幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/10

あかりは地面に膝をついた。大地にはるなの足跡が残るだけで、その場には何もない。デュプリケートは消え、それに呼応してみなとも消えた。残っているのはあかりとぎんか、せいら。そしてラプラスとシュレディンガーだけだ。
風が揺らす梢の音だけが満ちている。痛々しい沈黙を破ったのは、楽しげな態度を隠そうともしないシュレディンガーだった。

「これで対消滅していない者は3人だけになった訳だニャ」
「ふざけんな!」
「るなちゃんをこんな目に遭わせて……! そんなにレグザリオの計画を見届けたいんですか!?」
あかりより早く、せいらがシュレディンガーの襟首を掴んでいた。冷静なせいらにしては珍しく、相当の怒気を孕んでいる。それに続くように、あかりも叫んでいた。

「ああ、見届けたい。愚かな救世計画にすがった古いレグザリオが自壊していく様をな」
「なんやて――」
「ぎんか! アリエルはんからの連絡や!」

遮って、ぎんかの父親が走ってきた。抱えていた年代物のラジオからは、ノイズ混じりのアリエルの声が聞こえてくる。

『……マルゴット……天道……消滅……した……。……エティアが……滅……以上……私も長くない……ろう……』
「アリエルさん、教えてください! なぜ私が鍵なんですか!?」
「落ち着き、あかり! これは通信やない、ラジオや! アリエルはんには聞こえて
へん!」

ぎんかがラジオのチャンネルを調整し、なんとか音を拾えるようにする。

『お前達が……を聞いている頃……私はもう……滅しているだろう……』
ノイズが酷くて聞こえないが、内容はシュレディンガーが言った通りだ、対消滅していないタロット使いはあと2人。せいらとあかりだけだ。
『……エティアのセ……ハウスに簡易の上昇機関……る……。それを使えば……トラルクス……向かえ……』
「上昇機関……!」
「アレがあればアストラルクスへ行ける! それにここまで一方的にやられんで済む! 分かっとるな、あかり、せいら!」
「……うん。事情を知ってるメーガンさんを問い詰める。それで、もし……救世計画をやめて貰えなかったら」

あかりは立ち上がり、涙を拭った。そして、ぎんかとせいらを目を合わせる。

「タロット使い同士でやり合いとうないけど、人間の命がかかっとる」
「……これはせれなの仇討ちじゃない。みんなを守るためだから」

それぞれ自分に言い聞かせるように2人は告げる。
決意は同じだ。アストラルクスへ向かい、事件の首謀者たるメーガンを追い詰める。ようやく見つけた希望の糸をたぐるように、あかり達は踵を返す。
だが、希望の芽はすぐに摘まれることとなる。

「どちらへ向かうつもりですか。ミス【太陽】、そしてミス【星】」

紫光漏れる亀裂から、メーガンが姿を現した。アイオーン特有のまだらな光背を背負い、にんまりと貼り付けた笑みを湛えてあかり達を見据えている。
その双眸は獲物を見つけた狩人。寒気がするほどの強烈な蛇睨みだった。

「いやはや、計算違いでした。新人部隊はすぐにでも対消滅すると思ってはいましたが、これほどまでしぶといとは」
「メーガンさん、こんなことは即刻中止してください!」
「勘違いなさらないでください。これは悩める人類へのレグザリオからの贈り物ですよ? 現実世界を捨てて魂の存在になれば、もう思い悩む必要はない。人類を苦しみから解放する、これこそが救世計画です」
「そんなの、メーガンさんが押しつけてるだけじゃないですか! みんな悩みながらも生きてるんです、それを勝手に生きることを奪うなんて……せれなのことも、絶対に間違っています!」

メーガンは「やれやれ」と大仰に肩をすくませた。

「【正義】の青臭さが鼻につきますね。そろそろ理想論を掲げる子どもではなく、オトナになってはいかがですか?」

オトナ、という言葉にせいらの口が動いた。

「オトナなら、誰かを守るために戦うもの。シルヴィア支部長はそう言っていました」
「せや。うちらはアンタらレグザリオの計画から世界を守ったる!」

メーガンはわずかに眉根を歪めた。が、すぐに笑顔を張り付ける。それもそのはずだ、メーガンは【星】のディアボロスを指先で弄んでいる。

「今しがた、アリエルの対消滅が確認されました。つまり、残っているのは【太陽】と【星】。そして、こちらには【星】がある」
「せいらを対消滅なんてさせません!」

目の前で対消滅したるなの姿があかりの脳裏を過ぎった。対消滅は死ではない。それは頭では分かっていても、親友が消えてしまうのを黙って見過ごすことはできない。絶対に繰り返す訳にはいかない。
メーガンはあかり達の目論見を瞬時に看破し、告げてきた。

「では、ミス【星】。あなたがここで対消滅すれば、【太陽】と【節制】のおふたりは見逃してさしあげましょう」
「え……」

唖然としたあかり達の中、すぐさまぎんかが否定する。

「信じたらあかんでせいら。どうせウソに決まっとる!」
「約束は守りますよ。むしろ、貴女には対消滅以外の選択肢はない。考えてもみてください。私が現実世界で事を構えると思いますか? アストラルクスからであれば、皆さんを一方的に嬲ることができるのですから」

あかりは奥歯を噛みしめた。メーガンの提案は拒否できないのだ。
アストラルクスからの攻撃はあまりに一方的だ。先のデュプリケートの襲撃が好例だろう。メーガンに対抗するには、あかり達もアストラルクスへ向かう他ない。だが、メーガンの隙を付いて上昇機関を使うのは不可能だ。

「汚いやり方だな、メーガン・ブラックバーンズ」
「おや、死に損ないましたかラプラス。ではあのお二人と、【節制】の御父上も人質です。さてどうしますか、正義かぶれの星河せいら。貴女は自らを犠牲にして、5人の命を守れますか?」
「…………」

せいらは悩まなかった。悩むもなにも、あの人(シルヴィア)ならどうするだろうと考えた瞬間に、答えはひとつに決まっていたのだ。
報告書でシルヴィア・レンハートの存在を知った。そして、ロンドン支部でシルヴィアの活躍を間近に見た。彼女の正義を貫く姿は、かつての復讐に燃えていたせいらとは対極で、だからこそ憧れた。
あんなオトナになりたいと心からそう思ったのだ。
大切な人々を守るためなら、犠牲になることすらも厭わない魂。それはまさに、白銀に輝く正義だ。
ならば、自分が取る選択肢は――あかりやぎんか、対消滅してしまったが、るなのために自分ができることは、ひとつ。

「……分かった」
「せいら!?」

悲鳴にも似た声をあげたあかりとぎんかを押しのけて、せいらはメーガンの元へ歩み寄る。片方の口角を釣り上げて笑うメーガンに、せいらはハッキリと告げる。

「ひとつ訂正してほしい。私は正義かぶれじゃなくて、したいことをしているだけ。大切な友達を守れるなら、対消滅くらい構わない」
「ええ、ええ。訂正しましょうとも。貴女は立派なものですよ」

メーガンは心底愉しそうに笑い、【星】のディアボロスを掲げた。

「他に言い残したことがあればどうぞ、星河せいら」
「……思いつかないな」

考え込んだ挙げ句、せいらの口から出てきたのはそんな言葉だった。それでも、制止しようとするあかりとぎんかの声に反応して思いついたのか、言葉少なにせいらは口を開く。

「ぎんか、たこ焼き美味しかったよ」
「なに当たり前のこと言うてんねん!? そういうことやない、メーガンの罠やって気――」
「ぎんかのお父さん、送ってもらってありがとうございました」
「せ、せやけどせいらちゃん……」

そしてあかりに視線を向けて、せいらは微笑んだ。

「最後まで一緒に居られなくてごめん、あかり。私の代わりに世界を守ってほしい」
「せいら!」

ぎこちない笑顔、それがあかりが最後に見たせいらの姿だった。

新人女優・エリカは余津浜の事務所を後にした所だった。欧州での公演中、たまたま観劇に来ていた余津浜の芸能関係者に声を掛けられ、現在は活動の拠点を余津浜に移していた。
来日を決意した理由はいくつかあるが、そのうちのひとつはダエモニアから助けてくれた彼女――鈴掛みなとを探すこと。忙しい日々の傍ら、いろいろと探ってはみるものの、彼女の消息を知る者は見つかっていなかった。
それも当然だ。彼女の存在は、世界から忘れさられてしまったのだから。

「こんな所に居るはずもないか……」

路地裏のそばを通るたびに、覗き込んでみる。見つかるのは雑然と積まれたゴミや、ネコばかり。みなとの残す黒い泥の痕跡はどこにもない。そんな日々を過ごしていたその日、エリカの周囲に再び奇妙なことが起こった。

「えっ……?」

最初は見間違いかと思って目を擦った。あり得ない光景だったからだ。だが何度目を擦っても、メガネを掛けても、それは消えなかった。

余津浜の中心部に、巨大な樹が出現していた。
巨大な樹は、余津浜の高層ビル街を幹に取り込んで、天高く伸びている。立ちこめた分厚い雲すら突き抜ける程のあり得ない高さだ。自然界の樹木がこの高さまで達することは――人工の建築物であっても、考えられることではない。
おまけに。

「人が消えてる……!?」

余津浜を歩いていた人々が、身につけていた物だけ残して次々と消えていく。サラリーマンも学生も、散歩中の老夫婦も買い物帰りの主婦も。皆分け隔てなく消滅する。交差点ではクラクションと衝突音が鳴り響き、やがて消えた。運転席から人が消えたからだ。
恐怖から、エリカは走っていた。すれ違う人々は、振り向いた瞬間には消えていた。交番もコンビニももぬけの殻だ。
人間が消えていく。余津浜中心部の巨木が、まるで大地から養分を吸い上げるがごとく、人間を消滅させている。

エリカは必死で逃げた。人々は気づいていないのだ。巨樹のことも、人が消えていくことも。エリカは分かっていた、劇場の事件と同じだ。あの妙な――ダエモニアとかいう存在は、妄想じゃない。普通の人々には認識できないだけだ。

「助けて、みなと……!」

さんざん探し回っていた彼女の名を呼んだ。どこを探しても見つからない彼女が、助けにきてくれるはずがない。それでも叫ばずには居られなかった。
アスファルトの舗装に、じわりと泥が染み出した。




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