幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第三章 月光下のアマリリス/02

 あかり達にとって最大のネックは、アストラルクスへ急行できないことだ。
 経験がない彼女らは、上昇機関を使用しなければ最悪の場合、生と死の狭間を永遠に彷徨う羽目になる。支部地下牢の鉄格子越しに、エティアから口を酸っぱく言われたばかりだ。
 だから、ダエモニア出現の鐘の音が鳴って位置も分かっているのに、あかり達が向かうのは支部の上昇機関だ。現地到着までのタイムラグがもどかしい。
『コンベルテレントポジティオ』
 お決まりの三重奏に送られ、あかり達はアストラルクスへ落下(上昇)した。

      *  *  *

 余津浜市内、紫がかった空が一望できるマンションの屋上。果たしてそこに、みなとは居た。駆けつけたあかり達の眼前で、人間大のダエモニアと向き合っている。
「なんや、あれは?」
「静かに」
 あかりは武器を携えたぎんか達を制した。金切り声と不協和音を吐き続けるダエモニアの声に耳を慣らしていく。みなととダエモニア、二人の会話が脳裏を過ぎった。
「……それでアンタは道連れにしようとしたってワケだ」
 屋上、飛び降り防止のフェンス越しに、ダエモニアは同意を返していた。
「アンタの気持ち分かるよ、あたしも同じようなもんだから」
 あかりにはダエモニアの『誰も信じられない』という悲痛な叫びが聞こえていた。

「ダエモニアと対話しているのでしょうか……」
「……二人は何て言ってる?」
 るなとせいらの問いかけに、あかりはダエモニアの叫びを要約した。
 ダエモニアの正体は、仲の良かった友人に裏切られた少年。復讐心に駆られ、友人達が暮らすマンションを消し飛ばすべく、気づいたらこの場所に居た。そこで鈴掛みなとに犯行を止められた。

「で、どうする? このままじゃアンタはタロット使いに殺される。だけどあたしは、アンタを元に戻してやれる」
 逡巡。そうとしか思えないうめき声を上げて、少年は短く答えを返した――『死にたくない』。
「つまり、アンタは戦うことを選んだ。現実から目を背けず、向き合って生きる。それでいい?」
 ややあって、同意を示す声がダエモニアから漏れた。あかりにはその声が、ダエモニアには似合わない前向きな言葉に聞こえた。
「じゃあ、がんばって戦いな。自分に負けんなよ」
 みなとが少年と手を繋いだ途端、ダエモニアを形作っていた感情が霧散した。霧はみなとの足元に広がった沼に吸い込まれ、少年が姿を現した。
『がんばるよ』
 ぎこちなく弱々しい、だけど精一杯の笑顔を残し、少年は光に包まれて消えた。それを見届けたみなとは、あかり達に視線を向ける。
「で、何の用?」
「今のはなんや。殺したんか?」
 みなとは「あんた達じゃないんだから」と一笑した。
「あの子が要らないって言ったものを預かっただけ」
 みなとは足元に視線をやった。コポコポと泡を吹く沼は、いつもと違って凪いでいる。
「アンタらから見れば、救ったってヤツかな。――あ」
 言いかけて、みなとは面倒臭そうに頭を掻いた。
「あたしがそっちの仕事を奪ってるから、力尽くで止めに来た?」
 早合点したみなとへ説明すべく、あかりは刺突剣をかき消して丸腰になる。
「違う、あなたと話がしたい」
 あかりの言葉に呼応して、るな達も武装解除した。
「こちらに敵対の意志はありません。鈴掛さん」
 目的はあくまで説得。だが、みなとは応じる素振りを見せず、あかり達を――正確には、あかり達の背後を――にらみつけた。
「後ろのそいつ(・・・)は違うみたいだけど」
「え――」
 途端、みなとのこめかみを青白い弾丸が掠めた。やおら振り向いたあかり達は、彼女の姿を見とめた。
「当然です。ダエモニアは忌むべき人類の天敵ですので」
 あかり達からやや離れて武器を構えていたのは――。

「お姉ちゃん……?」

 あかり達の視線は、背後のアルテミスから瞬時に、るなに注がれた。
「せれなお姉ちゃんですよね!?」
 ほとんど反射的に、るなは叫んでいた。アルテミスの前に歩み寄って、銃口が突きつけられていることも厭わずに続ける。
「覚えていますか、私のこと……っ! 私は、あなたの妹のるなですっ!」
「ど、どういうこっちゃ!?」
「……お姉ちゃん?」
 首を捻る二人の側で、あかりはるなとアルテミスの顔を見比べていた。頭髪も表情も正反対で気づかなかったが、二人の姿はまるで鏡合わせ。
「無事だったんですね、せれなお姉ちゃん……!」
「……作戦遂行中です。そこを退きなさい、るな」
 短く切るように告げて、アルテミスはるなを押しのけた。再び銃口を向けられたみなとは、アルテミスに向かって半笑いで呟く。
「あー、アンタら知り合い?」
「あなたには関係のないことです」
「だよね。じゃ、とりあえず死んどこうか?」
 みなとはアルテミスとそっくりの赤黒い銃を構え、照準を合わせた。二人の射線上に障害物はない。引き金を引けば、両者ともに避けられないだろう。
「させませんっ!」
 二人が引き金を引くより早く、るなは射線上に割り込んでいた。
「邪魔しないで欲しいんだけど」
「今回ばかりはあなたに同意します。そこを退きなさい、月詠るな」
「退きませんっ! 私は、せれなお姉ちゃんとお話したいんです! それから、鈴掛さんとも話を――きゃっ!?」
 言いかけたるなの足元に、アルテミスは威嚇とばかりに銃弾を放った。
「……その姿で私の前に立たないでください。奪いたくなってしまうから」
「奪うって……」
 騒然とした状況に、みなとは足元の沼を沸騰させた。ぼこぼこと煮えたぎる沼は滑らかな水面となって、みなとの体を呑み込んでいく。
「込み入ってるみたいだし、じゃあね」
 あかり達の制止も虚しく、みなとは没した。あったはずの沼は、太陽に熱せられた水たまりのように、跡形もなく干上がった。その様子を確認して、アルテミスは踵を返す。
「……対象の執行に失敗。アルテミス、帰還します」
「待って、せれなお姉ちゃん!」
 アルテミスの前に回り込んで、るなが再び叫んだ。普段と違う、ただならぬ様子を感じ取って、あかり達もアルテミスの退路を塞ぐ。
「あなたは何者?」
 誰何したあかりに、アルテミスは小さく嘆息した。そして、伏し目がちだった顔を上げる。初めて間近に見たアルテミスの顔は、そこから先の説明が不要なほど、よく似ていた(・・・・・・)
「アルテミスは単なるコードネーム。私の本名は、月見里(やまなし)せれな。月詠せれなの姉です」
 せいらは目を丸くし、ぎんかは「なんやて」と叫んでいた。一様に驚きを隠せないあかり達の中で唯一、るなだけは安堵の表情を浮かべている。
「やっぱり、お姉ちゃん……」
 触れようとしたるなの手は、せれなに叩き落とされた。るなの気持ちを汲むことなく、せれなは目を細めてるなに銃口を突きつける。
「ダエモニアの殲滅。それがタロット使いの仕事です。その覚悟がないのならタロット使いなんてやめなさい、月詠るな」
「え……」

      *  *  *

 揃いの仮面で顔を覆った人々が広間に集っていた。大理石の床、円筒形の柱、そして彼らが坐す大円卓が病的なまでに白で塗り固められているのは、純潔をモットーとする精神性の表れだ。
 その集団の中に、ある男が居た。男は仮面に隠した、(からす)のように細い目で、大円卓の真向かいに座るひとりの少年に視線をやった。少年の、猫のように丸い瞳は仮面に隠されて見えないが、その瞳の奥に抱いた危機感は見透かせた。何故なら烏眼の男も、今回ばかりは猫眼の少年と同じ危機感を覚えているからだ。
「では皆さん、報告を始めましょう」
 坐した仮面達が一斉に報告者の方を向く。報告者は、仮面の女性だ。
「第一期生の損失は想定通り。中でもアルテミスはよくやっていますよ。才能がないことを認めず身を粉にする姿は、あまりに涙ぐましく滑稽だ」
 ひとしきり笑うと、女性は隣に座る仮面に向けて問いかけた。
「続く第二期生18体は早々にロールアウトします。そちらの状況は?」
「クレシドラ内部に64体。アルテミスの戦闘データをフィードバックし、順調に成育中です」
 次々と報告を続ける仮面達の間に、一切の序列は存在しない。だが彼ら彼女らはすべて、開闢以来およそ1500年の長きに渡り、人類を統治してきたいわば地球の王たる者、またの名を人類種の後見人、レグザリオ。
 だが、烏眼の男はそれが気に入らなかった。
「本気で進めるつもりか。これ以上の人類史の管理は、自然淘汰への冒涜だ」
 烏眼の男に続き、真向かいに坐した猫眼の少年も続けた。
「進化の可能性を、我々が剪定すべきではないよ」
 静まり返った仮面達の中、最初に報告した女性がくつくつと笑いだす。
「何がおかしい」
「いやあ、四百万年あまりかけて進化した人類の集大成が、この程度だと思うと滑稽で仕方がないのですよ」
 やおら立ち上がって、女性は大円卓に足をかけた。円卓の上でヒールを鳴らし、烏眼の男の眼前まで歩み寄る。
「だからこそ我々が、人類の進化(アセンション)を早めてあげようというのです」
 女性は振り向き、猫眼の少年を威圧した後、大円卓の中央に立って自らの仮面をはぎ取った。
 レグザリオ賢人会議のただ中に、忌むべき悪魔が降臨した。
「獣の延長に過ぎない人類史はもうすぐ終わりますよ。旧人類の皆さん」




TOP