「るなちゃ~ん! せれなさ~ん!」
余津浜。中華街の煌びやかな門の前で、あかりはるなとせれなに手を振って呼びかけた。
るなとせれなの決闘から数日。消耗しきったせれなが復調したのに併せて、あかり達新人部隊の四名は特別な休暇を貰っていた。積もる話もあるだろうというエティアの計らいだ。
「今日はタダで飲み食いできるんやしエンジョイせな!」
「タダより怖いものはないっていつも言ってるくせに」
「……私が参加してもよいのだろうか」
不安げに様子を伺うせれなに、あかりは大きく頷いた。
「当然だよ! るなちゃんのお姉ちゃんなんだもん」
「理由になってへんで? まあ、らしいっちゃらしいけど」
るなの私服を着ているせれなは、やはり双子の姉妹だ。以前までの険しい表情が消えると、違いは髪の長さくらいのものになる。
「似合っていますよ、せれなお姉ちゃん」
頬を染めてせれなはどこか遠くを向いた。そんな機微など知りもせず、せいらは尋ねる。
「遊びに来たことないの?」
せれなは小さく呟いた。
「……月見里家では修業漬けの日々だったから」
「なら、私達がいろいろ教えてあげないとね」
「よっしゃ! ウチが中華街の流儀ってヤツを教えてやらんとな! まずは……」
意気込んだぎんかが振り向くと、あかり達の姿はなかった。代わりに、遠くから賑やかな声が聞こえてくる。
「タピオカミルクティー……甘い……」
「せいら、私にも飲ませて~」
「体調は大丈夫ですか、お姉ちゃん」
「ええ。激しい運動は止められていますが、日常生活上は問題ありません」
「るなちゃん! あんまん食べた? 美味しいよ!」
「ああ、あかりさん。ほっぺたにあんこが付いていますよ」
遥か向こうで楽しげに騒ぐ四人を見て、ぎんかは声を荒げるのだった。
「無視すなーッ!」
そして、五人は中華街を賑やかに散策した。
赤と金の色使いが眩しい街を歩く。ゴマ団子を並んで頬張って、並んで舌をヤケドしたり。敢えてタロット占い師に五人の仲を見てもらってお墨付きをもらったり。チャイナドレスを試着して誰が一番舜蘭に似ているかのモノマネに興じたり。
久しぶりの休日。新人部隊の四人が羽を伸ばしたのはもちろん、初めは堅かったせれなも徐々に緊張が解けて、ぎこちないながらも笑顔を見せるようになっていた。
楽しい時間はすぐに過ぎるもの。中華街の中程にある公園ベンチで、あかり達はようやく息をついた。
「あ~、楽しかった~……」
「ずっとこの時間が続けばいいのに」
「ほう? せいらさんは詩人やなあ?」
「……思ったことを言っただけだし」
西日が差したせいらの顔色を伺うことはできなかったが、みんなせいらと同じ気持ちだろう。夕方のチャイムが遠くで響いて、子ども達は名残惜しそうに公園を後にする。「また明日ね」と笑う子ども達の未来を守っていることが、あかりには少しだけ誇らしかった。
しかし、もうそんな時間なのだ。
「そう言えば、遅くまで連れ出して大丈夫だったかな、せれなさん」
せれなは伏し目がちに答えた。
「構いません。私も、その……楽しかったので……」
その反応がとても新鮮で、あかり達は顔を見合わせて笑った。
「お姉ちゃんが元気なさそうで、あかりさん達に相談したんです。そうしたら、一緒にお出かけしようということになって」
「そうですか」と短く答えたせれなは、顔を上げてあかり達全員の顔を見渡した。そして胸につかえたものを一つ一つ取り除くように、ゆっくりと切り出した。
「おそらくもう、皆さんはお気づきでしょうが。私は、るなを守るために【月】の継承を申し出ました。そうすれば、るなを危険な世界にやらずに済むと感じたから」
「ですが」と区切って、せれなは続ける。
「月見里家の試練は想像を絶するもので、私はイメージを保つ術を失ってしまった」
「それで、私が選ばれてしまったんですね……」
せれなは力なく頷いた。
「私は壊れていました。いえ、今も私自身気付いていないだけで、壊れているのかもしれません。まだ、【月】に固執する気持ちはあります」
「奪ってどうこうできるものじゃない」
せいらの厳しい言葉にせれなは口を噤んだ。微かに震えている。
「また決闘は勘弁してや……」
「しませんよ。るなの覚悟は伝わりましたから」
西日に当てられたせれなの顔は堅かった。
「守りたかったるなに守られて、タロット使いとしての力も見せつけられた。私は、これから何を目的にすればよいのでしょうね」
悲しい吐露だった。語るまでもなく、せれなが第一期生として戦うことを選んだのは、るなを守るためだ。だが今では、その動機すらも無意味なものになってしまっている。
重苦しい雰囲気を振り払ったのはあかりだった。
「そんなの簡単だよ。せれなさんも私達と一緒に戦うのはどうかな?」
「皆さんと一緒に、ですか?」
聞き返したせれなに、あかりは「うん」と笑顔で頷く。
「私達だけだと、やっぱりちょっと心細くて。でも、せれなさんが居てくれたら、私達ももっと戦えると思う!」
「確かに」と腑に落ちた様子のせいらを遮って、ぎんかが口を挟む。
「でもちょい薄情すぎんで。第一期生は救えるダエモニアまで――」
「お言葉ですが、ダエモニアは人類の天敵です。殺す以外に方法はありません」
「ほら、これや」
ことダエモニアのこととなると、せれなはそれまでの態度から一転、真っ向から食ってかかった。ダエモニアについての価値観の差は埋まりそうにない。
黙り込んでしまったせれなの手を握って、るなは静かに語りかけた。
「私、みんなと戦っていて思ったんです。ダエモニアになった人を救いたいって。それも、できれば、殺したくない……」
「あなたは甘いです、るな。そんなことでは……」
「甘くてもいいんです。私には、人を裁く覚悟なんてありませんから。悪い感情に呑み込まれた人も、初めから悪い人だった訳じゃない。ダエモニアの言葉をあかりさんから聞いて気付いたんです。みんな後悔しているんだって」
「……」
「みんな、やり直したいと思ってるんです。ダエモニアになった人も、そうじゃない普通の人達も。私とお姉ちゃんみたいに……」
一度ズレてしまった歯車は、ちょっとやそっとでは元に戻らない。小さなズレは大きく広がって、やがてどちらかの歯車を壊してしまう。それは人間関係も同じことだ。
だけど、歯車はズレを直すことができる。ひび割れた人間関係だって、双方が歩み寄れば元に戻すことができるはずだ。
「お姉ちゃんにお願いです。もう、人を見殺しにしないでください。私達と一緒に戦ってください。これが、あの時の決闘に勝った私のワガママです……いけませんか?」
だから、るなは少しだけ卑怯な手を使った。あの時の決闘の勝敗を持ち出して。そして幼い頃の調子で子どもじみたワガママを使って。
「卑怯な手ですね」
「卑怯は百も承知です」
せれなは「敵いませんね」と呟いて苦笑した。
「……分かりました。私は指揮に背きます。これからはるなのために、そしてるなを導いてくれた皆さんと共に戦いましょう」
立ち上がり、せれなは全員の名を呼んで頭を下げた。顔を見合わせて満場一致したあかり達は、せれなを囲んで笑い合った。
その時だった。
「この匂い……角煮まんや!」
ぎんかの指さした方向に、永瀧中華街でもおなじみの角煮まんの屋台があった。となれば話は決まっている。
「まだ食べるの、ぎんか」
「角煮まんとたこ焼きは別腹や! ほら、いくで!」
「ええ、皆さんで食べましょう。せれなお姉ちゃんも!」
「そうですね」
角煮まんを五人、並んで食べた。以前とは味付けが違っていても、四人で――いや、五人で食べる角煮まんの味は永瀧で食べた時と同じ、格別のものだった。
「全部終わって平和になったら、またこんな風に遊びたいね。せれな」
「ええ。そう願っています」
* * *
せれなの自室と化している余津浜支部、医務室のベッドを尋ねてきたのはメーガンだった。るなとお揃いで買ったキーホルダーを隠して立ち上がろうとするせれなに、メーガンは仰々しく告げる。
「構いませんよ、楽な姿勢で。むしろ眠っていても結構なくらいです。余計な感情ごとね」
「それは……どういうことでしょうか、メーガン隊長」
「お眠りなさいな」
メーガンの一言で、せれなは糸が切れた人形のようにベッドに横たわった。開いた目は虚ろで、心ここにあらずといった様相を呈している。
「さて。ミス太陽(ソレイユ)に吹き込まれたことを話してもらいましょうか、アルテミス」
「……はい」
メーガンの問いかけに、せれなは胡乱な目で天井を見つめたまま口を開いた。
「太陽あかり達と共に、るなを守るため戦うと約束しました……」
「おやおや。あなたの主人は誰なのでしょうね。月詠るなですか?」
「いいえ……。メーガン様です……るなではありません……」
メーガンは薄気味悪く笑った。
「いいでしょう。では、あなたはこれから彼女らの庇護者となりなさい。私の指示があるまではね」
「はい……分かりました……」
メーガンが指を鳴らすと、せれなは電撃が奔ったかのように跳ねた。胡乱な瞳の焦点が合って、先ほどのだらりとした様子が嘘だったように、メーガンを前に背筋を伸ばす。
「すみません、メーガン隊長。眠ってしまっていたようです」
「おそらくここ数日の無理がたたったのでしょう。しっかり休んで英気を――」
言いかけたメーガンは、ダエモニア警報を耳にしてさも残念そうに苦笑した。
「そうも言っていられないようですね?」
「……はい。アルテミス、出撃します」
せれなは胸元から取り出した白いタロットカードを構え、その場から姿を消した。青白い粒子の粒が、現実世界に舞っている。
メーガンは満足したのか、ベッドに残されたキーホルダーを拾い上げて口角を釣り上げた。
「期待していますよ、これからのあなたの活躍に」