鐘の音に呼び寄せられるように、あかり達はアストラルクスへ急行した。上昇機関の浮遊感に耐えて、紫色の空の下に降り立つ。
だが――
「また空振りですね……」
周囲を探ってみても、ダエモニアの気配はなかった。都合、これで三度目の空振りだ。鐘を鳴らす天道三姉妹が『誤報じゃないの』と告げている以上、空振りには何らかの原因があると考えるのが自然だった。
「鈴掛みなと、か……」
思い当たる線は鈴掛みなと。あかり達の目の前でダエモニアを救ってみせた彼女なら、ダエモニアを痕跡をひとつ残さず消すくらいのことはできるはず。
そんなあかりの勘繰りは、速やかに証明されることになった。
「やっと追いついたね。あかりちゃん」
背筋が凍るような声。振り返ったあかりは、突如沸き出した沼から顔を出す鈴掛みなとを目にした。まるでおとぎ話の泉の女神のようだ。
「ウチらをおちょくってんのか!?」
ぎんかの抗議もどこ吹く風とばかりに、みなとは足元の沼をちゃぷちゃぷ鳴らす。
「そっちが一足遅かっただけ。むしろ感謝してほしいな。ダエモニアを解放して、楽させてあげてんだから」
「じゃあ、ダエモニアになった人は……」
「無事だよ。支配されたことも忘れて、パンケーキでも食ってんじゃない?」
ここ数日、余津浜周辺のダエモニア被害は減少していた。出撃が空振り続きだったのは、みなとが先回りしているから。それは皮肉にも、ダエモニアを『殺さず救う』という、あかり達が追い求める方法で。
「そういや、話がしたいって言ってたっけ。何の用?」
沼に足を踏み入れないよう距離を置いて、あかりは答える。
「私達……セフィロ・フィオーレはあなたを殺そうとしている。人助けがしたいのなら、大人しく協力してほしい。私が説得してみるから」
「何それ、脅し? 笑える」
鼻で笑って、みなとは続ける。
「勘違いしないで。あたしは人助けなんてどうでもいい。怒ろうが悲しもうが妬もうが死のうが赤の他人でしょ。あたしには関係なくない?」
「だったらどうして助けてるんですか……!」
みなとはため息をついて、強ばった表情のあかり達をにらみつけた。
「人間のことばっかだね。少しはダエモニアのことも考えたら?」
「ダエモニアのこと……?」
「考える必要などありません」
不意にアストラルクスが歪んだ。水面に石を投げ打ったように波打ち、波紋から人影――アルテミスが姿を現した。
「せれなお姉ちゃ――」
駆け寄ったるなに、アルテミスは銃口を向けた。
「それ以上近づかないでください、月詠るな。貴方が視界に入るだけで、怒りで気が狂いそうになりますから」
「……っ!」
るなを突き放したアルテミスは、今度はみなとへ銃口を向ける。
「やはり待ち伏せですか。ここ数日のダエモニア自然消滅は、貴方の犯行ですね」
「その通りだよ、アルテミス。いや、せれなって言ったっけ」
淡々とした口調に熱が篭もる。足元の沼が沸き立ち、強烈な怨嗟が渦を巻いた。これまでよりも強大で醜悪な、負の感情が霧となって立ちこめる。
「あんたを殺してもまりんは帰ってこない。けどさ、あんたがのうのうと生きてると思ったら最高にムカつくんだよね」
「憐れですね」
「憐れだよね。生きたいと願いながらに殺された、仲間達は」
沼が一層勢いよく沸き立ち、黒煙が上がった。ごぽりごぽりと沸騰する泡は、ダエモニアの金切り声にも似た悲鳴を上げている。
いや、それはダエモニアそのものだ。
沼底に充ち満ちた無数の怨嗟の声が、あかりの耳に届いた。『成功者が妬ましい』。『誰にも顧みられず悲しい』。『裏切ったヤツが許せない』。『自分に自信が持てない』。沼は人間を苛む負の感情を口々に呟き、みなとの怒りに呼応して吠え立てる。
「あの沼は、ダエモニアの集合体……?」
沼はダエモニアのるつぼだ。耳を傾けてるだけで意識を失いそうになる強烈な負の感情が、みなとを旗印にして寄り集まっている。
「そうだよ。あたしが救ってるのはダエモニア。人間どもじゃない」
告げて、みなとは沼を踏みしめた。噴き出した霧は瞬く間にあかり達を覆い、半透明の壁に変わる。
囲まれると気づいた時には遅かった。四方は半透明の壁に塞がれ、あかり達を捕らえる檻に変わる。くわえて――
「あかり、地面を!」
視線を落とすと、鈍色の針金が体に絡みついていた。蔦のように成長し、巻き付きながら、針金は瞬く間にあかり達の自由を奪ってしまう。
「これは、あの第一期生達のワザか……!?」
半透明の檻、そして金属細工の拘束具。第一期生達が使用した能力を、なぜかみなとが意のままに操っている。必死にもがくも、半透明の檻はおろか、針金を解くことすら適わない。それどころか、もがくたびに針金が体に食い込み、締めつけを強くする。
「あの女が死ぬとこを近くで見せてあげる。邪魔したら殺すから」
半透明な檻の中、黒い針金に体を拘束されたあかり達を一目してから、みなとはアルテミスへ向き直る。
「あんたのお仲間のチカラ、有効に使わせてもらってるよ」
「猿真似もいいところですね。オリジナリティの欠片もありません」
「言ってなよ」
そして、軽やかにステップを踏む。足元から間欠泉のごとく潮流が噴き出し、勢いそのままにアルテミスへ向かう。潮流は黒い龍へと様変わりし、アルテミスを喰らおうと飛び駆る。
アルテミスは跳躍して黒龍を躱すも、敵は一体ではなかった。ステップの度に間欠泉が噴き出し黒龍へと変化し、アルテミス目がけて縦横無尽に飛び交い始めた。
「アルテミス、全武装レベル解禁します!」
アルテミスは枯木の弓を引いた。射線上の黒龍を剛射で消し飛ばすも、隙間を縫うようにすぐに別の龍が飛来する。「逃げ場など与えない」と、黒龍がアルテミスを取り巻き、顎を不気味に開いた。
「あんただけは絶対に許さない。簡単に死ねると思うな!」
叫び、みなとは引き金を引いた。一直線に空を駆ける弾丸が、逃げ場を失ったせれなの脇腹を貫いた。激痛に脇腹を押さえたアルテミスの肩を、足を、耳元を赤黒い閃光が掠めていく。
* * *
「せれなお姉ちゃん、逃げて……!」
半透明な檻の中をるなの悲鳴がこだました。せれなには届いていない――顧みる余裕すらないのだろう。みなとが召喚する無数の龍に、せれなは圧倒されていた。龍に喰われるのも時間の問題だ。
「せっかく会えたのに……。やだよ、お姉ちゃん……!」
悲鳴はやがて嗚咽へと変わった。せれなが龍になぶられ、弾き飛ばされるたびに、るなの嗚咽は強くなる。
そんなるなを――そしてせれなを放っておくことはできなかった。
「……助けなきゃ」
拘束から逃れようと、必死にもがいた。だが針金は緩むどころか、より強くあかりを締めつける。
「あかり、あかん! それ以上動いたら絞め殺されてまう!」
横目に見たぎんか達の首筋には、黒い針金が巻き付いていた。このままもがき続ければ、首が絞まることは自明の理。死は免れない。
「でもそれじゃ、あの人は助からない! せいら!」
「……ダメ、体が動かない。首が回らない……」
「こんな時に何言ってんねん、首が回らんなるのは借金で――せや!」
ぎんかは【節制】のエレメンタルタロットを黄金色に輝かせる。両手から硬貨を沸き立たせる、ぎんかの攻撃手段だ。転がり落ちた硬貨が半透明の檻に当たって止まる様子を見て、ぎんかは不敵に微笑んだ。
「悪いな、おとん。今日だけは無駄遣いするけど許してや!」
* * *
「ダエモニアの分際でッ!」
迫り来る龍を避けながら、アルテミスは弓弦を引き縛った。狙うは龍を駆る根源、鈴掛みなとへ音速を超える矢を放つ。
「消えろォ!」
紡錘形の衝撃波を伴って、矢が奔る。射線上の、そして射線の周りを飛ぶ龍を黒い粒子へと変えながら、一直線にみなとへ向かう。アルテミスの最終レベル武装、枯木の大弓。それは『ダエモニアを殺す』という強い祈りからなる、対ダエモニアの切り札。喩えるならば、銀の弾丸だ。
「……許さない!」
アルテミス必殺の矢に、みなとは手をかざす。大気すらも引き裂いて進む矢は、肉薄した瞬間停止した。防壁だ。みなとを守るようにせり上がった沼が壁となり、必殺の矢を呑み込んだ。
「……ああ、そっか。そういうことか」
納得したように呟くと、みなとはアルテミスのものと寸分違わぬ大弓を出現させた。
「ずっと疑問だったんだよね。どうしてダエモニアのあたしが、敵であるあんたらの武器やチカラをコピーできるのかって」
せれなの牽制と足止めを黒龍達に任せ、みなとは悠々と矢を番え、弓弦を引いた。
「あんたらは、あたし達の――」
言い終わるより早く、みなとの背後でけたたましい音がした。振り向いた視線の先には、なおも針金で体を拘束されたあかり達が立っている。足元は半透明の檻だったガラスと、無数の硬貨が散らばっていた。
「まったく、エラいカネかかったわ。ぎっちりカネ詰め込んで檻を割ろうやなんて、よう思いついたモンやで」
ぎんかの読みは当たった。【節制】の能力で作り出した硬貨で檻を埋め尽くし、その圧力で檻を内側から破ったのだ。幸か不幸か、キツく巻かれた針金が硬貨の圧力への鎧となった。
「邪魔すんなって言っただろ!」
殺す。強烈な殺気が自分達へ向けられるよりも早く、あかりは叫んだ。
「いつき、私達とせれなを転送して! 大至急!」
『了解なの~!』
三重奏があかり達の頭の中に響き、目の前の景色が溶けていく。みなとが放った矢が眉間を貫く、ほんのわずか直前に、あかりの意識は現実世界に戻っていた。
「た、助かった……」
鳥籠の中で、あかりは腰から崩れ落ちた。上昇機関にぶら下がる四つの鳥籠の中には、何とか窮地を逃げ延びたぎんか達。そして、上昇機関の下部、床の上には――
「せれなお姉ちゃん!」
倒れたせれなの姿を見留め、るなは声を上げた。
「ありゃ、行きより増えてない? お持ち帰りってヤツ?」
危険人物と名高い霧依の調子外れな声ですら、あかり達を安心させるには充分だった。