幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/11

モニタには、余津浜の惨状が映し出されていた。
余津浜中心部に突如出現した、街そのものを呑み込まんばかりの巨樹。地表からまっすぐ伸びた幹は雲を突き抜け、その先は目視できない。
そもそも、常人には事態を認識することすらできないのだ。ただ人間が消えているという、巨樹がもたらした結果しか知ることができない

「タロット使い全員の対消滅は確認されていないはず! 何故救世計画が発動した!?」

白亜の円卓――協議の間に集うレグザリオの支配者達は、モニタの映像や念写によって余津浜の事態を知った。驚愕する者、罵詈雑言を並べ立てる者、あるいは絶望し頭を抱える者。反応はそれぞれだが、どれも自らの計算外の事態に臆し、怯え、恐怖に顔を引きつらせている。

「説明してもらうぞ、セフィロ・フィオーレ!」

口角泡を飛ばし、支配者のひとりが雫と霧依に怒気荒く詰め寄る。顔を見合わせた雫と霧依は何も答えない。それどころか緊張の糸が切れて笑い出した。抱腹絶倒、清々しいほどの爆笑だ。

「何がおかしい!?」
「いやあ、1500年生きてる割に大したことないオツムだなあって。メーガンの情報をここまで鵜呑みにしてるとは思わないじゃない?」
「結論だけ話せ! なぜ全タロットが対消滅していないのにセフィロトが顕現したんだ! アレは救世計画の最終局面で顕現するはずのものだろう!」
「全員が対消滅していない? 勘違い乙、プププ」

その場に集う関係者から、いっさいの表情が消えた。自らの命運を悟ったのだ。その様子に勝利を確信した雫は、ダメ押しとばかりに突きつける。

「レグザリオは元々、アリエッティの救世計画のために作られたモノ。あの余津浜のでっかい世界樹――セフィロトが顕現すれば、養分になるよう運命付けられているってワケだ」

告げると、協議の間を貫いて樹木の根が飛び出した。白亜の間はたちまち世界樹の根に覆われ、円卓も椅子も、さらには1500年の時を生きるレグザリオの支配者達を絡め取っていく。

「1500年蓄えた欲望を人類の進化のために使えるなんて喜ばしいことじゃないか、レグザリオの諸君!」

霧依の言葉通り、絡みついた巨樹セフィロトの根が支配者達のすべてを吸い上げていく。生命力も精神力も、長年にわたる思索や構想、さらには記憶まで。名状しがたい、嬌声とも悲鳴ともとれる断末魔を残しながら支配者達は干からびていく。
先ほど霧依と雫に詰め寄った支配者は、消え入りそうな声で叫んだ。

「我々レグザリオを騙して……どうするつもりだ……!」
「アリエッティの夢見た、全人類が救われた世界にレグザリオは要らない。さようなら、旧時代の支配者達。ってメーガンが言ってた」
「おのれェッ……! メーガン・ブラックバーンズッ――!」

レグザリオ。アストラルクスに存在する秘匿組織は、アリエッティの救世計画通り、世界樹セフィロトが天高く育つための甘露の養分となった。
長きに渡り人類を支配したレグザリオは、今この時をもって壊滅した。

*  *  *

「るなちゃん、せいら……」

共に戦ってきた友人を守ることすらできず、対消滅によって奪われてしまった。あかりは崩れ落ちたまま、力なく大地を叩いた。

「おやおや、必要な犠牲であることすら理解できないとは。エティアは何を教育したものでしょうね」

挑発的なメーガンの言葉に、あかりは顔を上げた。

「私は……あなたを許さない……! 私の友達に、他のタロット使いの先輩達にエティアさんまで、みんなを裏切るなんて……!」
「ではどうしますか、ミス【太陽】。今この場で私を殺せば、救世計画は止まるとでもお思いです?」
「思わないけど……! それでも、あなただけは……!」
「やめとき、あかり。勝ち目なんてあらへんし、それにあかりは鍵なんやろ?」

あかりの前に立ちはだかり、ぎんかはメーガンを睨み付けた。

「殴り合いならうちがやる。あかりには指一本触れさせへん!」
「貴女に用はありません、ミス【節制】。もう救世計画は始まりました」

「そろそろです」と懐中時計を取り出したメーガンが告げる。すると、眼下に見える余津浜の街に、巨大な樹木が出現した。

「な、なんやあれは……!?」
「世界樹、セフィロト。アレの素性は、そこのネコとカラスの方が詳しいでしょうね」

メーガンの言葉に、ラプラスは苦々しげに口を開いた。

「原始の人類、アダムとイヴは禁じられた知恵の実を食べることで原罪を背負い、楽園を追放された。楽園追放の一節だ。つまり、知恵を持つという罪を犯したため、人類の魂は肉体という脆い箱に押し込められ、苦悩し続けることとなった」
「そんなこと言われても分からないよ!」

悲鳴にも似たあかりの声を、シュレディンガーは鼻で笑う。

「簡単だよ。知恵なんてものがあるから人類は悩みが尽きない。悩みが尽きないからダエモニアの食い物にされる。なら、知恵を失えばいいんだよ。知恵がなくなれば希望も絶望もないでしょ? それって人類を悩みから解き放ったことになるよね」
「知恵を失うって……本気で言うてるんか……!?」
「ラジオでも聴いてみるといいニャ? まあ、なにも聞こえないと思うけど」

シュレディンガーの言葉を遮って、ぎんかの父が叫んでいた。

「余津浜から人が消えとるやて!? どないなってるんや!?」

ラジオからは、緊急ニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえていた。余津浜市内で謎の大量失踪事件が相次いでいる。普段は人で賑やかな場所には人っ子ひとり居ないどころか、取材に赴いた者とも連絡が取れていない。
すなわち。

「当然だよ。セフィロトは周辺の肉体を養分に育っているんだから」
「セフィロトは今も成長を続けています。今は余津浜の一部に過ぎないセフィロトが世界を覆えば、全人類が肉体を失い魂だけになる。この全人類の対消滅によって人類を救済する。これこそがアリエッティの救世計画の全容です」
「んなアホな話が……!」

発言を裏付けるように、ラジオから言葉が消えた。ついで無音の電波は耳障りなノイズになる。送信している人々が消えたのだ。どの局を回してもラジオの音はなく、余津浜以外にスタジオのある遠方のラジオだけが、余津浜の大量失踪をニュースに取り上げている。

「さて、我々アイオーンは世界の行く末を見届けるとしましょう。同行願えますねミス【節制】、白金ぎんか」
「そんなモンお断りや! こんな計画、うちとあかりで絶対に止めたる!」
「荒事には及びたくありませんが、仕方ないですね」

メーガンはただ指を弾いた。途端、ぎんかの身体が宙に浮かぶ。ついで二発目の指音で、上昇機関のあるエティアのセーフハウスが不自然にひしゃげた。

「なにすんねん、やめ――!」
「それでは、失礼しますよ」

三度目の指音で、メーガンとぎんかはアストラルクスへ転移した。
遥か彼方に見えるセフィロトの巨樹は、先ほどよりも大きくなっている。ランドマークを呑み込まんばかりに巨大化したそれの被害は、もはや余津浜だけに限らない。根を幹を巨大に広げ、周辺の都市へと浸食を始めている。
対消滅により人類の肉体を喰らい、魂に還元する。その手段がセフィロトの樹であり、アリエッティの救世計画だ。

「もうじきここもセフィロトの勢力圏に堕ちる。人間の救済、人類の進化が果たされる」
「そんなの、許せないよ……間違ってるよ……!」

あかりは叫んだ。心の底からの、怒りだった。

「こんなこと誰が望んだの!? 誰が魂を救ってほしいって言ったの!? 消えて魂だけになった人は、みんな救われたいなんて願ったの!?」
「個々人の願いなんてどうでもいいニャ。肉体がなくなれば希望も絶望もなくなる。もう遅いんだニャ」
「レグザリオの急進派は、人類の対消滅を進化だと捉えた。私とシュレディンガーはアリエッティの救世計画は危険と反旗を翻した。そのため、レグザリオに排斥されたのだ」

あかりは元レグザリオのふたりを睨み付ける。ラプラスは「無駄だ」とばかりに首を横に振り、シュレディンガーはうすら笑いを浮かべている。どちらの表情も、無策であることを雄弁に語っていた。

「おっちゃんも消えるってことか。まあ、そういうことならしゃあないな!」

一方で、ぎんかの父は笑っていた。悲しげな影が差し込んでいるが、努めて明るく振る舞っている。あかりへの気遣いだ、それが分かっているから、あかりは今にもあふれ出そうな涙を必死で食い止めた。

「おじさん、私は……!」
「ええんやええんや。魂だけになったって、おっちゃんはサンチョ・パンサを続けるで! アストラルクスだかに支店の一つでも作って、天使や悪魔相手に商売したるわ!」

笑顔を残し、ぎんかの父も消えた。同じくラプラスとシュレディンガーも、彼らが言った通り、肉体を離れ魂だけの存在になる。この場がセフィロトの勢力圏に入ったのだ。

「ごめんなさい、エティアさん。私は、鍵にはなれないみたいです……」

アリエッティが仕組んだ救世計画、その巨樹セフィロトを断つ方法など分からない。自分自身にそんなチカラがあるとも思えない。あかりはただのタロット使いだ。そんな少女に、世界を救う鍵が備わっているはずがない。
諦めてしまえば、ラクになれるのかもしれない。アリエッティの計画に従って、魂だけの存在になれば、希望も絶望もない魂の存在になれる。そうすれば、冬菜にも――そして父や母にも会えるかもしれない。
だが、このまま諦めてしまっていいのだろうか。あかりは自答する。あの、人間の尊厳を踏みにじるセフィロトを破壊しなければ、この世界に生きとし生けるものはすべて、生を奪われてしまう。

「計画を止めなきゃ、切り倒さなきゃ……!」

どうしようもない諦めの中にあっても、あかりは立ち上がった。
計画を潰す、アリエッティを倒す。
あかりを突き動かすのは、純粋な怒りだった。

「……負の感情だだ漏れてるよ。タロット使いがそんなことでいいの?」

その時だった。
以前よりも、それどころか初対面の頃よりも顔色の悪い少女があかりの背後に立っていた。腕を押さえ、肩で息をしている。見るからに消耗している。足元の沼は以前よりも小さく、沼に潜むダエモニアの声も聞こえない。

「ネガティブな気持ちで『みんなを守りたい』なんて、よくそんな器用なこと考えられるね、あかりちゃん」




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