幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第二章 幼き星は白銀に煌めく/06

02_06「足労すまんね。にしても、事件のことは残念だったな」
東欧支部。シャーリー事件の説明をヴァネッサに済ませて、シルヴィアは踵を返した。ロンドンの守りが手薄になっている今、長居は無用だ。
「まあまあ、一杯くらい付き合えよ」
キャビネットから年代物のボトルとグラスを持ち出したヴァネッサへ首を横に振って、シルヴィアは支部長室のドアノブに手を掛けた。
「まあ待て。お前さんに話がある」
グラスに注いだ琥珀色のバーボンを飲み干して、ヴァネッサは眼光鋭くシルヴィアを見つめた。
「正義を貫くのはいいが、あんま首を突っ込むなよ」
ヴァネッサの発言の真意は、彼女のポーカーフェイスに阻まれて読み取れなかった。ただ、口外できない意図があることは充分に分かる。すなわち。
「脅しのつもりか?」
「いや、苦言だよ」
ソファに腰を下ろして、二杯目を注ぎながらヴァネッサは続ける。
「お前さん、いろいろと嗅ぎ回ってるだろ。部下なんだから何とかしろ、とメーガンに遠回しに言われちまってな」
ヴァネッサとメーガンは、立場上は対等だ。ただ、戦闘に特化したヴァネッサと、政治力に長けたメーガンとでは、持ち得る情報に大きな隔たりがある。情報の差は、組織での見えない序列に影響する。
「貴女には関係のないことだ。部下が勝手にやった、とシラを切り通せばいい」
「そこまでの放任主義じゃあないんだよ。私はこれでも、お前さんの仕事を見守り、監督する義務がある」
そこまで言って、ヴァネッサは一呼吸置いて話し始めた。
「嗅ぎ回ってる第一期生の件だが、口外はできないことになってる」
打って変わって苦々しげなヴァネッサの様子に、シルヴィアは内心落胆した。我が道を行く性格に惹かれて部下に落ち着いていたのに、今の彼女は組織の枠に縛られてしまっている。そんな姿は見たくなかった。
「脅しでないなら、組織内での自己保身のための警告か?」
「私も随分と舐められたモンだな」
ヴァネッサは苦笑して、シルヴィアを手招きした。応接用のソファに着いたシルヴィアの顔を覗き込み、人の悪そうな笑みを浮かべる。
「私はな、やめろと言ってんじゃねえ、やるなら上手くやれって言ってんだよ」
苦々しげな表情から一転、ヴァネッサはニヤリと笑う。表情を崩さないのがポーカーフェイスと言われるが、崩れすぎるのもある種のポーカーフェイスだ。大げさであればあるほど、かえって意図が読みにくくなる。
「メーガンは、エティア以上のキレ者だ。手下も情報戦のエキスパート揃いと来てる」
悪魔部隊には、雫、霧依、クリスティンとセフィロ・フィオーレ全体の情報・諜報を担うタロット使いが所属している。彼女らの有用性は、シルヴィアも身をもって知っている。
「連中は目先の損得しか考えない。つまり、メーガンの舌先三寸でアイツらは協力もすれば敵対もする。味方に付けるのは容易じゃない」
酒の肴の煎ったナッツを5つテーブルに並べて、ヴァネッサは続けた。
「雫と霧依、あいつらはポリシーもプライドもない。口止めはできないと思え」
並べたナッツのうち2つを噛み砕いて、ヴァネッサは続けた。
「クリスはメーガンでさえ手を焼く女だ。乗りこなす覚悟があるなら、お前の右腕くらいにはなるだろう。ミレイユとの食い合わせは悪そうだがな」
「待て、何の話だ」
「上司として、徒党の組み方を教えてやってんだよ」
「徒党の組み方だ――」
問いかけたシルヴィアの口に残りのナッツを放り込んで、ヴァネッサはグラスをテーブルの上で響かせた。
「これからのお前さんに必要なのは、どうやってファミリーを形成するかだ」
いつの間にか取り出した煙管を手に、ヴァネッサは紫煙を吐いていた。
「徒党を組むには信頼が欠かせない。上のモンが下を護ってやれば、下のモンは上について行く。古きよき時代の日本の任侠は、そいつを仁義と呼んだ」
「仁義……」
「いいか、シルヴィア。部下を信じ、部下を護れ。そうすりゃみんなお前についてくる」
何故いまそんなことを言われたのか、シルヴィアには分からなかった。ヴァネッサの意図は相変わらず読めないが、問答を繰り返しても真相が明らかにならないことはこれまでの付き合いで分かっている。
「分かった。私への労いとして受け取っておく」
「それでいい。後は頼んだぞ、シルヴィア」

一礼して支部長室を後にしたシルヴィアに、メルティナが声を掛けてきた。
「自殺したシャーリーと小劇場事件のユフィだけど、ふたりともずいぶん誹謗中傷されてたようね」
「何故分かる?」
メルティナはスマホから顔を上げて、事もなげに告げた。
「ツイグラ見てないの?」
「ツイグラ?」
「世界中の人々が、日常を投稿して交流してるSNSよ。クリスやヴァネッサもやってるわ」
メルティナが見せてきたスマホの画面には、ヴァネッサのツイグラページが表示されていた。和煙管や空港の写真の他、単館劇場で任侠映画を見たなどのどうでもいい情報が投稿されている。
「なんだこれは……」
「ホントに知らないのね。遅れてる~」
くすくす笑うと、メルティナはスマホを操作する。表示されたのは、自殺した女優シャーリーの物憂げな顔写真と、おびただしい量のコメントだった。
「シャーリーもユフィもツイグラに登録してたから過去の投稿を眺めてたんだけど、これはちょっとね」
注意深くシャーリーのページを見たシルヴィアは、あることに気づいた。
「誹謗中傷の書き込みが多いな。ツイグラはいつもこんなものなのか?」
「炎上よ。要は批判的な意見が集中してるってことなんだけど、原因が分からなくてね。炎上って、それ相応の理由があることが多いんだけど……」
シャーリーは、誹謗中傷を苦にしてシルヴィアの目の前で自殺した。ツイグラのコメント欄には、彼女が死の間際に言い残した『居なくなったほうがいい』などの誹謗中傷がこれでもかと刻みつけられている。
この炎上事件とシャーリーの自殺には、何か関係があるかもしれない。
「調べられるか」
「ええ、どうせどこかで盗み聞きしてるんでしょうし?」
メルティナの呼びかけからやや合って、支部談話室のモニタが一人でに起動した。眠そうな顔の雫が画面に大写しになると、シルヴィアはがくりと肩を落とした。
「お前も懲りないな……」
『盗み聞きじゃなくて情報収集だからな。私だってしたくてしてるワケじゃないんだぞ?』
「ふふ、話が早くて助かるわあ。じゃ、シャーリーの炎上について調べて? 報酬は出すから」
「うげ」と露骨に嫌そうな顔をした雫に、メルティナは笑顔で圧した。セフィロでも古株の魔女メルティナには、どこか有無を言わせぬ妙な圧力がある。
「何か言ったかしら、シルヴィア?」
「いや、何も……」
メルティナから視線を逸らし、モニタの向こうで何やら作業する雫を見つめる。数秒後、雫はつまらなさそうに告げた。
『調査終了。匿名アカウントがシャーリーの炎上を煽ってるみたいだな。しかもこのアカ、他の役者や舞台関係者も批判しまくってる。暇なヤツも居たモンだ』
画面には、シャーリーを炎上させた匿名アカウントのコメント先がリストアップされていた。雫の説明通り、演劇関係者のツイグラページが誹謗中傷の標的になっている。
「あら、『シェイクスピア記念公演』の関係者が多いわね」
リストアップされた名前を眺めて、メルティナがつぶやいた。
「それは?」
「明日、ロンドンで開かれる演劇公演よ。市内の4劇場で、四大悲劇を同時上演するの。確か、シャーリーとユフィの二人も、この公演に関わっていたはず」
「呪われているのかしら」と続けるメルティナの言葉に、シルヴィアの頭の中でパズルのピースがハマっていく。
新型ダエモニアに罹患したシャーリーもユフィも、ツイグラで匿名アカウントによる誹謗中傷を受けていた。匿名アカウントは彼女ら2人だけではなく、ロンドンで開催される記念公演の関係者にも批判のコメントを送っている。
「……雫、リストを照合しろ。記念公演の関係者なのに、誹謗中傷されていない人物を特定してくれ」
『え~やだ面倒臭い』
シルヴィアはモニタに向かって叫んでいた。
「やれ! さもないとお前の部屋じゅうにマーマイトを塗りたくるぞ!」
『わ、分かったよ。やればいいんだろ、やれば……』
渋々雫が手を動かすと、モニタには二種類のリストが表示された。マッチングしたものから名前が消えていき、最後に残った一人の名前をメルティナが読み上げる。
「シンシア・ミレディ。『オセロ』の主演を勝ち取った女優ね」
「彼女のアカウントと、匿名アカウントを調べろ! 今すぐ!」
『ったく、人使いが――うわマジで!?』
感嘆の声を上げて、雫がモニタにふたつのアカウントを並べた。アクセス元を表している数字と記号の羅列の真上に『完全に一致』という文字がデカデカと表示された。
『すごいなシルヴィア、匿名アカはシンシアの裏アカだ! こいつ、関係者全員に、裏アカ使ってロクでもないコメントを送りつけてたんだよ』
シルヴィアの足はひとりでに動いていた。
「ちょっ、どこに行くのシルヴィア!?」

もし、シンシアの誹謗中傷が、新型ダエモニアの発生に関係していたとしたら。
もし、ロンドンの4会場で同時にダエモニアが発生したとしたら――。

「記念公演がダエモニアに狙われている! ロンドンが危ない!」




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