問いかけにそう答えると、ぎんかはがくりと肩を落とした。どうやら間違いだったらしい。
「ちゃうやろ!? この牢屋で先輩なんはどっちや!?」
「それは……ぎんかだけど……」
「せやったらホラ、なんか言うことあるやろ? ぎんかちゃんの肩揉ませてくださいとか、ぎんかさんの美しい髪を解かしますとか、ぎんか様のセクスィーなお背中お流ししますとか!?」
「……ちょっとずつ大げさになってない?」
「いや、そこやのうて!」
ぎんかの鋭いツッコミの直後、女性らしさとは無縁のバカ笑いが鉄格子の外から聞こえてきた。腹を抱えてヒイヒイ笑っているのは、あかり達が投獄された遠因のうちのひとり――エレン・ライオットだ。
「牢名主ごっこかぁ? アイオーンのくせにバッカだなあ、お前!」
マンガみたいに「ギャハハ」と笑うエレンに、ぎんかは鉄格子にのめり込む勢いで詰め寄る。
「この際やから言わせてもらうけどな! ウチらが単独転移を試したんはアンタらの新人いびりが原因なんやで!?」
「ぎんか、それ……」
まごうことなき逆恨みだったが、それを言い出すと火に油を注ぎそうなので黙っておく。
「そう怒んなよ。雑用はジャンケン制になってな、今ごろシャルのアホが頑張ってるよ」
普段からムチャクチャを言うシャルロッテがトイレを磨いている姿を想像したのだろう、ぎんかは溜飲を下げたのか座布団の上に戻った。
「……それを言いに来たんか?」
「話は、三人組の件だ。メーガンが隠し立てしてる連中だよ」
ひとしきり笑い終えたエレンは、近くの椅子に腰掛けた。そして真剣な面持ちで、鉄格子の向こうのあかりに問いかける。
「説明しろ。お前、転移先で何を見た?」
朧気な記憶を辿りながら、あかりは答える。
「私が見たのはあの三人組と、もうひとり……」
「もうひとり……?」
「四人目の仲間か?」
二人からの問いかけに、あかりは首を横に振った。
「仲間というよりも、あの人……鈴掛みなとは……」
だが、あかりは言いかけた言葉を呑み込んだ。なにぶん記憶が曖昧なことに加え、眼前で起きた出来事が未だに信じられない。幻を見たのかもしれない。
「要は三人組にとっちゃ敵っぽいが、よく分かんねえってトコか?」
首肯したあかりに、エレンは「報告と違えぞ」と呟いて舌打ちした。
「メーガンが何を企んでるかアタシには分かんねえ。同じ部隊でも、アタシとルーシアはケンカ屋だ。雫や霧依、クリスみたいに情報で戦ってる訳じゃねえ」
エレンの所属する通称・悪魔部隊は、メーガン以下五名で構成されている。ロンドン研修であかり達を指導したシルヴィア所属の部隊と決定的に異なるのは、タロット使いの運用方法だ。通常戦闘がメインのシルヴィアらに対して、メーガン部隊の主軸は情報戦にある。
「正直、アイツのやり方は気に食わねえ。三人組の件なんて、アタシは何も知らされてなかった。で、どうにか鼻を明かしてやりてえと思ってたところにお前らだ」
「はあ……」
生返事のあかりの背後で、訝るようにぎんかが告げる。
「メーガンはんをどうにかしたいってのは分かったけど、結局ウチらに何の用なんや?」
エレンはニヤリと笑った。
「お前ら、三人組を追ってんだろ? 面白いことやってんじゃねえか。アタシも混ぜろよ」
思わぬ援軍に、あかりとぎんかは顔を見合わせた。エレンは椅子ごと鉄格子に近づき、あかりとぎんかを近くに手招きする。
「いいか、新人は上昇機関なしでの転移は禁止されてる。エティアが決めた鉄の掟だ。でもな、単独転移できる熟練のタロット使いのサポートがあればその限りじゃねえ」
「ど、どういうことですか……?」
「教えてやる。手ェ出せ」
あかりとぎんかが差し出した手を、鉄格子越しにエレンが握る。途端、エレンの胸元から【塔】のエレメンタルタロットが飛び出し、輝きを増す。
「ま、まさかここからアストラルクスに転移する気じゃ……!?」
不敵に口元を歪めて、エレンはあかりに返答した。その一方で、ぎんかは手を振り解こうとする。
「あかんて! 脱走なんかしたら、今度はどんだけ牢屋に放り込まれるか……!」
狼狽えるぎんかを、エレンは鼻で笑った。
「バーカ、細かいこと気にしてんじゃねえよ。それに、囚人なら先輩に敬意を払え?」
最後の一言で、あかりはこの場での先輩が誰なのかようやく気づいた。
「目ェ瞑れ、手ェ離すなよ」
エレンに従った途端、ギターソロの爆音が聞こえた。幻聴だ。破滅的だが刺激的、そして開放的なメロディが瞬時にあかりの脳裏にこびり付く。別の思考で上書きすることなどできない、エレンから流れ込んでくる、音とイメージの洪水だ。
「アタシのショーに酔いしれな」