幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第二章 幼き星は白銀に煌めく/04

ロンドン支部中庭のベンチに座り、せいらはぼんやり空を眺めていた。
「無理は毒……」
つぶやいて、力なくベンチに横になる。汗ばんだ服が素肌に張りついて気持ち悪かったが、着替える気力も残っていなかった。
「せいらさん?」
視線を動かすと、るなの顔が見えた。
「なに」
「隣、いいですか?」
「ん」
重たい体を起こして席を空けた。会話もなく、二人して空を眺めていると、るながぽつりと零した。
「空、曇ってますね」
変なことを聞く子だ、とせいらは思った。当たり前のことを尋ねた真意が分からなくて、「ん」と適当に頷く。
「どうして空を見ているんですか?」
「空を見ることに理由が必要?」
「そう、ですね……」
黙ってしまったるなを見て、せいらはやってしまったことに気づいた。
コミュニケーションは苦手だ。無愛想な物言いは、近寄りがたい印象を与えてしまうらしい。るなが萎縮してしまったのは、自身の悪い癖のせいだろう。
「ごめん。怒ってるとかじゃない」
「分かっています。せいらさんは……ちょっと……」
「無愛想」
言い淀んだるなの代わりに答えると、曖昧な顔をされてしまった。また失敗したのだ。コミュニケーションは難しい。なるべく不躾にならないように、せいらは尋ねる。
「何か用だった?」
「これから皆さんとお茶にするんです。せいらさんも誘おうと思っていて」
中庭の円卓に万梨亜とクリスティンの姿が見えた。テーブルクロスを敷き、お茶の用意を始めている。
「ただ、せいらさんの様子が心配で、なにかあったのかなって」
それほど心配されるようなことをしていただろうか、とせいらは振り返る。空を見上げていると心配されるのだろうか。
「話してみてくれませんか?」
「ん……」

*  *  *

数時間前。
支部の廊下に立って、せいらは目を凝らしていた。窓から差し込む陽光を受けて煌めく無数の糸を見定めると、なぜか複雑怪奇なポーズを取って、廊下を突き進む。
「全部見切る!」
ここ数日、せいらは普段よりストイックに鍛錬に励んでいた。筋トレやランニングに始まり、生活習慣の見直し。ヨガに瞑想にピラティスと、時間の許す限り心身を鍛え抜いている。
「何してんの、あなた」
リンボーダンスの要領で腰を反らして進むせいらに、クリスティンが尋ねた。
「……無意識の糸を見つけるために、糸を見切る訓練です……」
廊下には、スパイ映画の赤外線セキュリティのように、ピアノ線が幾重にも張り巡らされていた。その糸を見抜き、触れないようにせいらは体を動かしている。
その結果、せいらは廊下の中心でうねうねと全身をねじっていた。
「部屋に戻りたいんだけど。どうにかしてくれない?」
「そっか……」
廊下の先にクリスティンの部屋がある。つまり、ピアノ線をかいくぐらなければクリスティンは部屋に戻れない。せいらはしばし考えて告げた。
「一緒にやりますか、トレーニング」
「やらないわよ」
ため息をついて、クリスティンはシルヴィアが映ったスマホをせいらに向けた。ビデオ通話だ。
「シルヴィア支部長?」
シルヴィアはせいらの珍妙な動きを見て瞑目すると、表情を崩すことなく告げた。
『星河。お前の努力は充分理解している』
「はい」
『だが、無理は毒だぞ』
「はい……」

*  *  *

茶会の席で、せいらは一部始終を語り終えた。
「……そんなことがあったんですか」
「あらあら、一生懸命でえらいですね」
「巻き込まれた私の身にもなってほしいわ」
「……すみません」
肩を落としたせいらに、万梨亜は優しく語りかけた。
「シルヴィアちゃんは、自分にも他人にも厳しいところがありますからね」
「だいたいマジメ過ぎよ、浮気する素振りもないし。万梨亜は幸せ者ね」
つまらなさそうなクリスティンの言葉に、万梨亜は「ふふ」と笑った。オトナの間で交わされた話の意味がせいらには分からなかった。二人はコミュニケーション上級者だから、自分にはまだ分からないのだろう。
「それじゃあ、怒られて落ち込んでいたんですか?」
るなの問いかけに、せいらはしばし考えて首を横に振った。
「なんというか……体がずーんとする……」
感情をうまく伝えられず、余計に体がずーんとする。
「ずーん?」
「そう、ずーん」
「ずーん……」
しばらくずんずん言い合っていると、るなが躊躇いがちに尋ねてきた。
「では、この間の事件の失敗で、落ち込んでいるとかですか?」
せいらはようやく、ずーんの正体に気づいた。女優シャーリーの事件。あの顛末を思い出すと、ずーんとする。
「……そうかも」
せいらは、ゆっくりと口を開いた。
「私には糸が見えなかった。もっと努力しなきゃいけないって思ったんだけど」
「けど?」
「分からないんだ。どうしてあんなくだらない理由で死を選んだんだろうって。るなは分かる?」
るなは瞑目してから、ゆっくり口を開いた。
「分かりますよ、被害者さんの気持ち。痛みの感じ方は人それぞれですから」
そして、せいらと同じように空を眺めながら続ける。
「失敗するとつらいですよね。ずーんとしちゃって」
「ん」
「でも、失敗をバネに頑張れる人も居れば、立ち直るのに時間が掛かる人も居るんです。どちらかというと私は、時間がかかる方で」
せいらはるなの横顔を見た。視線はまっすぐに空を見上げている。
「実は私、まだ立ち直れていないんです。ケルブレムにそそのかされたあの出来事から」

せいらの脳裏を過ぎったのは永瀧の事件だった。るなには、ケルブレムのせいでせいら達を襲った過去がある。
「みんなに迷惑掛けて、せいらさんには恥ずかしい姿を見られてしまって」
「あ……」
せいらはようやく気づいた。るなはあの時のことを失敗だと思っているのだ。だからせいらに対して、微妙な言葉や曖昧な表情を向けていたことに。
「今でも、後ろめたかったり、恥ずかしい気持ちがあって。でも、だからこそみんなのために頑張ろうって、最近ようやく思えてきたところで……」
またやってしまったと思ったせいらは、慌てて続けた。
「るなはもう大丈夫だと思う」
るなは力なく笑って、再び空を見上げた。急いでひねり出した慰めの言葉が正解かどうか、せいらには分からない。どんなに信頼しあった間柄でも、コミュニケーションは難しい。気持ちを百パーセント伝え、受け取る手段があればいいのに、とせいらは思う。

「せいらさん。ひとつ、尋ねてもいいですか」
お決まりの短い返事をして、せいらは言葉を待つ。
「あの時の私、どんな姿でしたか?」
「るなは……」
るなが変身した、緑色の狼人間(ライカンスロープ)の姿を思い出す。血走った切れ長の瞳に耳と尻尾。短い体毛に覆われているために、体のラインがしっかりと強調された、動物本来の生まれたままの姿。
「…………」
困った。どう言い表そうにも裸だったという結論に辿り着いてしまう。さしものせいらも、「裸だった」なんて言われたら恥ずかしいことくらい分かる。あの時のるなの姿は、脳裏にこびりついて離れないほどだから。
「私、そんなに恥ずかしい格好を……」
言い淀んでしまったせいらに、るなは顔を真っ赤にした。
「あ、いや、そうだけど、そうじゃなくて」
「やっぱりそうなんですね……」
「ち、違うんだって」
わたわたと二人して頬を染めて慌てていると、万梨亜が小さく手を叩いて会話を中断させた。
「そろそろお茶にしましょうか。せいらちゃんのために、るなちゃんが作ったお菓子があるんですよ」
ティースタンドの上には、色とりどりの宝石のようなスコーンやマフィン、マカロンが所狭しと並んでいた。
「あなたが心配だったんですってよ。妬けちゃうわね?」
「私のために……?」
るなは居住まいを正して、せいらに向き直った。
「私にできるのはこれくらいです。でも、落ち込んでいるときに側で励ましてあげられるのが、友達ですから」
「るな……」
るなはこほんと一つ咳払いして、明るく笑った。
「では、ささみスコーンとプロテインマフィン。お召し上がりください!」
「ささみとプロテイン……!」
せいらの手はすぐにささみスコーンに伸びた。スコーン生地に練り込まれたささみのたんぱくな味が、バターや蜂蜜の風味と合わさってせいらの口の中で渾然一体となる。
「おいしい……」
「ブロッコリーのジュースもありますよ。万梨亜さん達もいかがですか?」
ティーカップに注がれた緑色のジュースは栄養満点だ。肉体疲労の回復に効果のあるビタミンCに、糖質脂質の分解を助けるビタミンB群が豊富に含まれている上、筋肉の増強に欠かせないタンパク質も豊富に含まれている。
「これはこれで美味しいですね」
「あなた味覚大丈夫?」
まさに、せいらのためのアフタヌーンティーだ。るなの気遣いを感じられて、せいらはぼそりと静かに零す。
「ありがとう、るな。私もいつか、分かるようになりたい。みんなのことも、るなのことも。そしたらもっと、友達を大事にできる」
「せいらさん……」
ほんのり赤らんだるなに、せいらは微笑んだ。コミュニケーションは難しいし正解はないけれど、この感情だけはきっと正解だと思う。
「一緒にシルヴィア支部長達みたいなオトナの関係になろう、るな」
「え……!?」
せいらの言葉に、るなは凍り付いた。
「あらあら、積極的ですね」
「教育上よくないんじゃない?」
よく分からないことをつぶやくオトナ達を無視して、せいらはるなに尋ねる。
「違うの?」
「え、ええと……」
顔を真っ赤にしたるなを見て、せいらはまた間違ったことに気づいた。
コミュニケーションは難しい。修業はまだまだ続くのだろうとせいらはプロテインマフィンを囓りながら思ったのだった。




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