握ったエレンの手から、イメージが流れこんだ。あかりとぎんか、二人のまぶたの裏に映ったのは、ステージの上で大歓声を浴びるエレンの姿だ。年代物のフライングVをうるさいくらいにかき鳴らし、満員のライブハウスを揺らしている。
これは、世界的ギタリストであるエレン・ライオットの理想とする最高のライブ。
「ついて来い!」
エレンのコールに、オーディエンスはレスポンスする。最初は戸惑っていたあかりとぎんかも、エレンの驚異的なギターソロに思わず声が出る。いつしかふたりはギターソロと雷光と、大観衆に呑み込まれて、曲に合わせて体を動かしていた。
「うっしゃ、行くぞォッ!」
そしてライブはフィナーレを迎えた。火柱が上がって銀色のテープが宙を舞い、会場のボルテージは最高潮を迎える。エレンの背後にある巨大ビジョンに【塔】のタロットが大写しになった瞬間、エレンの体を稲妻のようなスポットライトが貫いた。そして――
「……転移完了、だな」
瞼を開けると、紫がかった空が見えた。アストラルクスだ。周囲を見渡すあかりのそばで、自身の姿がテネブライモードになっていることに気づいたぎんかが声を上げた。
「な、なんや今の! 目開けたらアストラルクスやし、この姿やし!」
「これが熟練のタロット使いってヤツだ。新人用のあの機械ができるまでは、誰かのイメージを借りて転移してたんだよ」
あかりから手を離してエレンが告げた。上昇機関が故障した万が一の事態に備え、新人達の近くには熟練のタロット使いの控えが義務づけられている。かつてあかり達のそばにメルティナらが居たのは、そういった理由もあってのことらしい。
「で、お前は大丈夫か?」
エレンに尋ねられて、あかりは手足を動かしてみた。以前失敗したときのような気だるさは感じない。そればかりか、普段より体も心なし軽い。
「いつもより調子がいい、かも」
「へへ、つーことは相性がいいってことだな」
エレン曰く、上昇機関は誰が使用しても一定の効果を発揮するように設計されている。対して、誰かの手を借りてアストラルクスへ向かった場合、イメージがわずかに変化する。人間同士の相性にも似て、誘い手となった誰かの影響を受けるのだ。
「……とまあ、ざっとそういうワケだ。連れてったのがアタシならより攻撃的に、ルーシアならより素早くなる。他の連中のことは分かんねーけどな」
エレンの説明にあかりが頷いたところで、ぎんかが問いかけた。
「で、ここはどこなん?」
三人して周囲を見渡した。目の前にそびえるのは、あかり達を囲むように建つコの字型の建物。あかり達が立っているグラウンドと周囲の高いフェンスから判断すれば、おそらくここは学校だろう。
「支部近くのどっかだろうが、妙だな。普通はこんなに離れた場所に出ることはねえんだが――」
その時だった。
校舎の一角が爆発し、壁が吹き飛んだ。アストラルクスにまで響くほどの悲鳴は瞬時にかき消え、代わりに火の手があがった。炎は次第に黒い輪郭を形作り、校舎からグラウンドへ這い出してくる。ダエモニアだ。
「……なるほど、こいつに引き寄せられたってトコか」
這い出した異形の怪物――ダエモニアは、無数のスマートフォンに全身を覆われていた。割れた液晶画面に表示された瞳は、次なる獲物を求めて獣のように動かし、真っ先にあかり達を捉える。
「あかり!」
「わかってる!」
耳をそばだてて、おびただしい数の瞳でにらみつけるダエモニアの声を探った。アナログラジオのチューニングを合わせるように、雑音まみれの叫びに混じったわずかな人間の悲鳴に波長を合わせた。すると、何度も繰り返し泣き叫ぶ、彼女の声が遠く聞こえてきた。
――ごめん、みなと。
「……謝ってる。みなとって人に」
「みなとって、あかりが出会うたっちゅう鈴掛みなとか……?」
ぎんかの質問に答えようとしたあかりの背後で別の声がした。
「まりんッ!」
現れたのは少女――鈴掛みなとだった。左腕に巻いた包帯がはだけていくのも気に掛けず、ダエモニアへ向けて一直線に駆けていく。
「なんだアイツ、死ぬ気か!? ダエモニアに殺されちまう――」
言いかけてエレンは言葉を呑み込んだ。熟練のタロット使いの目で見れば、みなとの左腕から滴る黒い液体の正体に気づかないはずもない。
「チッ、人間型のダエモニアかよ。お前ら、気を抜くな!」
「待って、彼女は敵じゃない!」
「なんやて!?」
あかりは腕を伸ばして、みなとの前に立ちはだかった。全力疾走するみなとはあかりを迂回することもできず、真正面から激突して地面に倒れ込む。もつれ合いながらもみなとを地面に抑えつけ、あかりは問いかける。
「教えて。あなたは何者?」
問いかけても、みなとは質問に答えない。上に跨がっていたあかりを突き飛ばして、再びダエモニアの元へ走り出した。
「質問に答えろっつーの!」
エレンのかき鳴らしたパワーコードが、六本の稲光となってみなとの足元に絡みついた。足止めは成功したものの、みなとは歩みを止めなかった。稲妻の弦を足に絡めたまま、腕だけの力で這ってでもダエモニアの元へ進む。
「あいつ必死や……!」
「私が止める」
飛び出したあかりは、みなとの体を羽交い締めにした。左腕から噴き出すダエモニアの飛沫が、テネブライモードのあかりの衣装に点々と穴を開け、あかりのイメージを濁らせた。触れるたびに鋭い痛みと、みなとの強烈な負の感情に押し流されそうになる。
「離してよ! あたしはまりんを――」
揉み合うあかりとみなとの眼前で、ダエモニアは火柱のように高く燃え上がった。異形の怪物は躯体を大きく変化させ、四階建て校舎を焼き尽くすほどの大きさになる。新型ダエモニアの特徴、形態変化だ。
「あれはもう、あなたの知ってる彼女じゃない!」
「じゃあなんなの!? ここはどこ、あたしはどうなったの!? この黒い左腕は!? みんなあたしのことを覚えてないのは!? 君達はいったい何者なの……!」
襟首を掴まれたあかりは、追撃を加えようとするエレン達を右手で制してゆっくりと告げた。
「あなたはダエモニアになった。ダエモニアは、人間の怒りや妬み、悲しみに寄生して、人間を食らう怪物」
「そんな話、誰が信じんだよ!」
「信じられなくても、気づいているはず」
指摘すると、みなとは目を見開いて力なく地面に崩れ落ちた。震えて嗚咽を漏らすみなとの様子を見たあかりは、とある少女の事を思い出していた。
心崎冬菜。あかりと同い年の従姉妹で無二の親友。だが、そう思っていたのはあかりだけだった。嫉妬の感情に呑まれた冬菜はダエモニアとなり、その代償とばかりに世界じゅうの人間から――実の両親にさえも――存在を忘れ去られてしまった。冬菜は、世界から嫌われたのだ。
ダエモニアの少女――鈴掛みなとは、冬菜と同じだ。
「……嘘告だったんだよ」
嗚咽を抑え込んで、みなとは静かに語り出した。
嘘告。それは、ただ「面白いから」という理由だけで、好意の有無にかかわらず誰かへの告白を強要させ、その一部始終をSNS上に晒して影で笑うというもの。つまり、告白を受けた側も、告白した側も被害者となる悪趣味なイジメだ。
「あたしは、まりんから告白された。好きって。友達としてじゃなくて、恋人として」
みなとの左腕から、大量のダエモニアが噴き出していた。黒い沼に浸かったあかりの腰から下、イメージで編み上げたテネブライモードの鎧が溶かされ、解けていく。
「悩んだよ、そんなこと告白されたら悩むに決まってんじゃん。でもさ、まりんはきっと、あたし以上に悩んだはずだよ。あたしもその気持ちを受け止めたかった。けど……」
ダエモニアの咆哮が響いた。火柱のように燃え上がった巨躯の怪物は、燃える炎の腕を何本も鞭のようにしならせ、校舎に叩きつける。あかりの心に飛び込んでくるダエモニアの叫び声は、どこか悲しげだった。
「……あれは嘘告で、翌日あたしは学校中の晒し者になった。正直、子どもじみたイジメなんてどうでもよかったけど、親友のまりんにまで裏切られたのが辛くて死ぬことにした。だけど、あたしは死からも世界からも嫌われた。その時知ったんだよ、まりんもイジメられてたんだって。だから悪いのは全部、あの連中なんだって……!」
みなとの足元の黒い沼が、ふつふつと沸き上がった。みなとの抱く怒りの感情に周囲のダエモニアが共鳴しているようだった。
「あなたとまりんをイジメていた人間は、たぶんもう死んでる」
倒壊しかかった校舎を見れば一目瞭然だ。最初の爆発の時点で、当事者達は消滅しただろう。復讐を遂げたまりんは今、彼女の世界(学校)をもろとも破壊すべく、幾本も伸びた腕と炎の髪をしならせている。
「なら、まりんの気も少しは晴れたかな……」
みなとはゆっくり立ち上がると、あかりに手を差し伸べた。
「……まりんを助けたい。力を貸して」
「助けるには……」
あかりが言葉を濁したところに、それぞれに武器を構えたぎんかとエレンが走り寄ってきた。ダエモニアを一瞥して、エレンが告げる。
「あのダエモニアは新型だ。つまり、上手くやりゃあ助けられる」
通常のダエモニアなら、コアを壊すしか救う方法はないが、コアを持たない新型ダエモニアは、うまく倒せば救うことができる。
「ぎんか、エレン」
「皆まで言わんでええで、あかり。ウチもエレンもそのつもりや」
「オメエな、アタシの心を読むんじゃねえっての!」
「別にええやん? その方が話も早いんやし」
賑々しく騒ぐ二人を見て、あかりは口角をわずかに上げだ。みなとを庇うように立ち上がって、燃える刺突剣を出現させる。普段よりも鋭く研ぎ澄まされた切っ先は、赤く輝いていた。
「あなたの友達を助ける。待っていて」
あかりは、小さく頷いたみなとの前に立って、武器を構えた。以前ルーシアが話していた対処法――集合無意識との繋がりを断ちきる――に従って目を凝らす。どこかにあるはずの繋がりを探ると、ダエモニアの躯体から伸びる髪の毛のように細い糸が目に留まった。
「……見えた!」
「こっちもや! 行くで!」
「しゃあねえ、手伝ってやんよ!」
長い刺突剣を引きずって、炎の轍を刻みつけながらあかりが駆け出す。単騎突撃したあかりを護るように、ぎんかが無数のコインを撒き散らしてダエモニアを引きつける。あかりへ向けて叩きつけられたダエモニアの巨腕を、エレンの刺々しいリフパートの稲妻が貫く。三人のタロット使いが、新型ダエモニアの弱点――細い糸へ向けて一斉に攻撃を仕掛けた。すべては、ダエモニアに侵された少女――山下まりんを救うために。
だが、あかりの刺突剣が細い糸を焼き尽くすことはなかった。
勝負は一瞬だった。青白い豪雨が紫の曇天から降り注ぎ、無数に生えたダエモニアの燃える腕を、髪の毛のように伸びたフレアを、先端から根元まで徹底的に穿ち、鎮火させていく。
「アルテミスッ!?」
三度目となれば見紛うことはない。青白い豪雨の正体は、第一期生達の弾丸だ。物理法則も弾丸軌道も無視した曲射が、機関銃のごとき鉛弾の雨を降らせている。
弾雨の飽和攻撃は、集合無意識との繋がりだった細い糸には当たらない。むしろ糸以外を狙っているかのように、終始徹底してダエモニアへと降り注いだ。ダエモニアを殺戮することが目的とでもいうように。
――痛いよ……。助けてよ……みなと……。
火柱のごときダエモニアは悲しい断末魔を残して、跡形もなく徹底的に鎮火させられた。最後まで断ち切られることなく残っていた集合無意識の糸がはらりと解け、漂い、アストラルクスの空へ還っていく。
「そん……な……」
ダエモニアの――まりんの姿は、どこにもなかった。グラウンドには弾丸の雨垂れが刻まれているだけで、負の感情に呑まれた悲しい少女の痕跡は見当たらない。その場に膝から崩れ落ちたみなとの耳元を、一発の弾丸が掠めていった。
振り向いたあかり達は、揃いの制服を着て銃口を構えた三人組の少女――アルテミス達の姿を見留めた。
「アルテミス隊、状況終了。新たなダエモニアを捕捉しました」