幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

序章/04

「――つーわけで、主人公はブラック企業を退職、理想のヒロインもゲットしてハッピーエンド大勝利。まあラストはありきたりなんだけど、途中の展開と第七話のドスケベ水着回が――」
 堆く積まれた書籍とDVDのパッケージをオットマンにして、藤隠雫が早口で話を続けている。
 余津浜支部内。二次元三次元2.5次元を問わないグッズが足の踏み場もないほどに散らかった薄暗い雫の私室。
 饒舌に語っていた雫は、壁に寄りかかっている女性の様子をチラ見して声を荒げた。
「聞けよ人の話! お前が教えてくれって言うから、この雫様が貴重な、貴重なゲーム時間を割いてまで作品解説してやったんだぞ!?」
 雫の熱心な解説の一方、女性――逆巻霧依は聞く耳持たず、全裸の女が絡み合ったいかがわしい書籍を「ふむ」だの「ほう」だのいいながら熟読している。
 淡々、細々と喋る雫にしては珍しい怒気荒い声に、霧依は読書を中断して顔を上げた。
「ああ、ちょうどいいBGMだったよ。適度な雑音があると読書に集中できるねぇ」
「聞き流していた……だと……!」
 雫が語っていたのは、昨今――ごく一部で話題になっているアニメ作品『ブラック奴隷に転生したけど美少女だらけで爆アドです』。現代社会におけるブラック企業の実態を痛烈に皮肉ったものの、あまりに細かく描き過ぎて「辛くて見ていられない」と視聴者に言わしめた、攻めすぎた作品だ。
 だが、そんな作品の解説を頼んだことも、わざわざ足を運んでまで頼んだ理由も、霧依はすでに忘れているだろう。もしくは既に満足してしまって、興味を失ったのかもしれない。
 相変わらず、霧依は理解できない。自らがコミュ障だと自覚している雫ですら、霧依と会話が成立しないのは「霧依の方に問題がある」からだと思っている。ちなみにそれは、タロット使い達ほぼ全員の共通認識でもあった。
「ていうか人の部屋でエロ本読むなよ。どうなってんだお前の――」
 『倫理観』と続けようとした雫は、霧依がそんな殊勝な物を持ち合わせているはずがないことを思い出して頭を抱えた。
「やあ、ごめん。実に興味深くて。そしてなにより実践的(・・・)で?」
 霧依は、全身ラバーのボンテージという痴女寸前の格好でニンマリと笑った。肉体を拘束するのがボンテージだと言うのに、霧依のまとった淫靡で猥雑な雰囲気はまるで抑制できていない。というかダダ漏れである。
 吐息が荒くなる一方の霧依に身の危険を覚えた雫は、羽織っていた白衣の前ボタンを素早く留めた。
「やるなら他をあたれよな」
「ああ、()るってそういう意味……」
「違う! 頭にダエモニアでも沸いてんのかお前は!」
「仮にそうならどんなに素晴らしいか! 自らを実験台に、あんなことやこんなことし放題ッ!」
 興奮状態の霧依を放置すれば、数分後にはめくるめく不健全ワンダーランドだ。脳内会議の満場一致をみた雫は、歩く不健全(R18)女を問答無用で廊下に叩き出した。
「あぁん! そういうプレイなのね、雫ッ! いいわ、もっとやって!」
「気色悪い声出すな! いいから出てけーッ!」
 部屋の外から「どこ触っとんねんアホーッ!」という声が聞こえたので、雫はヘッドフォンで耳を塞いだ。
 我関せず。永瀧のたこ焼き少女に幸あらんことを。

      *  *  *

「じゃあ、気をつけて帰ってくださいね。先輩」
 転職を告げた日の夜、私は姫君と勝利の美酒を味わってから帰路についた。途中で忘れ物に気づいて店に舞い戻った私は、耳に馴染んだバニラのように甘美な声を聞いた。姫君のものだ。
 思わず振り返ると、可憐で清楚な女性が他の男性に抱きつき、顔を近づけている。それはまるで、口づけをせがむ恋人のように。
 信じられなかったし、信じたくなかった。だが、目の前の光景は悪酔いの幻でも、白昼夢でもない。

 ――どういうことだ。

 私は物陰に隠れ、SNSで姫君と連絡を取った。
 『もう一軒、行ってみませんか?』と引き留めるも、返ってきたのは、
『せっかくですけど、明日早いから今日はもう寝ますね』
 物陰から身を乗り出すと、男性と姫君の二人は仲睦まじそうに駅から反対方向へ歩いて行く。その先にあるのは、かつて私も同行したことのある場所。

 ――ああ、どうして。どうしてこんなことに。

 角を曲がる瞬間、姫君をリードする男性の横顔が見えた。
 あろうことかその男性は、不夜城の主。暴君だった。

      *  *  *

 深夜。余津浜。アストラルクス。
 高層ビルの尖塔から見下ろした余津浜の街は、巨大なカンバスに描かれたマーブル模様に見えた。
 アストラルクスには、人々の意志が絵の具のように染み出す。活発な者は赤・橙・黄、落ち着きや思慮を求める者は緑・青・紫。鮮やかな色ほど想いが強く、周囲によくも悪くも影響を与える。
だけど人々の大部分は、幸運にもこの世界(アストラルクス)を知らない。
アストラルクスを知るのは、タロット使いとその血縁者。そして、不運にもアストラルクスにアクセスできてしまった本物の(・・・)霊能力者だけ。「こんな世界、知らない方がいい」と『死神』だったお母さんはよく言っていたけれど、今のあたしにはその理由がよく分かる。

 目がチカチカするような色彩の中から、あたしが探すのは負の感情。カンバスの上で絵具が綺麗に混ざり合わないことがあるように、人々の意志が染み出したマーブル模様には、時に深い黒が現れる。
 それはまるで、太陽の黒点のように。
「……見つけた」
 あたしは、マーブルの海に浮かんだ黒点を見定めた。
 ここから南。ダエモニアに変化しそうな人間の気配がひとつ。
 今すぐ殺しに行けば始末する手間は省けるけど、タロット使いは人間狩りを禁止されている。狩りたくても、人間でなくなるまで(・・・・・・・・・)手出しできない。あまりに非効率で、バカバカしくなる。
 人間なんて、みんな死ねばいいのに。

「おーい、見つかったかー!」
 避雷針のたもとで、エレン・ライオットが声を張り上げた。あたしの返答は、手に持った鎌で方向を指し示してやること。あとは下に居るバカどもがやってくれる。
「アイマム! 南南西、方位は六時十九分四十八秒くらい!」
「あいあいさー!」
 あたしの足元では、双眼鏡と長身の銃を構えたシャルロッテ・シュタインベルグと麟舜蘭が小うるさい。哨戒任務に向かうと言ったら頼んでもいないのについてきたこのバカ二人は、騒いでないと死ぬ生き物なのだろうか。いっそ死んでしまえばいいのに。
「とっととやれよお前ら。ホント使えねえな」
「いま集中してんだから黙っててよバカエレン!」
 そしてもうひとりのバカであるエレンが二人を責め立てる。エレンもバカでうるさいけど、他の二人よりは比較的マシ。そんな四人――というかあたしとオマケの三人で、夜間の早期警戒を行う。それが今夜の仕事。
 ああでもないこうでもないとターゲットを探すバカどもを無視して、あたしは生じたばかりの黒点を目で遣った。
 途端、黒点はふたつに割れた。
「……増えた?」
 マーブル模様の波間で黒点はふたつに別れ、それぞれ別の方向へ移ろっていく。黒点がふたつになった理由は分からない。だけど、それらは周囲の強い赤にも、理性的な青にも染まらない。負の感情が強い証拠だ。
 分かることは、ふたつの黒点が己が内にどす黒い負の感情を貯えに貯えていること。あの黒点――人間がダエモニアの誘惑を聞き入れたとき、あたし達に出撃命令が下ること。
「死ねばいいのに……」
 あたしは――ルーシア・ナイトウォーカーは、鎌の柄を握った。意志がすべてを形作るアストラルクスでは、あたしの持った『死神』の鎌は、黒点よりも深く艶めいていた。


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