余津浜支部の中庭で、あかり達は月見里せれなの――アルテミスの姿を見留めた。テネブライモードに変容したあかり達の輪から一歩前に歩み出て、るなは顔を上げた。
「月詠るな、参りました」
「来ないと思っていました。あなたは逃げてばかりでしたから」
冷ややかな返答に、るなは心細そうに手を腰の前で組んだ。一方で、返事をしたせれなは臨戦態勢を取る。自然な立ち姿のように見えて、隙あらば潰すという敵意にも似た意思が漏れていた。
ほとんど実戦と同じだとあかりは思った。同時に、るなの身を案じた。
あれだけ思い出深い大好きな姉と、るなは戦うことができるのか。そもそもるなは何故、せれなとの決闘を引き受けたのか。決闘なんて無意味なことは今すぐにでも止めたかったが、るなの決意を理解せず否定するのも気が引けた。結果、あかりは事態を傍観するしかない。それは両隣に立ったせいらやぎんかも同じだった。
るなは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。正確に、自身の思いを伝えるために。
「正直、逃げたいとは思っています。お姉ちゃんを傷つけるようなことはしたくありません」
「癪に障る言い方ですね。私を傷つけられると思っているのですか?」
「そんなつもりは」と言いかけて、るなは続く言葉を呑み込んだ。そして、揺れる心を整理するために深呼吸をする。
「始める前に少し話をしませんか」
「構いません。立会人もまだ来ていませんから」
るなはせれなを目を合わせて、語り始めた。
「……昔はよく、ふたりでイタズラをしましたね。お父様に遊んでもらいたくて、お仕事に行けないよう靴を隠したり。お母様の口紅を勝手に使ったり」
アルテミスは表情ひとつ変えず、無言を貫き威圧する。それでもるなは臆さない。
「でもあなたは私を庇って、一番に叱られてくれました。思えば私は、ずっとあなたに守られていた気がします。エティアさんが初めて月詠家にお見えになった時もそうです。あの時の私は、裏切られたような気持ちでいっぱいでした」
るなはあかり達に聞かせた話を語った。エティアがやってきた時、世界の真実を知っていたのはせれなだけだった。「二人の秘密を作ろう」と約束しておきながら、せれなはるなに【月】のこともタロット使いのことも秘密にしていた。当時のるなが裏切り行為だと思っても仕方がない。
「だけど、後になって気付いたんです。せれなお姉ちゃんが何故、タロット使いの事を秘密にしていたのか。それはきっと――」
「あなたに【月】を与える訳にはいかなかったからです」
昔話を遮って、せれなは吐き捨てた。そして、それ以上の言葉を継がせぬよう、冷ややかな声で告げる。
「思い出話はもう結構です。よろしいですか、立会人さん」
「はいはい。死なない程度にがんばって~」
「グンバツの撮れ高しくよろ~!」
場の空気をまったく無視して、霧依が中庭の柱の陰で呑気な声を上げた。隣には、ビデオカメラを構えた雫の姿もある。動画サイトにアップして小遣いを稼ぐ腹づもりだろう。
「ちょー待ち! 普通は止めるところやろ、煽ってどうすんねん!?」
「あの二人は普通じゃない」
「そりゃごもっともやけどな!?」
【月】の姉妹が作り出した沈黙の中に、ぎんかのツッコミは誰に顧みられることもなく虚しく消える。
そして、それが決闘開始の合図になった。
せれなは両の手を掲げた。青白い粒子が立ち上り、集まり、手のひらの中に輝く銃を作り出す。
双子の為せる技だろう。せれなが構えたのとほぼ同時に、るなも両手を掲げた。新緑。るなの足元を満たした緑色の光が木の根や蔦へ変わり、蛇のようにとぐろを巻く。
「武装レベル1、コンバット。……後悔しても遅いですよ」
「後悔したくないから戦います。私はもう逃げませんっ!」
「その意気やよしッ!」
号砲。せれなの発砲から決闘の幕は上がった。青白の粒をたなびかせて飛ぶ弾丸は、迷いなくるなの心臓を狙う。避けねば死ぬ速さの凶弾。それを防がんと根を急成長させ、弾丸を呑み込む。そして。
「私だって、成長したんですっ……!」
根は鞭のようにしなり、呑み込んだ弾丸をせれなへ向けて投擲した。弾丸を石に見立てたスリングショットだ。
容易く避けたせれなは、狙いを変えて銃を乱射した。理解したのだ、弾丸は根に呑まれると。すぐさま一撃必殺の選択肢を捨て、手首、足首といった身体中の関節を破壊せんと弾雨を注ぐ。己の想像力を限界まで働かせ、一発一発の軌道すらコントロールする。
その光景はまるで、弾丸のキャッチボール。当たれば即死のドッチボールだ。
「るな! せれな!」
「ホンマにおっぱじめるアホがおるか! あかり、せいら! 今すぐ止めるで!」
撃ち合いの中に介入する。ぎんかが両手を掲げたところで、るなが脇目も振らず叫んだ。
「止めないでください!」
「なんでやねん!? 姉妹同士で決闘やなんてそんなアホなこと――」
「私はお姉ちゃんと戦うんです……戦わなきゃいけないんですっ……!」
弾雨はより一層激しさを増した。蛸足のように蠢く根だけでは処理が追いつかない。弾丸を呑み込むことは辞め、るなは根の表皮を硬質化させる。目的は跳弾だ。
かつて、ロンドンでの研修時。るなはシャルロッテの話をひたすら聞いていた。聞いていたというよりは、後輩ができて嬉しいシャルロッテがびゅうびゅう吹かせる先輩風を一身に浴びていたという方が正しいが。
シャルロッテ教官(自称)は、るなに要らぬアドバイスをくれた。
『あー。るな君。るな君の根っこ能力は上手く利用すれば跳弾装甲になると思うのだよ、教官はね。え? 跳弾装甲知らない? ウソでしょ君なんのためにタロット使いやってるの? まあしょうがないなあニュービーだもんね。しょうがないからこの先輩兼軍事教官であるシャルロッテちゃん様が説明してあげちゃおう心して聞くように。いいかね、跳弾装甲というのは従来の戦車には標準搭載されている装甲で弾丸の進入角にに対して傾斜角が……』
シャルロッテが語った説明はまったく覚えていないが、それは迫り来る弾丸を正面で受けず、あえて反射させてダメージを逸らすもの。だが、跳弾後の軌道までは計算できない。すなわち。
「……っ!」
風を切る音に、衣服を引き裂き焦がす音。そして――熱く、痛い裂傷が、るなの四肢に刻まれる。だが、るなは意識を集中した。止まない雨はないのだ。
「チッ!」
一方で、せれなは蔦の猛威に晒されていた。根ほどの細さもない吹けば飛ぶような細い蔦でも、雨後の竹の子のように生えてくると対処に手間取る。
せれなは片手の銃を放り投げて、青白いコンバットナイフを出現せざるを得なかった。
「いい加減にしなさい、るな!」
「それはお姉ちゃんもですっ!」
せれなの攻撃の手が緩めば、るなにとって好機になる。すぐさまるなは余った根を這わせ、せれなの足元に巻き付かせた。ナイフではそうそう伐れない根で動きを封じ、今度はこちらの番とばかりに巨大な針葉樹を出現させた。針のように細く刺々しい葉を、せれなへ向けて一気呵成に飛ばす。
「るなはタロット使いにならなくていい!」
足元を固定されていても、せれなは動じなかった。持ち替えたばかりのナイフをすぐさま銃に戻し、突き刺さんと飛来する針葉樹の葉を一気に撃ち落とす。撃ち漏らした葉がせれなの衣服を、肌を引き裂いていく。姉妹揃ってボロ雑巾のようだ。
「私はあなたのためを思って言ってるんです! それを分かりなさい、るな!」
懐から出した煙幕を焚いて、せれなは姿を眩ませた。攻撃が止んだ一瞬の隙を突いて、今度は両手をナイフに持ち替え飛びかかった。
「そんなの私のためじゃありませんっ」
るなは両腕を硬質化させていた。樹皮のように堅くなった腕でせれなのナイフを留める。せれなの動きを止めたところで、背後の針葉樹から針を浴びせる。跳躍して避けたせれなの軌跡を追うように針が放たれ、ナイフを即座に破棄したせれなは空中で再び二丁拳銃を展開、針を弾丸を相殺した。
まさに一進一退だった。互いを知り合う双子ゆえの息が合った攻防には、武術の型のような一種の美しさがあった。
そして二人は沈黙する。間合いをとって静かに息を吐くと、せれなは切り札の使用を宣言する。「武装レベル3、ターミネート」
「タロット使いの重責は私が負います」
せれなの右手は、枯れ木の弓に変容した。いつぞやのダエモニアを貫いた、対ダエモニア用の決戦武器を構え、緑色の矢を番える。
「いつまでもお姉ちゃんに守られる私じゃありませんから」
対してるなは、淡い緑色の盾を何層にも渡って展開する。
矢が貫くか、盾が耐えるか。二人の意志の戦いだ。
「そうか、せれなは……」
あかりはせれなの思惑に気付いた。頑なにタロット使いに固執するのも、タロットをるなから奪おうとするのも、すべてはるなを思っての行動だ。この決闘は、単なる姉妹喧嘩ではない。長年のすれ違いを埋め合わせるために必要なものだ。
決闘を止めることはできない。止めてはならない。
矢はせれなの指を離れた。
「この分からず屋ーッ!」
奥義の矢が放たれ、緑色の閃光へと代わった。矢は盾の幾層を、触れただけで弾き飛ばす。盾の中に深く矢がめり込むにつれて――盾が割れるに閃光が迸り、視界は真っ白な光に飲まれた。
時間の感覚があやふやだった。短くも長くも感じる白光の靄が晴れた時、目映さに慣れたあかりは、対峙する姉妹の姿を見留めた。
「これが私の……タロット使いとしての覚悟です。私だって戦えるんですよ、せれなお姉ちゃん……」
「るな……」
傷だらけ、衣服もボロボロのるなは、掲げていた手を下ろした。唯一、一枚だけ残った緑光の薄盾が消えると、それに刺さっていた矢も同じように消える。
一方でせれなは、大地に膝をついていた。もう立つ力すらも残っていないのか、歩み寄ってきたるなを振り払うこともしない。そのまま、るなに抱き留められる。
「あの時、お姉ちゃんが私を守ってくれたみたいに、私も守りたいんです。みんなを、お姉ちゃんを。それから、私達が大好きだった世界を」
「昔と同じで頑固ですね、るな」
せれなは降参とばかりに笑い、気を失った。
「それはお姉ちゃんもです」
対したるなも笑った。
かくして、姉妹の決闘は終了した。
「どんだけ無茶すんねん!」
駆け寄ってきたぎんかにせれなを預けたところで、るなもまた気を失った。
「ちょ、ちょい待ち! 二人揃ってウチにもたれんといて、倒れるから!」
もがくぎんかをなんとか庇いながらも、せいらはあかりに尋ねる。
「あかり、確認したい。二人が争っていた理由は」
「たぶん、せれなは……自分がタロット使いになることでるなを守ろうとした。でも、るなもせれなを守りたかったんだと思う。だから、どっちも敵意があった訳じゃない」
「愛ゆえのすれ違いってヤツやな」
「愛……」
あかりとせいら、二人分の呟きが反響して、ぎんかは気絶した姉妹に押し倒されたのだった。
二人の顔はどこか憑き物が落ちたように晴れやかだった。