セフィロ・フィオーレ、ロンドン支部。瀟洒な洋館の応接間には、六名のタロット使いが集合している。
その末席にある二人掛けソファに少女・星河せいらは居た。隣には【月】の使い手、月詠るなが緊張した面持ちで、手を膝の上に置いて座っている。
「全員揃ったようだな。万梨亜」
天井から吊されたスクリーンの横に立って、ロンドン支部長のシルヴィア・レンハートは、同じく副支部長である優希万梨亜に言葉少なに指示を出す。意図を汲み取った万梨亜は、スクリーンが使えるように応接間の照明を落とした。
「まずはクリスティン、ミレイユ。足労を感謝する」
シルヴィアが黙礼した二人――クリスティン・アイボリーとミレイユ・皇は、先ほどここに到着したばかりだった。クリスティンは東欧サンクトペテルブルク支部から、ミレイユは余津浜支部から遠路はるばるやってきたらしい。
「シルヴィア様にお声掛けいただきましたらこのミレイユ、たとえ地の果てであろうと参上いたしますわ!」
薄暗くても分かるくらいに目をきらきらさせたミレイユの真向かいで、クリスティンが挑発的な猫なで声を発する。
「仕事以外のことも頼っていいのよ? 夜のお誘いとか」
「な、なななんてことを仰っているのですかクリスティンさん!? というかもしかしてあなたシルヴィア様を狙って――」
慌てふためくミレイユの言を遮って、シルヴィアは事もなげに呟いた。
「確かに、夜目の利く者は必要だ。夜襲の必要があれば頼む、クリスティン」
「貴女のそういうトコ、私は好きよ?」
くすと笑ってクリスティンは答える。すると「あらあら」と万梨亜が笑い、「あわあわ」とミレイユが言葉にならない声をあげた。
だが、せいらには分からなかった。彼女らはなぜ、そんな反応をしたのだろう。
「どういうこと?」
隣に居たるなに耳打ちすると、るなは「ふえっ」と言葉を詰まらせた。そして、耳打ちを返してくる。
「……オトナの話です」
「オトナ……」
オトナの話なら分からなくても無理はない。まだ中学生の自分には分からない話もあるのだろう、とせいらはひとり納得した。
いつかオトナになったら様々なことが分かるのかもしれない。強くなるばかりでは、復讐に生きるだけではだめだと気づけたあの時のように、様々なことに気づけるのかもしれない。その時が少しでも早く来るように、日々鍛錬を繰り返し、昨日よりも今日、今日より明日をよくするために動く。そんな風にオトナになれたらいい、とせいらは思う。
その、せいらの理想像に一番近いオトナの女性――シルヴィアが会議の口火を切った。
「まずは、余津浜で発生したダエモニア事件について、ミレイユ」
「心得ましたわ」
シルヴィアの指示で、ミレイユはスクリーンに二枚の現場写真を表示した。左側には破壊された余津浜の高層ビル、右側には半壊した校舎の写真が並んでいる。
「一件目は、余津浜のビル街。三体のダエモニアが発生し、後に融合。二件目も同じく余津浜の某高校。どちらも新型のダエモニアでしたわ」
二件のあらましは、事件に関わったあかりから聞いていた。ただ、あかりが身振り手振りで時間をかけて説明した内容よりも、ミレイユの簡潔な解説の方が分かりやすい。こういうのも、オトナのなせる技なのかもしれない。
「新型といえば東欧でも一件。『小劇場ガス爆発事件』はご存じ?」
「その話を聞こうと思っていたところだ。頼む、クリスティン」
活躍の場を奪われ、ミレイユは「ぐぬぬ」とクリスティンを睨んで席に戻った。入れ替わって、クリスティンはシルヴィアの腕に手を回して解説し始めた。
「『小劇場ガス爆発事件』。もちろんこれは報道側の呼称で、実際は小劇場ダエモニア事件。新型に罹患した女性が大暴れして、無人の小劇場を吹っ飛ばした。ただ――」
「ただ、どうした?」
シルヴィアが尋ねると、クリスティンはとある女性の写真をスクリーンに映し出す。
「新型罹患者は助かった。貴女のボスが上手くやったのよ。新型の糸を切って、彼女を救った」
応接間の沈痛な雰囲気が変わったのはせいらにも分かった。
「シルヴィアちゃん」
「ああ、ようやく救う方法が確立された」
安堵したような声色で、万梨亜とシルヴィアの二人が目を合わせて頷きあう。二人の間には、シンプルな言葉以上の何かがあるのかもしれない。もしくは、オトナの関係というやつかも。
せいらが静かにオトナについて考えを巡らせていると、話題は事件から、現場に介入してきた連中の話になっていた。せいらはハッとして、再び聞き耳を立てる。
「問題は余津浜の事件に介入した二組――第一期生と鈴掛みなとだ」
せいらは息を呑んだ。あかりから存在を聞かされた二組の介入者。ダエモニアを殺すために生まれてきたような、アルテミスを筆頭にした三人。そして左腕から濃い負の感情を滴らせる少女、鈴掛みなと。
「星河、月詠。太陽から何か聞いているか?」
「は、はい。えっと……」
隣のるなが、あかりから聞いた内容を話した。緊張して説明を行ったり来たりしているが、オトナ達は真剣に聞き入っている。せいらも思わず背筋を伸ばす。
「星河、今の説明に補足は?」
「ありません」
せいらが答えると、シルヴィアは小さく「そうか」と漏らし、「万梨亜」と名前を呼んで応接間の照明を点けさせる。カーテンの向こうには、晴れた田園風景が広がっていた。
シルヴィアは目を細めて告げる。
「第一期生は我々の味方だ。それは分かっているが……」
言葉を切ってから、シルヴィアは続けた。
「はっきり言おう。私は、彼女らのやり口が気に食わない。救える者を救わず殺すなど、そんなものは虐殺だ」
応接間に緊張が走った。仮にも支部長の立場にある者が言っていいことではない。複雑な表情を浮かべた万梨亜やミレイユも、口には出せないが同じ事を考えているようにせいらには見えた。
「これはオフレコなんだけど」
立ち上がったクリスティンは、何故か応接間の中をうろつき始めた。そしてどこからか黒いコードを引っ張り出し、引きちぎる。コードの先端には、小さなカメラがついている。
隠しカメラだ。
「雫め、油断も隙もない……」
頭を抱えるシルヴィアに意地の悪い笑みを浮かべて、クリスティンが続ける。
「エティア達は、第一期生の運用をメーガンに一任している。ま、それ以上は私にも分からないんだけど」
「それはどうかしら? 貴方はメーガンさんの部下ですもの。上司に疑いの目が向かないよう、知らないフリをしているだけではありませんの?」
ミレイユが食ってかかると、クリスティンは挑発的に微笑んだ。そして、シルヴィアの体に密着する。
「私って、好きな人には一途なのよ? ね、シルヴィア?」
体に沿わせた細くしなやかな指先が、シルヴィアの輪郭を撫でるように動いていく。同じ女性であるせいらから見てもドキリとする。オトナの仕草だ。
「わッ、わたくしだってシルヴィア様のことはすッ――」
一方のミレイユは赤面して口をぱくぱくさせた。あれはオトナの仕草なのだろうか。分からなくなったせいらは、隣のるなに再び耳打ちする。
「……あれは?」
「……女の戦いです、たぶん」
「なるほど」
と言ってはみたせいらだったが、さっぱり分からない。オトナの女になるための道程は遠そうだ。
「ともかくだ」
絡みついたクリスティンを優しく振り払って、シルヴィアは告げた。
「新型、鈴掛みなと、そして第一期生。素性が掴めない状況では、正義は為し得ないだろう。つまり我々は、独自に調査を行う必要がある」
そう宣言すると、シルヴィアはミレイユに第一期生の調査を、クリスティンに『鈴掛みなとの調査』を割り振った。そして万梨亜には支部長の業務を託し、自身はこれから東欧の『小劇場ガス爆発事件』調査に向かうと告げる。
瞬時に仕事を割り振って、的確な指示を飛ばす。シルヴィアは、やはり一番のオトナだ。
「すごいな……」
せいらの口をついて出たのは、そんな言葉だった。
シルヴィアは誰よりも早く起きて鍛錬に取り組み、誰よりも遅くまで仕事をしている。一度戦闘に出れば誰よりも戦果を上げ、せいら達が戦闘から帰れば真っ先に出迎える。諸問題があれば率先して解決に当たり、自分が決めた信念のためなら、組織の方針さえ無視して突き進む。
こんなオトナになりたい。せいらはシルヴィアを見て思う。
その時、鐘の音が鳴った。ダエモニア出現を知らせる音だ。
「三姉妹達からの情報だと、場所はロンドン市内、新型の可能性あり。私が行きましょうか?」
タブレット端末に映った情報を読み上げた万梨亜に、シルヴィアは首を横に振った。
「新型ならば、この目で見ておかねばな」
シルヴィアは懐から【正義】のエレメンタルタロットを取り出して、額近くにかざす。精神統一だ。
「ついてくるか、星河」
言いたかったことを先に言われて、せいらは驚いた。だが答えはもう決まっている。
この人の近くにいれば、様々なことを学べるかもしれない。
「はい、行きます」
せいらはシルヴィアの冷たい手を掴み、握りしめる。シルヴィア特有の、薄氷の上を歩くような緊張感が、せいらの中に流れ込んできた。
「気をつけてね、シルヴィアちゃん、せいらちゃん」
万梨亜やるな達に見送られて、せいらの意識はアストラルクスへ飛んだ。