幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第二章 幼き星は白銀に煌めく/08

暴風が吹き荒れる劇場の片隅で、エリカは膝を抱えて震えていた。ただの人間であるエリカには、オセロとデスモデーナだった者(・・・・)に為す術などない。
「いろいろ知りたくて、あんたのことを尾行してた」
エリカの傍らで、青白い顔の少女は状況にそぐわない落ち着き払った声で呟いた。
「さっきのシンシアって女、あんたの知り合い?」
少なくとも、相談ができる程度には仲もよかった。ただ、それを伝えることができず、動かない唇の代わりに何度となく首を縦に振る。
「あいつはさ、気に喰わないヤツをネットで叩いてたんだよ。自分が一番じゃないと気が済まないから、周りを貶めてるっぽいね」
先ほどのシンシアの言葉がエリカの脳裏を過ぎった。信頼する人物からの心ない発言ほど、魂をひび割れさせるものはない。
「どうして分かるの……?」
とはいえ、少女が語るシンシアの姿は、受けいれがたいものだった。本当のことが知りたくて、エリカは喉の奥から声を出す。暴風の中でも、少女の耳には届いたらしい。
「聞こえるんだよ、猛烈な嫉妬の声が。あんたには風の音にしか聞こえないだろうけど、ド素人だとか才能がないだとか、それこそ際限なくね」
脳が理解を拒絶して、胃の中のものがこみ上げた。「あんたのことだけを言ってる訳じゃなさそうだよ」と少女は告げてきたが、そんなものは慰めにもならない。咄嗟に衣服のポケットに手を入れたところで、エリカは手首を掴まれた。
「手首切って死のうとか考えてるでしょ? そんなんじゃ死ねないよ」
「そん……なことは……」
行動を読まれていた。ポケットに忍ばせていたのは果物ナイフ。人生という舞台の幕を強引に下ろすための、小さなデウス・エクス・マキナ。
「あんたの命、有効に使ってあげる」
「え……」
ポケットをまさぐって得物を取り上げた少女は、左手首に刃をあてがって――躊躇なく動かした。人間の体液とは思えない真っ黒な飛沫が、破裂した水道管から漏れ出す水のごとく勢いよく噴き上がっている。
「教えて……あなたは何者……?」
少女は唇を動かした。それが少女の名乗りだったのか、返答を拒否したのかは分からない。劇場を満たす悲鳴は聞こえず、血の臭いも、体を揺らす暴風も感じない。五感の中、最後に残った視覚には、少女の笑顔だけが焼き付いた。

*  *  *

アストラルクスから見た人間は、頭にかぶり物を乗せた奇妙な姿をしている。ここには現実世界に暮らす人間達の思考が染み出していて、人間の強い欲求が分かりやすい形になって表れるからだ。たとえばジェラートが食べたいなら頭部がジェラートに、眠たいなら頭部が枕やベッドに置き換わる。それを永瀧での新人時代に教わったせいらは、自分ならダンベル頭の女の子になりそうだと想像して、姿見の前で少し笑った。
だが、せいらとミレイユが急行した現場には、首から上がない――思考をやめてしまった人間達が、めくれ上がった座席や崩落した二階席の隙間から、果ては見せしめとばかりに壁に張り付けにされている。
『オセロ』の公演会場は地獄絵図だった。

「まずは観客の避難ですわ! 星河さん、援護を!」
ミレイユの盾が、展開したそばから砕けていく。異常に発達した両腕を持つダエモニアが、木の板でも割るように正拳突きを繰り返していた。せいらは展開した盾のひとつ、その背後に陣取り、弓弦を引き絞る。
「今ッ!」
正拳突きで盾が割られた瞬間。真っ直ぐに伸ばされた拳から肩へ突き抜けるよう矢を射た。拳にめり込んだ矢はイメージ通り、前腕から上腕、そして肩を貫いた。ダエモニアの腕は骨抜きにされたように、だらりと垂れ下がる。
「見事、腕を射貫きましたわね! もう一本も頼みますわ!」
「了解――」
声を上げたところで、せいらは突き刺すような憎悪に襲われた。咄嗟に振り向いたところでせいらが見たのは、舞台劇の衣装で着飾った女性が四肢を膨らませる姿だった。
二体目のダエモニアだ。
「ミレイユさん! 後ろ――」
叫んだ時には遅かった。振り返ろうとしたミレイユは後頭部を殴られ、劇場の壁に叩きつけられた。
「ミレイユさんッ!?」
イメージを保てなくなったからだろう、ミレイユが展開した無数の盾は瞬時に消滅した。もう逃げ遅れた観客を、そして自分達を守る手段はない。
「星河……さん……。私はいいから、皆さんの避難を……」
「ですが……!」
「シルヴィア様なら……そうしますわ……」
ハッとして、せいらは半死半生のミレイユから顔を上げた。豪腕のダエモニアと、緑色の瞳をしたダエモニアが、非常口を示すピクトグラムのようなかぶり物をした人間――逃げ遅れた観客達に迫っている。
やらせるワケにはいかない。
「糸は見えないけど、ならせめて……!」
新型ダエモニアの弱点である糸が見えなくとも――つまり、ダエモニアを今は救うことができなくとも――攻撃の手を緩めることができればいい。そう信じてせいらは、二体のダエモニアの足元へ向けて矢を射る。致命傷には至らず、かといって無傷でもない絶妙な力配分が功を奏し、ダエモニアの意識は観客からせいらへと向かっていた。
「こっちを見た」
とたん、咆哮。二体のダエモニアは変容を始めた。豪腕の怪物と、緑色の瞳が混ざり合って、一体の巨大な彫像へと姿を変える。戯曲『オセロ』で、主人公達を悩ませた、裏切り者イアーゴ。その姿を彷彿とさせる旗手の女性の姿だ。
「姿が変わった――!?」
旗の先端を槍に見立て、旗手のダエモニアが吶喊してくる状況を為す術なく眺めながら、せいらはあかりから聞いた言葉を最後に思い出していた。
新型の特徴は、融合してより強大になること。思い出してももう遅い。

「――デュランダルッ!」

声とともに、金属同士がぶつかり合う音が響いた。せいらの前に割り込んだ白銀の全身鎧が、ダエモニアの旗を掴んでいる。
「姫を守るのは騎士の務め。そして部下を守るのは私の務めだ!」
天から声がした。視線を上げたせいらは、大剣を掲げて落下するタロット使いの姿を目にする。彼女は騎士鎧でダエモニアを羽交い締めにし、真っ直ぐ剣を振り下ろした。
「遅れて済まなかったな」
その正体は、誰何せずとも分かる。上司にして、目指すべき憧れの存在だ。せいらは肩が軽くなったような、不思議な感覚を味わった。
「星河、少しばかり手を貸してくれ。ミレイユはデュランダルの陰に隠れていろ。すぐに終わるから心配するな」
「はぁ~ん……シル……ヴィア様……」
ミレイユは鼻血を吹いて盛大に倒れた。命の危機かもしれない。
「ミレイユさん……!?」
「心配はいらない、アレはあいつの癖だそうだ。私に話しかけられるとああなってしまうとかで。まったく、少し悪い気もする……」
「なるほど、癖……」
よく分からない癖もあるものだ、とせいらは思った。ただ、そんなことを頭の中で巡らせている場合ではない。
「それより、まずは生存者の避難です! 逃げ遅れてるのが何人か居る」
劇場末席の重たい扉の周りには、頭が非常口マークになっている人間の姿が見えた。アストラルクスに染み出してくるほど、逃げることに必死なのだ。
だが、旗手のダエモニアはせいら達から視線を逸らし、逃げ遅れた観客達へ向けて突っ込んで行く。
「マズい! 星河、矢を!」
焦って番えた矢は、旗手ダエモニアの足元を掠めた。外れだ。
「すみません、今すぐ二の矢を!」
「ダメだ、もう間に合わん!」
シルヴィアの追いかけも虚しく、旗手ダエモニアは観客達めがけて拳を叩き下ろした。
「あ……」
重いものが大地に落とされたような重量感のある音が、ずしんとせいらのお腹の奥底に響いた。腕を振り下ろしたまま、残心さながらの姿勢をとり続けるダエモニアに向けて矢を番えたところで、シルヴィアが異変に気づいた。
「待て、星河!」
ダエモニアの姿勢は、観客達を押し潰した後の残心ではなかった。振り下ろしたはずの拳が――そればかりか、劇場の天井まであろうかという巨体がゆっくりと押し戻されていく。
「あれは……?」
せいらが見たのは、逃げ遅れた観客達を庇うように立ち尽くす、青白い顔の少女だった。少女の足元に広がる黒い沼から、背筋が凍るような怨嗟が立ち上り、旗手のダエモニアを圧している。
ダエモニアの巨体を、たった一人の少女が御している。圧倒的な力だった。
「貴様は新型ダエモニアの鈴掛みなとか!?」
誰何したシルヴィアの声で、せいらは矢の狙いをダエモニアから少女へ変えた。
「だったら何!? あんたらもタロット使いってヤツなんでしょ!?」
「なっ!?」
同時に驚嘆の声を上げて、せいらはシルヴィアと顔を見合わせた。何故ならそれは、ダエモニアの不文律を破る出来事。タロット使いでは、あかりしかできないことだ。
「ダエモニアの言葉が私に分かる……だと……?」
「はい、確かに……会話が成立している……」
顔を見合わせる二人に、ダエモニアだというのにダエモニアを押さえ込んでいるみなとから舌打ちと檄が飛ぶ。
「早くこのバケモンと戦って! 観客はあたしが逃がすから!」
黒い沼を器用に操り、旗手ダエモニアの巨躯を受け止めるみなとの姿を見て、せいらは事態を飲み込んだ。
みなとは、こちらに協力してくれている。それを感じ取ったのはせいらだけではなかった。
「星河、今回の目標は何だ?」
勘ぐるようなシルヴィアの言葉に、せいらは心に秘めていた誓いを叫んだ。
「『殺さず救え』です!」
「ならば、我々の敵はひとつだ!」
シルヴィアとせいらは、狙いを変えた。今この場所に居るダエモニアは二体。ただし敵対するのは一体のみ。
ダエモニア――鈴掛みなととの共闘が幕を開けた。




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