幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第三章 月光下のアマリリス/05

『アルテミスがヤバい』。たった一言のメッセージを霧依からの受けて、あかり達は医務室に飛び込んだ。
「霧依先生、せれなお姉ちゃんは」
「死んだよ」
蒼白になったるなを見て、霧依はくつくつと笑った。
「ジョーダンだよ、さっき起きたトコ」
「アンタな、言っていい冗談と悪い冗談があるで……」
「そーなんだー。霧依ちゃんまたひとつ賢くなっちゃったわー」
あかりは力なく倒れたるなを抱き起こして、霧依に続いた。病床を区切るカーテンの向こうに、チューブに繋がれて横たわるアルテミス――月見里せれなの姿がある。
「せれなお姉ちゃん……」
「じゃ、後は姉妹水入らずタイムだ! 邪魔者は散った散った」
るなを病床に押し込めてカーテンを閉めた霧依は、少し離れて容態を告知する。曰く「アストラルクスから強制転移したため」。あかりが以前経験した酔いと同じで、適切な処置を施せば命に別状はないらしい。
「じゃあ、せれなさんは無事なんですね。よかった……」
「酔いが原因で死ぬことはないね」
「それだと、他にも何かあるみたい」
せいらの追及に、霧依は書類の山からカルテを抜き出した。病状について書かれている物だろうが、羅列された専門用語はあかりにはまるで分からない。
「霧依先生、これって?」
「アルテミスの診断結果。これを見る限り――」
布を引き裂く音が、霧依の言葉を遮った。読めないカルテから視線を上げると同時に、せれなの叫びがあかりの鼓膜を揺らす。
「【月】のタロットを渡しなさい、るな!」
病床のカーテンは引き裂かれていた。その奥で、横になっていたはずのせれなが、るなを押し倒し、口々にわめいている。るなが危険だ。
「るなちゃん!」
思うより早く、あかりはせれなに飛びかかった。だが引き剥がそうにも、せれなの抵抗は激しい。あかり達が三人がかりで押さえつけても、せれなの両手はるなの首筋を捉えたままだ。
「あれは私のもの! 貴方が持っていていいものじゃ――」
言いかけて、せれなは糸が切れたマリオネットのようにベッドに倒れた。
「死んだ……?」
「そんな訳ないよ!? ですよね、霧依先生!」
せれなの首筋に刺した注射器を抜いて、霧依は不気味に笑う。霧依の対応が冗談か本気か判らず、あかりは思わず硬直した。
「寝てもらっただけさ。さあさあ、検査するから外で待っててねん♪」
告げるや否や、霧依はせれなの身体にチューブを繋ぎ直している。霧依に任せる不安はあれど、現状霧依以外に頼れる者も居ないのだ。
「……大丈夫です。いったん外で待ちましょう」
そんな状況にもかかわらず告げたるなの言葉に、あかりは言葉を呑み込んだ。この状況が一番苦しいのはるなのはずだ。引き留めては、彼女の決意を鈍らせることになる。
「そうだね……」
心苦しくても、仕方がない。るなに連れられ、あかりは医務室を後にした。

医務室の廊下は居心地が悪かった。薬品の匂いがそうさせるのか、壁を隔てた向こうにせれなが居るからなのか、誰もが口を開いては言葉が見つからず真一文字に結び直す。場の空気まで重苦しくなるのが嫌で、あかりはどうにか口を開いた。
「大丈夫だよ。霧依先生はあれでも腕は確かだから」
「……そう、ですね」
るなが言葉を詰まらせると、より一層空気が重くなる。それでも、無理にでも笑顔を作ってあかりは、るなに呼びかけた。
「せれなさんってどんな人?」
「……」
「言いにくかったらええで。うちも心を読む気はない」
「ん」
言葉を濁したるなに、ぎんかとせいらが助け船を出す。あかり達が浮かべた心配そうな表情を見渡して、るなは首を横に振った。
「……聞いてくれますか」
三人が頷いたのを確認して、るなは重たい記憶の扉を開くかのように、ゆっくりと語り始めた。
「月詠せれなは、私の姉でした。小さい頃から……いえ、物心つく前から何をするのも一緒で。引っ込みがちな私を引っ張って、知らない世界を教えてくれる、優しくて大好きな姉……」
句切って、るなは天井を見上げた。そして小さく息を吸って、色褪せず染みついた過去をゆっくりと再生した。

*  *  *

「【月】の継承者を選ぶ必要が出てきました」
月見里家の広間に坐したエティアさんは、幼かった私達にそう言いました。凛とした表情なのに声色はどこか悲しそうで、何も知らなかった私でも「誰か、彼女にとって大切な人が亡くなった」ことは理解できました。
その日は、私達の本家筋に当たる家系・月見里家の大御祖母様の葬儀の日。享年、八十七歳。だけど本当の享年は三百五十七歳。当時の私は「どうしてウソをついてるのだろう」程度の感想しかありませんでしたが、姉はその本質を理解していました。
「るなか私のどちらかが、タロット使いになるということでしょうか」
単刀直入に尋ねた姉に、エティアさんは驚いて「そうです」と告げました。それきりエティアさんも姉も、同席していた家人達、月見里家の方々も黙り込んでしまいました。

だけど私は、内心気が気ではありませんでした。
だって、私だけがその場に取り残されているように思えたから。

大人は子どもに秘密を作りがちです。
おやつのお煎餅の在処も、サンタクロースに会う方法も、どうして赤ちゃんが生まれてくるのかも教えてはくれません。それが悲しくて悔しくて、私は姉に泣きついたことがあります。
『大人達が秘密を作るんだから、私達も秘密を作ろうよ』
姉はそう言って、私の頬にキスをしました。大人が教えてくれないから、私達子どもも大人には絶対に教えない。姉妹の秘密のごっこ遊び。それが嬉しくて、私はずっと姉の側を離れませんでした。

だけどそんな姉が、大人しか知らないことを知っていた。しかも、それを私に教えず、秘密を作っている。
私は、裏切られた気持ちでいっぱいになりました。姉が私達の敵である、大人みたいに思えたのです。
「適性があるのは姉の方です」
家人の言葉に、エティアさんは静かに頷きました。そして、
「では、せれなさん」
「はい」
姉は私なんて居なかったかのように、エティアさんと、月見里家の人々に連れられてどこかへ行ってしまった。本当にあっけない姉との別れでした。
でも、それから数年後。
「ごめんなさい、るなさん」
数年ぶりに私の許へ訪れたエティアさんは、以前と変わらない美しい姿のままでした。その時ようやく私は、彼女の正体がタロット使いなのだと知りました。
「以前あなたに連れて行かれた、せれなお姉ちゃんは?」
つい、意地悪な聞き方をしてしまいました。だってもう私は、お煎餅の隠し場所も、サンタクロースの正体も、赤ちゃんがどこから来るのかも知っている、世界の秘密を知った大人です。だから秘密を知る権利がある。そう思って、心に燃える怒りの炎を消したのです。
エティアさんは、首を横に振りました。
「私の責任です。月見里家のことをちゃんと知っていれば、こんなことには……」
あの時と同じ、悲しげな声色で告げたエティアさんの言葉で、姉の身に起こったことを知りました。
先代の【月】をはじめとした優秀なタロット使いを輩出する月見里家は、名門の名に泥を塗らないよう鍛錬に余念のない家柄でした。それは裏を返せば、厳しい躾の上に成り立つということです。【月】の大御祖母様が優秀だったからこそ、次代の【月】に、そしてそれを教育する月見里家の人々にのし掛かる重圧は尋常なものではなかったのでしょう。
誰が悪いという訳ではありません。ただ、結論から言えば――
「あなたのお姉さんは、【月】の適性を失いました」

*  *  *

「シルヴィア支部長も言ってた。名門であるほど厳しいって」
「関係あれへん! 月見里家の連中のせいやんか!」
「……私も、許せませんでした。だけど、実際に【月】を受け継いで気付いたんです。並大抵の覚悟では、タロット使いは務まらない。私は覚悟の点ではまだ、せれなお姉ちゃんに敵わない……」
湿っぽい吐息混じりの本音に、あかりはかける言葉が見つからなかった。
「覚悟がないなら辞めなさい。私そっくりな顔でウジウジ悩まれると、こっちまで気が滅入ります」
医務室を抜け出したのだろう、せれなが廊下の壁にもたれるように立っていた。息をするのもやっとのようで、顔色は真っ青だった。
「タロットを渡してください。あなたには不要なはずです」
「せれなお姉ちゃん、私は……」
「あなたはいつもそう。自信がないと言葉を濁して、優柔不断で日和見主義。誰かに背中を押されないと何もできない」
「それは……」
「あなたには覚悟がない。覚悟のない者がタロット使いを名乗るな!」
ふらつくせれなの手が、るなの胸元、【月】の在処へ伸ばされた。タロットを奪う程度では、その力を継承することはできない。せれなの行動が無意味なことだとはあかりも分かっていた。
分かっていたが、あかりの手はせれなの腕を掴んでいた。
「そんなことない。るなちゃんは立派なタロット使いです」
あかりの宣言に続き、せいらも抗議の声を上げる。
「姉なのに妹のことすら分からないんだね」
「姉だから分かることもありますので」
反論をぴしゃりと封じて、せれなはるなをにらみつける。
「ならば決闘をしましょう。【月】のを賭けて、あなたの覚悟を証明しなさい」
「何アホなこと言うてんねん、そないな勝負したところで意味なんて――」
「部外者は黙れ!」
けが人とは思えない覇気の篭もった声でぎんかを振り払って、せれなは――姉は妹に迫る。
「……これは私達の問題です。返事をしなさい、るな。戦うか、戦わないか」
固唾を呑んで見守るしかできないあかり達の視線は、必然的にるなに注がれる。長い沈黙の後、るなはやおら顔を上げた。瞳には強い意志が宿っている。
「分かりました。私、戦います」
「えっ!?」
あかり達が止める間もなく、せれなは口角を片方上げて笑った。
「では、中庭で待っています」
ふらつく足取りのまま壁伝いに歩くせれなを、るなは黙って見送った。
「るな、本気?」
心配する三人に、るなは緊張した顔のまま微笑んだ。明らかな作り笑顔でも、それがあかり達に安心してもらいたい、精一杯のるなの気持ちであろうことは分かる。分かってしまう。
「本当に決闘するんだね、るなちゃん」
「……ごめんなさい。止めてもらったけど私は……お姉ちゃんと向き合いたい……」
これは、【月】を巡る姉妹の問題だ。るなの言葉に決意めいたものを感じたあかりは、心を決めた。喧嘩を止めるばかりでなく、決意を汲んで結末を見守ることも友情だから。
「……無理しないでね、るなちゃん」




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