あかりは目を見開いた。彼女達のような普通の人間が、この階層に現れたことに驚いたのだ。
だが、少女達はあかりに構う様子もなくダエモニアを見据え、こめかみ辺りに装着したインカムのボタンを押した。
「通達。コードネーム:アルテミス、ブリジット、クロノス。配置につきました。武装レベル1、コンバットに設定」
揃いの制服に身を包んだ少女達は、中空に手を差し出す。沸き出した青白い光の粒が掌に密集し、長身のハンドガンを形作った。
「これより、殲滅を開始します」
そして銃把を握り、構え、狙い、迷いなく引き金を引いた。撃鉄に弾かれ、長い砲身を経て、青白い粒子の尾をひく弾丸が三発。膨れ上がった暴君、姫君、騎士人形の胸元へ風穴を穿ち、断末魔の三重奏をアストラルクスに響かせた。
「な、なんなんやあんたら!?」
『こちらシャルロッテ! アンノウンによるインターセプトを受けた! IFF識別信号発信!』
ぎんかとシャルロッテの問いかけにも、少女達は黙して答える様子はない。両手で銃を構えたまま、のたうち回るダエモニアの様子を伺っている。
「あなた達は誰? タロット使いなの?」
先ほど話しかけてきた少女へあかりは問いかけた。少女はダエモニアから視線を逸らさず、ぶっきらぼうに告げる。
「アルテミス。タロット使いのなり損ないです」
寒月を思わせる白皙に映える、紫紺の長髪を揺らす少女――アルテミス。それが三人組のリーダーらしい彼女の名前だと気づくのに、少し時間がかかった。
「え――」
アルテミスに質問を重ねようとした瞬間、三体の人形が事切れた。熱せられた塩化ビニル人形が焼け爛れ、蕩けるように、ダエモニアは少しずつ輪郭を失っていく。
ごぽ、ごぽ。どろり、どろり。
「終わりか……?」
原型を失ったダエモニアは、大地に溶けて広がった。蝋のようなダエモニアだったものに視線を遣った後、あかりはぎんかと目を見合わせる。
「いえ、終わっていません」
少女――アルテミスは短く言葉を切る。残りの二人も銃を構えたまま、ダエモニアから視線を逸らさない。
その時だった。液状化したダエモニアが、無数の泡を噴き出した。
突沸。熱せられた液体が無数の泡を作るように、ダエモニアもぶくぶくと肥え太る。怨嗟が生み出す高熱に沸騰し、泡を立てて急激に膨らみ、急速に成長する。
その高さおよそ百メートル。余津浜市街の摩天楼もかくやというサイズの不気味な人型巨大ダエモニアが出現した。
『うわ~、大きいね~。遠くからもよく見えるよ~』
呑気な舜蘭の無線通信は、あかり達の耳に届かなかった。絶句して、答えるどころではなかったのだ。
『デカくなったが運の尽きだ! 二人とも伏せて!』
シャルロッテの通信にハッと我を取り戻して、あかりは呆然としているぎんかを押し倒した。伏せの姿勢を取った刹那、人型ダエモニアの頭部が音を立てて破裂した。
『やったか!?』
顔を上げたあかりが見たのは、信じがたい光景だった。
「再生してる……!」
吹き飛ばしたはずの頭は、草木の生育を早回しにしたかのように元の形を取り戻す。狙撃効果なし。
『なん……だと……!?』
足元のあかり達を見留めたのか、ダエモニアは足を持ち上げた。テニスコートほどはあろう足底が、あかり達の頭上に浮かんでいる。
踏み潰す気だ。
「捕まって、ぎんか!」
ぎんかを抱えたまま、あかりは大地を蹴りつけるイメージを結ぶ。手本となるのは『星』のタロット使い、星河せいらの素早い跳躍。
――せいらのように、軽やかに、跳ぶ。
足が落ちてくる。刹那、あかりの体は物理法則を無視して地面と平行に跳んだ。直後、ダエモニアの踏みつけが地震を引き起こし、現実世界もアストラルクスも区別なく揺らす。
「さっきからなんなんやもう! デカなるし元に戻るし!」
ドールハウスの人形に過ぎなかったダエモニアは、今や余津浜を揺らす巨人へ姿を変えた。ぎんかはもちろんあかりも、これほど巨大なダエモニアに対処したことはない。
ダエモニアと距離を置いて、あかりは傍らに立つぎんかに尋ねた。
「ぎんか、気づかない?」
「あ? 気づくって――」
言いかけた途中で気づいたぎんかは、体を強ばらせた。
「なんやあのダエモニア……コアがない……!」
怒り、悲しみ、妬み、嫉み。
その他様々な負の感情は、ダエモニアの格好の餌となる。だが、悪感情自体がダエモニアを生み出す訳ではない。生物が細胞分裂を繰り返して生育するように、ダエモニアもまた居心地のいい場所で分裂し、成長する。その根幹となる原初細胞、それがコアだ。
すなわち、すべてのダエモニアにはコアがある。コアを潰せばダエモニアは死ぬ。ダエモニアとの戦いに決着をつける唯一の方法だ。
しかし。
「新型のダエモニアかもしれない」
「十中八九そうやろうな。弱点がないとか完璧超人かい!」
ぎんかは歯噛みして武器を大地に突き立てた。コアがない以上、有効打を与えられない。
「って、あの連中はどこにいったんや?」
周囲を見渡す。アルテミスと名乗った少女達の姿が見当たらない。先ほどまで彼女らと居た場所には、ダエモニアの脚が突き刺さっている。
「あ……」
あかりの脳裏に最悪のシナリオが過ぎった。
先ほどあかりは、タロット使いの力を駆使して踏みつけを避けた。だが、自分達を「なり損ない」と言った彼女達には、あかり達と同じ力があるとは限らない。
だが、恐れは杞憂に終わった。
乾いた銃声が聞こえた。直後、巨大ダエモニアの足元から見覚えのある青白い光が三本伸びる。途端、泡でできたダエモニアの巨躯に丸い穴が穿たれた。
「あの子達、生きてた……」
胸をなで下ろしたあかりとは対照的に、ぎんかは声を荒げている。
「それどころやない、見てみい、あの状況……!」
彼女らの銃から放たれる青白い光芒が、ダエモニアへひっきりなしに伸びていた。初戦では一発しか放たなかった弾丸を、出し惜しみすることなく十発、二十発。無数の光の針を巨人へ連射していた。
「あいつら、コアなんか無視して物量で押し切る気や」
「そんなことができるのか……?」
「分からん。けど――」
踏みつけ攻撃を試みようとダエモニアが足を掲げた。だが、途端に集中砲火を受け、足は地面を踏むことなく削り取られる。片足をもがれたダエモニアはバランスを崩し、背後にあった建物に激突した。身動きが取れない状況に追い込んだとみるや、再生するより速く青白い光を連射し、巨躯を削る。
ことダエモニア戦闘に関して、少女達の行動は徹底していた。
『あんな拳銃反則だ! あたしは絶対認めないぞ!?』
あかり達の遥か後方、摩天楼の屋上でシャルロッテが通信越しに抗議の声を上げた。「現実こそ至高!」と、召喚する重火器や兵器すべてに詰まりや再装填や異常加熱の概念までイメージしているシャルロッテには、彼女らの武器の現実離れしたスペックが許せなかったのだろう。
だが裏を返せばそれは、彼女達の武器がイメージがすべてを決めるアストラルクスでの戦闘に最適化されているということに他ならない。
少女――アルテミス達の戦闘はタロット使いとは違う。
最適化された装備と組織的連携によって成される、効率のよい虐殺だった。
「アルテミス……」
ダエモニアが為す術なく消滅させられた光景を目の当たりにして、あかりは彼女の名を呟いた。
コードネーム、アルテミス。タロット使いのなり損ないの第一期生は、目標を達したと分かるや姿を消した。