幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第二章 幼き星は白銀に煌めく/09

「確認するぞ星河。我々の目的は、劇場を荒らすダエモニアの救助であって、救済ではない」
 短く返事をして、せいらは旗手のダエモニアに対峙した。
 三階席に届くほどの背丈に、右手には旗、左手には剣。一見すると人型だが、観客席を無慈悲にも踏み潰している無数の足は、さながら蜘蛛。(ネット)を張り巡らし人々を足蹴にする嫉妬の怪物。
観察すべきはダエモニア本体だけではない、それから伸びたものだ。
「……糸が見えない」
だが、せいらには無意識の糸を見つけることはできなかった。
「すみません、私には……救助できそうにありません」

 糸を断ち切れば、ダエモニアから人間を救助できる。殺さずに救える。
 切らずに倒せば、ダエモニアから人間を救済できる。殺すことが救い。
 同じ救い(・・)でも、まるで違う。

 咆哮と共に、ダエモニアが両腕を振り上げた。旗と剣、両腕の武器がせいらとシルヴィアの居る場所一点に叩きつけられる。
「食い止めるッ!」
 ダエモニアの攻撃を、銀騎士デュランダルが大剣ひとつで受け止めるも勢いを殺せず、シルヴィアは膝を折った。
「まったく、相当に貯め込んでいたダエモニアのようだな……」
 デュランダルは、言わば思い通りに動く人形だ。万梨亜の召喚獣と違って意志を持たないため、行動の全てをシルヴィア自身が制御しなければならない。自身も戦いながら銀騎士を操作するのは、彼女以外にはできない離れ業だ。
「もうちょっと耐えて、避難がまだ終わってない!」
「分かっている! だが……!」
 背後では、みなとが観客達の退路を拓こうと奮戦している。答えるシルヴィアの顔には苦しさがにじんでいる。ジリジリと間を詰められ、ダエモニアの刃がすぐ側まで迫っていた。
「私が未熟だから……何もできない……」
 せいらはこみ上げてくる無力さに歯噛みした。
シルヴィアも、ダエモニアのみなとも戦っているのに、せいらには何もできない。糸が見える憧れのタロット使い、シルヴィアの域に達するには――そもそも、達せるのだろうか。毎日誰より訓練してもその背中はあまりにも遠く、届く気配もなくて嫌になる。
「未熟か」
 ぼそりと呟いて、シルヴィアは困ったように笑いかけた。
「私も未熟者だ。何年費やそうと理想に届かない。きっと死ぬまで満足することのない、永遠の未熟者だよ」
「支部長が未熟者……」
「だが、私は今の私で……未熟な私でよかったと思っている。どこかで満足していれば、私はここに居ないだろうから」
 シルヴィアの【正義】は、熾烈な争いの末に得られたものだ。せいらには想像もできない中で培われたもの
「今日の未熟を嘆くな。未熟さを昇華して、己の力にすればいい」
「私の……力……?」
「星河、劇場の時計が見えるか?」
 ダエモニアの遥か後方に、ゴシック様式の文字盤が見えた。恐らく、シルヴィアの言う時計だろう。
「見えますが、どういう意味なのか――」
「ど真ん中を射貫け。そうすれば糸を断ちきれる!」
 せいらはようやく理解した。シルヴィアは、糸が見えない自分の代わりに、無意識の糸に狙いをつけている。糸を断ちきれる射線を教えてくれているのだ。
「で、でも……まっすぐ狙える保証なんて……!」
「大丈夫だ、私には分かる。己の未熟さと戦って、努力を続けてきたお前なら、たとえ糸が見えなくとも救えるはずだ! 弓を引け、星河ッ!」
 反射的に、せいらは矢を番えて弓弦を引いた。幾度もの練習の果てに辿り着いた流れるような所作で、文字盤中央――見えない糸が漂っている場所――に無意識のうちに狙いを定めていた。
「瞬時に射ができるのも、未熟がゆえに足掻いた証だ。未熟であれ、星河せいら。理想を目指して、常に自分を更新しろ」
 「はい」の返事代わりに、せいらは指を離した。矢はまっすぐ、迷いなく飛んで、ダエモニアを貫くことなく狙い通り文字盤に突き刺さった。
途端、ダエモニアは岩石が風化するように粒になって消えた。代わりに現れたのは、二人の役者の姿だった。

「救出はできました……でも最後まで、糸は見えなかった……」
「努力は報われるとは限らんが、しなければ報われることはない。信じて研鑽を積むことだ、未熟さを昇華しろ」
 せいらは心の中で頷いた。戦闘も、日常も、オトナ世界のことも、自分は未熟で中途半端だ。だけど、だからこそ満足しないで前に進める。きっとそれが、未熟を昇華するということだ。
「……はい。私の力にします」
「ああ。ではミレイユを回収して帰るか――」

「対象確認、執行します」

 青白い弾丸が二発、救出したばかりの人間を貫いた。射殺だった。
 遅れてやってきた第一期生の三名は、次にみなとに銃口を向ける。
「執行完了。もう一体のダエモニアを――」
「ふざけるな!」
 シルヴィアは、第一期生のリーダー、アルテミスに詰め寄り感情を爆発させる。
「何をやったのか分かっているのか! あの二人は救出された、無辜なる市民だぞ!?」
「ダエモニア罹患者を救う方法は、死による救済のみです。ブリジット、クロノス」
 シルヴィアをぴしゃりと制したアルテミスの指示で、観客の救助を続けるみなとへ向けて青白い弾丸の雨を放たれる。
「観客もダエモニア罹患の疑いがあります。ひとり残らず執行してください」
「貴様、いい加減に――」

 その時。
不意に弾丸の雨が止んで、シルヴィアとアルテミスは視線を逸らした。
 目を覚ましたミレイユは、眼前の状況を見て夢を見ていると思い込んだ。
 一部始終を目撃していたせいらは、何が起こったか分からず我が目を疑った。
 それは、当事者のクロノスもブリジットも、その場に居た全員が同じだった。
ただひとり、みなとを除いては。

「きゃあぁあぁあぁあぁあああぁあ――!!!」
 クロノスとブリジットの悲鳴が響いた。冷徹のヴェールで心を覆った第一期生らしくもなく、恐怖で声色が歪んでいる。
「ダエモニアの沼に呑み込まれている?」
 黒い沼が、少女達の体を呑み込んでいた。膝、太もも、腰と、もがけばもがくほど深みにはまっていく。
「助けなさい、アルテミス! あなた、あの 月見里(やまなし)家のひとり娘で、優秀な血筋だって――」
 本性を露わにしたブリジットが必死で腕を伸ばすも、アルテミスが動く様子はなかった。未曾有の事態に、為す術なく立ちすくんでいる。
「イヤだよ……死にたくない……」
「た、助けて……アルテミス……月見里――!」
 とぷんと小さな飛沫を上げて、二人は没した。
「あたしに手出しするとこうなるから」
 威嚇とばかりに呟いたみなとに、アルテミスは銃を下ろした。
「……分かりました、宣戦布告と受け取ります」
 そして、両者はそれぞれアストラルクスから姿を消した。アルテミス達と入れ替わるように現れたのは、他の劇場で戦っていたタロット使い達だ。
「あら、ミレイユ。生きてたの」
「か、勝手に殺さないでくださいまし! どうだったんですの、そちらは!」
「そうねえ、一勝二敗という所かしら? 嵐の魔女は救ったけれど、他の劇場はダメだったみたい」
 メルティナの言葉に、万梨亜とるなは項垂れた。彼女らは、糸を切って救うことができなかった。
「無事ならいいんだ。万梨亜、月詠」
 シルヴィアは、万梨亜とるなを抱きしめていた。
「あらあら、妬けちゃうわねえ。ミレイユ?」
「あなたもハグしてもらえばいかが、ミレイユ?」
 同じ調子でからかうクリスティンとメルティナにミレイユが奇声を上げたところで、シルヴィアは神妙な口調で告げた。
「いろいろと報告せねばならないことがあるが、今は犠牲者を弔おう。彼らが確かに生きていたことを我々だけでも覚えておかないとな」
 ダエモニア由来の事件で死んだ者は、世間から存在が消されてしまう。今回の事件では、百数名の命が存在しないことになってしまうだろう。
「そうですね。世界から忘れられても、せめて私達だけでも」
 手を合わせた万梨亜と同じように、タロット使い達も各々の祈りを捧げる。事件後の沈痛な空気は、何度体験しても慣れない。
「……とはいえ、戦闘すると腹が減るものだ。フィッシュかチップスかフィッシュアンドチップスでも食いに行こうか」
 シルヴィアは軽薄に笑ってみせた。普段のシルヴィアらしくない冗談に、一瞬、何よりも気まずい沈黙が流れた後、全員が一斉に破顔した。
「ええ、お供しますわ! なんならお店ごと買い上げます!」
「ミレイユはまず医務室よ? ねえ、万梨亜」
「そうですね。傷跡になったら大変ですから」
「わたくしは平気です! 医務室へはるなさん、あなたが代わりに行きなさい!」
「わ、私どこもケガしていませんが……」
「第一、揚げ物ばっかだと太るわよ。バーニャカウダとかにして」
 シルヴィアの冗談を皮切りに、沈痛な雰囲気は一瞬で吹き飛んでいた。タロット使いとして優秀なだけではなく、敵ばかりがその場の空気まで吹き飛ばしてしまうシルヴィアには、まるで敵いそうもない。
「どうした、星河。笑っているようだが。何かおかしかったか?」
 問われて、せいらは自分が笑わされていたことに気がついた。ますます自分の理想像が遠くに行ってしまった気がして落ち込みそうになったが、未熟は昇華するものだ。
「……いえ。私の力にしようと思いました」
 他のタロット使い達には、この会話の意味は分からないだろう。だけど、自分とシルヴィアさえ分かっていればそれでいい。そのための決意表明なのだから。
「……そうだな。では、行くか」
「はい!」

      *  *  *

 記念公演ほどの大劇場でもなければ、小さな小屋でもない。そんな中途半端な劇場で、エリカは初めての主演舞台を終えた。興行成績はパッとしない上に、今でも批判は受けている。だが、それだけでもない。
「エリカさん、差し入れ来てますよ」
「ホントですか!?」
 公演の後、少しずつだがファンレターやギフトが届くようになった。あの時、死を選んでいれば一生気づくことはなかった、応援してくれる誰かの存在だ。
「『がんばって』か。相変わらず、素っ気ないな」
 飾り気のない手紙を読んで、エリカは笑った。今はまだ中途半端で未熟で、批判に負けてしまいそうなくらいに弱いけれど、いつか夢を叶えたい。
 あの時、自分の命を救ってくれた彼女のためにも。




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