幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/09

「対消滅は危険だって言ってたじゃないですか、エティアさん……」

物質世界。
あかり達の目の前で、エティアは対消滅した。『本当の救世主になって』という言葉だけを残して。

「私達が対消滅したらどうなるんですか。レグザリオは何をしようとしているんですか……」

るなの腕に抱かれて、あかりは涙ながらに叫んでいた。

「どうしてエティアさんが犠牲にならなきゃいけないんですか……!」

エティアは、アリエッティの罪を濯ぐと言っていた。エティアの母である錬金術師アリエッティの罪とは、ディアボロスタロットを作り出してしまったことだろう。世界を救うために創ったそれは結局人の手には負えず、結果としてダエモニア被害を世界にもたらした。ダエモニアの元凶は、アリエッティだ。

「エティアさんは、ディアボロスを自分の母親の罪だと思っている。母親だから自分に責任がある、と」
「そんなワケあれへんやろ! まあ、大事なことを黙ってたのは思うトコあるけど」
「でも、レグザリオが裏切ったと仰っていました。であれば、この事態を招いているのは……」

あかりは、ラプラスとシュレディンガーに向き直った。エティアが対消滅したのに笑みを湛えていることが、余計に怒りに油を注いだ。

「レグザリオはどこまで人を騙せば気が済むんですか! 人類の進化なんて私達は望んでいませんッ!」
「怖い顔しないでニャ。もうすぐイヤでも分かることだよ。彼らが推し進めた救済計画がどれほど愚かなものだったか」
「彼らって! 他人事じゃありませんよね!?」
「性急な進化は代償を伴う。我々が何故レグザリオを出奔したか、自ずと分かろう」
「分からないから聞いてるんだよ!? レグザリオの救済計画は、いったい何!?」

拳を握りしめたあかりを一瞥して、ラプラスが口を開いた。

「我々と意見を異にしたレグザリオの急進派は、対消滅による人類進化を計画した。対消滅とは昇華だ。お前達タロット使いがより純粋な魂の存在に姿を変えるように、人類も肉体を捨て魂だけの存在になることができる、という研究だ」

ラプラスは地面にピラミッド型の図形を描く。それに二本の線を引いて三つの層に分け、下から順に『物質世界』『アストラルクス』『アイオーン』と書き加えた。

「人間は、肉体を持つが故に煩悩に支配される。それは人間が知性を持っているからだ。肉体と知性が混ざりあう限り、人間は苦しみや悲しみに囚われ進化はできない」

ラプラスの話を噛み砕くように、シュレディンガーが続ける。

「本来のレグザリオの目的は人類の進化。急進派は目標を急ぐあまり、アリエッティの救済計画がどんなものか理解せず、全人類を対消滅――つまり、全人類を魂にしようとしているのさ」
「人間は肉体を失って魂だけの存在になれば、物質世界の苦しみの中で生きる必要がなくなる。アストラルクスにたゆたう魂となり、平和と安寧の中で暮らすことが可能になる」
「ちょい待ちーな! 仮に魂だけになった人間はどないなんねん!?」
「お前達タロット使いは、エレメンタルタロットの力で肉体を霊体へと変換し、アストラルクスに存在できる。だが、タロットの加護のない人間達はそうはいかない。一度魂の存在へと昇華した人間が元に戻ることはない」

怒りに染まっていたあかりの背筋が急激に冷えた。レグザリオは対消滅によって全人類を魂に変えて――つまり、肉体を消滅させようとしている。
レグザリオの救済計画、それは全人類の虐殺だ。

「そんなことさせない――」

その時だった。猛烈な突風が、あかりの前髪を掠める。自然には決して発生することのない風の刃だ。目に見えないそれが、立ち並ぶ白樺の木立の枝葉を粉みじんに引き裂いている。

「あかりさん! 避けてくださいッ!」

咄嗟に身をかがめたあかりの後ろ髪を、刃が切り刻む。風の通り道には木立はない。木々を根こそぎ掘り返したかのように、木立の一部が禿げ上がっている。
現実世界に存在する者の犯行ではない。アストラルクスで発生した破壊活動は、自然災害のように見える。つまり――

「ダエモニア!?」
「違います、デュプリケートの襲撃です!」

空間に亀裂が走り、紫の光が漏れる。アストラルクスの入口だ。そこからせれなが飛び出してくる。見るからに消耗したせれなは、木立を吹き抜ける風の前に立ちはだかる。

「お姉ちゃんダメ、死んじゃう!」
「……大丈夫です、るな。デュプリケートが居るならアイツが来る」

誰何する間もなく、見えない刃は黒い土石流に押し潰された。切り刻まれて鋭利な刃となった枝葉があかり達とは異なる方向へ飛ぶも、すぐさま飛来した土くれに相殺される。巻き上がった風の刃は竜巻となったが、今度はそれを押し潰すほどの大規模な土砂崩れが発生し、風はピタリと止んだ。
後には黒い泥が残るだけだ。

「鈴掛みなと……」

みなとだ。泥の中から現れたみなとは返り血に染まっていた。アストラルクスで起きたことは尋ねるまでもなく分かる。みなとはデュプリケートを皆殺しにしたのだ、自分が死ぬために。

「デュプリケートは始末した。あとはそこのアルテミスだけなんだよね」
「お姉ちゃんを殺させはしません!」
「だよね。だから取引しようと思って」

みなとは懐から二枚のディアボロスタロットを取り出した。【星】と【月】、それぞれせいらとるなに対応するカード。

「デュプリケートはこの二枚を守ってたから、さっさと奪って皆殺しにしたんだよ。これ、君達が触れるとヤバいんでしょ」
「私の【星】のディアボロス……」

対消滅は危険だと説いたエティアは消えた。今、対消滅がどういった意味合いを持つのか、あかり達には分からない。ただ、対消滅がレグザリオの指揮する救済計画に必要不可欠ということだけだ。

「交渉する必要あれへん! どうせ何かしらの罠に決まっとる!」
「なら、タロットを手放すよ? 言っとくけど、あたしが欲しいのはアルテミスの命だけ。2枚のディアボロスがあんたらと対消滅しようが知った事じゃない」
「それどころじゃないの! このままじゃみんなが……人類が地球上から消えちゃう……!」
「関係ないね。さあどうする、アルテミス?」
「私は……」
「……お姉ちゃんはそこで見ていてください」

せれなの前に歩み出たのは、るなだった。

「せっかく再会して、仲直りできたんです。子どもの時は、お姉ちゃんの養子縁組を止められなかったけど……今の私には力があります。今度は私がお姉ちゃんを守る番です」
「私達でしょ、るな」

るなの隣に、せいらが。そして、ぎんか、あかりも居並ぶ。4人でせれなを庇い、みなとの前に立ちはだかる。

「この後に及んで友情ごっこかよ。虫唾が走るんだよね、そういうの。あたしやまりんは守ってくれなかったくせに……!」

物質世界だというのに、みなとの足元の黒い沼が広がっていく。もはやみなとには、アストラルクスも物質世界も変わらない。新型ダエモニアの集合体となり、デュプリケートを喰らい尽くした彼女の力は計り知れないものになっている。

「最後にもう一度言う。あたしを殺したければお前が死ね、アルテミス!」

せれなは静かに息を吸った。そして――

「私は……みんなのために、そして妹のるなの願いを叶えるために生きたい。アルテミスではなく、月詠せれなとして! るなが共に戦うことを願うなら、私はるなと共に戦う! るなが共に生きることを願うなら、私はるなと生きる!」
「ありがとう、せれなお姉ちゃ――」

「いいえ、頃合いです。死んでいただきましょう」

不意に声がした。姿は見えないが、陰湿な含み笑いは誰のものかすぐ分かる。メーガンのものだ。声に続き、指を弾く音がする。
途端、せれなが豹変した。

「がはっ!?」

あかり達が振り向いた時には、既に遅かった。
せれなが、自らの心臓めがけてナイフを突き立てている。

「お姉ちゃん!?」

赤黒い血がナイフの隙間から噴き出し、デュプリケートの白い戦闘服を染め上げていく。傷口は深い。しかもアストラルクスではなく現実世界だ、るなの癒やしの力もこの場では使えない。医術の心得がある者もこの場には居ない。

「お姉ちゃん、どうして……!」
「る……な…………」
「ぎんか、せれなの思考を読んで!」
「そんな簡単にやれることとちゃうねんで!? えーっと……!」

真っ赤に染まったせれなの手を、るなが自らの頬に持っていく。祈るように握って、せれなの顔を必死で目で追う。

「……メーガンや。メーガンがせれなの意識の中に仕込んでたんや、アイツが都合のいい時に、せれなを好きに操れるように……」
「るな……私は…………善いお姉ちゃんでしたか…………?」
「善いお姉ちゃんに決まってます! だから死んじゃダメですッ!」
「…………私も、大好きでした……るな…………」
「お姉ちゃん!? お姉ちゃん……! せれなお姉ちゃんッ!!!」

るなは普段の思慮深い彼女とはまるで違っていた。必死に追いすがり、せれなの名を呼ぶ。その甲斐がないことは、握ったせれなの腕から力が抜けていることで気づいていた。気づいていたが、辞めることはできなかった。
名前を呼べば、迎えに来てくれる。そんな風に考えて、名を呼び続けた。
ぎんかは瞑目して、るなの肩に手を置いた。そして静かに、首を横に振った。

「いや……そんなのイヤ……! せれなお姉ちゃんが死ぬなんてイヤ……!!!」

その時だった。せれなを失った喪失感が、るなの心をひび割れさせた。ダエモニア、そしてその大元であるディアボロスが好む負の感情だ。姉を失った悲しみと、姉を翻弄していたメーガンへの怒り。二つの感情が強烈な憎悪となる。

「るなちゃん、落ちついて! このままじゃ呑まれちゃう!」
「……許さない…………許せない………………!!!」

制止しようとしたあかりのこめかみを、【月】のディアボロスタロットが掠めていった。2枚のタロットを握っていたみなとの姿は既にない。せれな――最後のデュプリケート――が消えたことで、消滅したのだろうか。
だが、遅かった。あかりが鈴掛みなとの存在に意識をやったほんの一瞬、【月】のディアボロスがるなの眼前まで迫った。途端、るなの身体が明るく発光する。対消滅が近い。
るなは、【月】のディアボロスタロットを前に、涙を流しながら笑った。

「せれなお姉ちゃん……そこに居たんだね……」

あかり達には分からないが、るなには見えているのだ。ディアボロスタロットは生き写しの存在。【月】のるなと同じ背丈、同じ顔をしたドッペルゲンガーの姿が、先ほど息絶えた姉・せれなに。

「今……そっちに行くね……。お姉ちゃん」

るなは、【月】のディアボロスに手を伸ばす。姉、せれなともっと一緒に居たい、その一心で。

「あかん! るな、しっかりしい!!!」
「るな!」
「るなちゃん!」

るなの手がディアボロスに触れた。るなは心を負の感情で真っ黒に染め上げたまま、対消滅した。




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