幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/最終話 エピローグ -後編-

『鈴掛みなとなんて人間はこの世に存在しない』

余津浜での公演のために来日した女優・エレナは、仕事もそこそこに命の恩人を探し回った。公文書の閲覧、失踪者情報の検索、私立探偵による調査。考えられる手段はひととおり当たったというのに、結果は梨の礫だ。

――ならば、これはいったい何なのだろう?
エレナは唯一の手掛かり――カッターナイフを握る。鈴掛みなとが使っていたものだが、よくある大量生産品だ。手掛かりにはほど遠い。
ここまで辿り着けないと、彼女は本当に存在しないのかもしれない。たまたま見てしまった幽霊の類ではないかという気さえしてくる。
事実、エレナは見たのだ。余津浜の街にそびえ立つ巨大な樹木を。そして人々が突如消失していくビジョンを。

――私は、幻影を見たのかもしれない。

来日公演が終わった今、これ以上長居することはできない。おかしな幻影を見たのだと強引に結論付けて、エレナは見納めとばかりに余津浜の街を歩いた。鈴掛みなとを探さないと決めた途端に、余津浜中華街の赤と金の街並みが視界に飛び込んでくる。
エレナは占い館(フォーチュン)の看板を見つけて足を止めた。鈴掛みなと捜索で頼ったのは、警察や探偵ばかりだったことを思い出す。
ダメで元々だ。占い館の暖簾をくぐり、「三代目・永瀧の母」と書かれたブースで待っていると、赤い髪の少女がエレナの目の前に現れた。

「こんにちは、三代目・永瀧の母です。母って言うにはちょっと若すぎる気もしたんですけど、でも娘だとよく分からないかなって思って」
「はあ」

何を言っているのかよく分からなかったが、占い師・三代目永瀧の母はにこりと太陽のように笑った。少女の占いには不安もあったが、元々期待もしていない気まぐれだ。エレナは手掛かりであるカッターナイフを取り出し、少女占い師の手元に置いた。

「これの持ち主がどこに居るのか、知りたいんです」
「このナイフは……」

いきなり刃物を出されたら、普通は驚くところだろう。だが、占い師の少女はナイフをしげしげと眺め、重苦しい表情を浮かべた。

「あの、お捜しの人のお名前は分かりますか?」
「鈴掛みなと、と名乗っていました。命を救ってくれた恩人で」
「そう、ですか」

少女は、占いテーブルの上に「外出中」のプレートを置いた。そしてキョロキョロと周囲を伺うと、占い館の出口へエレナを連れ出した。

「どちらへ向かわれるんですか?」
「お捜しの人の居場所、です」

*  *  *

三代目・永瀧の母を名乗る少女の案内で、エレナは占い館から少し離れた小さな庭園に足を踏み入れた。周囲を高層ビルに囲まれた都会の庭の中央に、苗木が植えられている。近くには『プラタナス』と名前を示す看板があった。

「ここに居るんですか、彼女は」

エレナの問いに、少女は首を横に振った。

「本当は居てほしいだけです。あの人のことは、誰も覚えていないから」
「誰も覚えていない……?」

占い師の少女が自分を騙してここに連れてきたのかもしれない。内心疑っていたエレナは、核心に迫ろうと少女と鈴掛みなとの関係性を問いただす。

「鈴掛みなとのことについて教えてくれますか、占い師さん」
「ええと。本当は、軽々しく教えてはいけないんですけど……それに、長くなりますし……」
「構いません、聞かせてください。占いの延長料金が掛かるならいくらでも払います」
「いっ、いえ! お金なんて要りません!」
「すべてを説明してほしいんです。鈴掛みなとのことも、彼女が私を助けてくれたことも。それに、今でも時々見えてしまう(・・・・・・)、謎の魔物達のことも」

占い師の少女は納得したように頷いた。

「では、そちらに」

ベンチに座るよう促され、エレナはプラタナスの苗木を見ながら、少女の説明を聞いた。

少女の語る話は、エレナには到底理解できないものだった。だが、異界・アストラルクスと、その世界で蠢く人間の負の感情の怪物・ダエモニア。それらがどんなものかはエレナにも思い当たる節がある。
ロンドンでのシェイクスピア記念公演の最中、明らかにこの世の者ではない存在が劇場を壊滅させた。ニュースでは痛ましい事故として扱われたが、エレナは確かに見ていたのだ。ダエモニアと戦う少女達と、自らの恩人である鈴掛みなとの存在を。

「……ダエモニアのことを知らない人々は、すべてを忘れます。ダエモニアが起こした事件は事故や災害になるし、ダエモニアに呑まれた人は周囲の記憶に残りません」
「なら彼女はダエモニアに呑まれたのですか?」

占い師の少女は「はい」と力なく告げる。

「ダエモニアはネガティブな感情で育つんです。中でもみなとは、ダエモニアに選ばれてしまったのかも……」

エレナの記憶が確かならば、みなとはタロット使い達ばかりかダエモニアとも戦っていた。そこに強い理由があったことは間違いない。死に場所を求めて、戦っていたのかもしれない。
続く言葉を詰まらせた占い師の少女のため、エレナは手を握ってやる。少女は落ちついたのか、続く言葉を継いだ。

「私達はみなとと戦いました。ダエモニアはみんなを傷つける存在なんです。だから、倒さないといけなくて……」

エレナはようやくにして気づいた。おそらく、みなとは死んだのだ。
彼女を看取った存在がこの永瀧の母――太陽のように明るい、タロット使いの少女。庭園に植えられた苗木は、世界から存在を忘れられた彼女の墓標。プラタナスの和名は、鈴掛だ。
奇妙な巡り合わせに、エレナは目眩を感じる。ほとんど小さな奇跡と言ってもいい事態だ。
それでも、疑う気は毛頭なかった。これが彼女がもたらした縁だというなら――死にたいと願った鈴掛みなとがこの世に遺したものなら、信じたい。

「……でも、おかげで私は気づけたんです。ネガティブな感情も、前へ進む原動力になるんだ、って」
「ネガティブなのに?」

少女は小さく頷き、続ける。

「怒りや妬みや悲しみは、考え方次第なんです。どんなにツラくても前を向こうって思えたら、後ろ向きな気持ちだってチカラを貸してくれる……」

プラタナスを見つめる少女の幼い顔には、伺い知れないほどの苦労が見てとれた。おそらく鈴掛みなとは彼女に何かを遺して逝ったのだ。そしてみなと自身も彼女に看取られ、安らかな死を迎えられたのだろう。

「……なんて、ちょっとかっこよさそうなこと言っちゃいました。恥ずかしい……」
「いいえ。私もそう思いますよ、小さな占い師さん」

エレナの恩人捜しの旅は終わった。
恩人の死がさほど辛く感じなかったのは、占い師の彼女のおかげだろう。鈴掛みなとは死んでも、彼女の存在は忘れられていないのだ。少なくとも、この場ふたりの間では。
エレナは少女に礼を告げた。プラタナスの庭園から立ち去ろうというところで、背後から声が掛かった。

「いちおう、あなたの記憶を消すこともできます。アストラルクスやダエモニアの話、そして鈴掛みなとに関することも」

少女の口調は、自分から言い出したにも関わらず、悩んでいるようだった。記憶を消してしまうこと、すなわち、エレナが鈴掛みなとの存在を忘れてしまうことに戸惑っている様子だった。
エレナの答えは決まっていた。

「消さなくて結構です。他言もしません。世界が彼女のことを忘れても、覚えておいてあげたいから」

占い師の少女は、にこやかに笑った。

「私も同じです」

占い師の少女と握手をして、エレナは庭園を去った。
プラタナスの葉が、余津浜の穏やかな風に揺れていた。

*  *  *

エティアの居ないセフィロ・フィオーレは、広く、そして少し心細く感じた。拠点の執務室にはもう【世界】の使い手の姿はない。今後は副長だったアリエルとマルゴットが指揮を務めるのだと旅支度を調えたシルヴィアから聞いた。
あかりはそれを黙って受けいれた。受けいれる他なかったのだ。エティアの能力を奪ったのは他でもない。70億の魂を救うためにエティアを犠牲にした、自分自身だったのだから。

「エティアさん……」

タロット使いとして目覚めた時のことを、あかりは思い出す。ベッドサイドでエティアからこの世の理を説明され、受けいれることができなかったこと。懲罰房で怒られたこと。今となっては、自分の至らなさを痛感することばかり。
それでもエティアは、自分を救うためにいくつもの危険を冒してくれた。戦う方法を教えてくれたのも、クレシドラから救ってくれたのもエティアだ。
厳しくも優しい、母親のような存在だったのだとあかりは思う。

「おねーたんにお手紙なの!」

ノックの直後、天道いつきが個室扉から顔を覗かせる。小包の差出人に名前はない。ただ、包み紙に残った気配から送り主の素性は知れた。

「エティアさんからかな……?」
「たぶんそうなの! あけてあけて!」

配達そっちのけで部屋に入ってきたいつきに促され、あかりは小包の封を切った。中身は封筒と色褪せた薄桃の日記帳。蝋封を開けると、手紙と数葉の写真が入っていた。
あかりはベッドのふちに腰掛け、いつきを膝の上に座らせる。そして逸る気持ちを抑えながら、手紙を読み上げた。

――拝啓、親愛なる太陽の使い手様

新しい支部には慣れましたか、ご飯は食べていますか。
ダエモニアとの戦いで傷ついてはいませんか、友達とは仲よくできていますか……

……なんて書き尽くせないほどに、貴女への心配事がたくさん胸に湧いてきます。この手紙を書いている今も、貴女の才能を見出してしまった者としての責任を感じ、その責任を放棄してしまったことへの申し訳なさが先に立ってしまいます。長い年月を生きてきたというのに、人間というものはこうも弱いものなのだと痛感するばかりです。
と、私の話はこの辺りにして。

おそらく貴女は今、貴女が行ったことを悔いている頃だろうと思い、私は……悩みましたが、筆を執りました。
タロットを破壊したこと。それだけ切り取れば、貴女の行いは蛮行にも近いものです。破壊することで世界を救うというのは、矛盾した行動に他なりません。我々タロット使いが人々を救うためにダエモニアを殺すことと同じことです。
犠牲なくして人間は救えない。
悲しい宿命を負った私達の戦いは、おそらくこれからも続いていくことでしょう。その影ながらの、幻の戦いを知りながらも見て見ぬフリしかできないことが私としては心苦しいところですが、ひとつだけ、貴女に言わせてください。

ありがとう、太陽あかりさん。
貴女が【世界】を破壊しなかったら、私が今見ている世界は、つまらない荒野になっていたことでしょう。そして私は、救世計画がもたらす最悪の結果を背負いきれず、斃れていたかもしれません。
私は貴女に殺されたおかげで、短いながらも平穏な人生を――人間としての一生を手にすることができました。口にすることさえ許されなかった願いを叶えてもらいました。
すべて貴女のおかげです。だから貴女は自らの行いを責めないでください。【世界】を壊した責任を負おうなど考えないでください。貴女は成すべきことを成したのです。それを誇って、生きてください。

と書いても、責任を感じてしまうでしょうね。貴女は優しい子ですから。
ですから、私が余生を楽しんでいるという証拠の写真を数枚、同封しておきます。私のことを心配したり、自らの行いを責めたりしそうになった時は、この写真を見てください。私は自由な人生を謳歌しています。貴女が心を砕く必要はありませんよ。

さて、長々と書いてしまいましたね。歳を重ねると、どうにも老婆心の自制が効かなくなってしまうようです。多少お説教臭くても、1500歳のおばあちゃんの戯言と思って、許してくださいね。

貴女の友人、エティア・ビスコンティ ――

 

「おねーたん、泣いてるの?」

手紙を読み上げるあかりの声は、途中から震えていた。震えを抑えようとすればするほど嗚咽と涙は止まらず、手紙にはいくつもシミができていた。

「……ううん、泣いてないよ。だってこれは……幸せなことなんだもん……」
「幸せでも泣くの? 珍しいの!」

手紙の入っていた封筒には、エティアの映った写真が同封されていた。各地で観光客や地域の子ども達と撮ったものだろう。どれも一様に、偽りのない笑顔で笑っている。

「エティアさん、楽しそうなの!」
「そうだね……」

あかりは袖口で涙を拭い、手紙を机にしまった。そして、小さく息を吸う。

「……頑張らなきゃね、エティアさんのぶんも!」

告げて、部屋を後にする。第六感がダエモニアの気配を察知したのだ。
あかりは瞳を閉じる。アストラルクスに慣れない半人前のタロット使いは、上昇機関を使わなければ転移はできない。
だが、もうあかりに補助輪は必要ない。独り立ちしたタロット使いは、瞳を閉じて想いを巡らせるだけでいい。
生と死の狭間にたゆたう世界、人間の感情が染み出す世界。
そして、タロット使いが飛び交う幻の世界――アストラルクスへ。

ダエモニアから人々を救う救世主として、彼女は戦い続ける。

「行ってきます、お母さん。エティアさん」

その姿は、幻影となった。

 

– 幻影のメサイア 完 -




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