幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第三章 月光下のアマリリス/08

「ダメだな……」
シルヴィアはオフィスチェアの背もたれに体を沈めた。
SNSツイングラム社への潜入捜査は暗礁に乗り上げていた。数日間、データを漁っても、目当てとする情報には辿り着けていない。
「首尾はどうだ、エティア」
「いいえ、相変わらず。まるで掴めていませんね」
「そうか……」
複数枚のモニタとにらめっこしながら、エティアは息をついた。検索すべき情報は膨大だ。電脳世界の申し子――雫でもなければ、これだけの情報を精査するのは困難だ。
しかし、雫。本来であればこの任務は藤隠雫の協力を得て行われるはずだった。彼女が居れば、イタズラに時間を浪費することもなかったはずだ。
「そもそも、なぜ雫は手伝おうとしないんだ」
「さあ。ちょっと『ひと狩りしてくる』とのことですよ」
雫が言い出しそうなことだ。タロット使いの任務など、彼女にとっては片手間に行う趣味の一環でしかない。正義感や責任感から最も遠い雫は、ある意味でシルヴィアの対極だ。
「狩るならダエモニアを狩ってくれ……」
早々に説得を諦めたシルヴィアは、やるせない思いを虚空に放った。充満した陰気でボックスの空気が淀んでいる。換気が必要だろう。
「まったく、新型といい鈴掛みなとといい、何も掴めていないというのに」
冷えてしまった紅茶を啜って、シルヴィアは無意識に鈴掛みなとの名前を検索した。
ツイングラム社は検索エンジンも提供している。人名検索に特化しており、名前を入力すればウェブに存在する個人情報が手に取るように分かる。合法非合法を問わずアップされている情報にアクセスできるのは、情報化社会の功罪だろう。
「当然、消えているか」
鈴掛みなとの情報は見当たらない。ダエモニアになったものは、因果律を保全するためレグザリオによって存在を抹消されるからだ。
レグザリオが、選択的に不必要なものを淘汰する。
では、レグザリオが存在を抹消しなければ、世界はどうなってしまうのだろうか。
「……ん?」
目に付いた奇妙な情報に、シルヴィアは目を見開いた。
検索結果に鈴掛みなとの情報はない。だが、ツイグラのデータベースには、鈴掛みなとのアカウント情報が表示されている。
「エティア、これを見てくれ」
表示されているのは、鈴掛みなとのアカウントだ。投稿から推察するに、本人が生前に使用していたものと見て間違いない。
「何故、彼女のアカウントがデータベースに残っている。彼女はダエモニアになって、世界から消滅したはずだろう」
「……その答えが出ていますよ、シルヴィア」
目を離していたシルヴィアは、再びモニタに向き直った。ブラックアウトした画面上で、カーソルがひとりでに動き出す。モニタに浮かんだのは何度となく目にしてきた単語だった。

Astralcus(アストラルクス)

「……来い、ということだろうな」
「ええ。気をつけて向かいましょう」

*  *  *

「久しぶりだね、あかりちゃん。それに……」
あかり達を待ち受けていたのは、新型ダエモニア――鈴掛みなとだった。みなとに呼応するように、せれながあかり達の前に歩み出る。
「姉妹仲直りって訳だ。よかったねえ、せれなお姉ちゃん?」
「あなたに名乗った覚えはありませんが」
「お友達が喋ってくれたんだよね」
顎で示した先に、せれなと同じ制服に身を包んだ少女が二人、虚空を見上げて座っていた。
「ブリジット! クロノス!」
せれなの呼びかけに二人は返事をしない。肩を揺すれど頬を叩けど、瞳も口も胡乱に見開かれている。
「ぎんか、二人の思考は読めない?」
「それが……。こいつら何にも考えてへん。こんなこと、あり得へん……」
せれながどれだけ呼びかけても、二人の表情はおろか思考にすら反応がない。ただ、アストラルクスに存在しているというだけ。ほとんど生きた屍だ。
「アストラルクスって言うんでしょ、ここ。びっくりだよね、こんな世界があったなんてさ」
「……二人に何をした?」
あかりの問いかけに、みなとは冗談めかして笑った。
「ちょっと脅したら洗いざらい話してくれたんだけど、記憶を消してって泣きながら頼まれてさあ? で、きれいさっぱり」
せれなの拳が堅く握られた。言い返そうとしたせれなに先んじて、るなが叫んでいた。
「いくら親友の仇だからって、こんなこと許されませんっ!」
不気味に口角を緩めたまま、みなとはせれなへ視線を突き刺す。
「確かにこいつらはまりんの仇。でもさ、殺したところでまりんが戻ってくる訳じゃないでしょ? あたしはさ、人の過ちを許して成長したんだよね~」
「ふざけるな!」
やおら飛び出したあかりの刺突剣を片手で受け止め、みなとはあかりの目元に肉薄した。
「それより、一足遅かったね。もう全部分かっちゃったよ。あかりお姉ちゃん(・・・・・・・・)
突然の意味不明な言葉に、あかりは眼前にまで迫ったみなとの双眸をにらみつけた。
「私はあなたの姉じゃない」
「覚えがなくても血筋は嘘をつかないんだよ。あたしは、あたし達新型のお父さんを見つけた。それは太陽あかり、アンタにも関係がある」

*  *  *

ツイングラム社のアストラルクスは、幾層もの異空間が複雑に折り畳まれていた。巨大迷宮のような異空間を先導するのは、点灯するカーソルだ。
シルヴィアとエティアは、迷宮の最奥部・円筒形の広間に辿り着く。そこで待っていた見覚えのある男性に、シルヴィアは声を荒げた。
「オーキス……! すべては貴様の企みか!」
オーキス。かつてシルヴィアが対処した欧州・北米での大規模ダエモニア事件の首謀者であり、元レグザリオの特任研究員。主な研究成果は人工ダエモニアと、エレメンタルタロットの不完全な模造品・デュプリケートだ。
やせ衰えた姿のオーキスは、憮然として告げる。
「お前はSNSが新型を蔓延らせたと思っているようだが、あんなものは単なる道具に過ぎん。果物ナイフで人間を殺したとして、罰せられるのはナイフの製作者ではない。それを凶器とした者だ」
「だからツイグラを作った者に罪はないか? なら、オーキス。何故貴様がここに居る!」
オーキスは姿を変容させた。老紳士から、うら若き乙女へ。そして冴えない顔の男性へと次々と変化する。共通点はその誰もが研究員らしい白衣を身にまとっている点だ。
「私はオーキスではない。かつてレグザリオに従事した研究員の遺志が、死の間際にデッドコピーされた存在。彼らの目的を遂行するためのAI、それが私だ」
「あなたの目的は別にある、ということですか?」
「然り」と告げた研究員は、再び老紳士オーキスの姿を取り戻す。そして、円筒形の空間に大量の文字情報を表示させた。その中から『鈴掛みなと』や、かつて潜入した女学院の文字を見つけ、シルヴィアは意味を悟る。
「私の目的は、因果律から排除された人間の存在を保存すること」
そんなことに何の意味がある。口を開きかけたシルヴィアは、そのまま黙った。隣のエティアは、祈りを捧げるように瞑目している。
「彼ら研究員達は皆、ダエモニアの治療を夢見て直向きに研究を続けた。だが、レグザリオの裏切りに遭った。当然だ。レグザリオは治療法など望んでいない。奴らの目的は人々の救済ではなく支配だ」
「人々の支配だと?」
「続けてください」間髪を入れぬエティアの言葉に、研究員は矢継ぎ早に語る。
「彼らの夢は叶わなかった。世界の理(ことわり)たるレグザリオへの反逆は敵わなかった。己の無力を悔いた彼らは、ダエモニアへと変異し、世界から消された人間達の存在を記憶し続け、戒めにしようと考えた」
「つまり貴様は、犠牲者の情報を保存し続けるだけの存在、と……?」
AIは「然り」と答え、今度は女研究員に姿を変えた。
「それが彼らの遺志。中でも、『彼』は特に自身の研究を悔いていた」
「彼とは誰だ、そいつは何をした!」
ほとんど詰問と言っていいだろう。責め立てるような問いかけに、研究員の姿が変容する。ボサボサの黒髪、やつれた頬。不健康そうな細身の男性の姿。

――どこか、太陽あかりを思わせる姿だった。

「そうですか、やはり貴方が……」
 静かに息を吐いたエティアを誰何する間もなく、研究員は喋り出す。
「『彼』はデュプリケート技術を完成させ、結果的にダエモニアを新型へと進化させてしまった者。その名は――」

*  *  *

「……私に関係がある?」
「新型すべての元凶は、高取肇。アンタの父親だ」
 あかりの耳元で、みなとは不気味に笑った。
「そんなはずがない!」
 だが、あかりの動揺はイメージを揺るがせる。刺突剣は瞬時にかき消えた。
「口ではそう言っても、心は素直だよね」
「……ッ!」
「ヘタな嘘はつくもんやないで!」
「そうです! あかりさんのお父様が新型を創ったなんて……!」
 仲間達の呼びかけは、あかりの心を素通りした。
みなとはアストラルクスばかりか、タロット使い達の情報すら理解した。この期に及んで嘘をつくメリットがみなとにはない。
「真実を知りたいならあたしと来なよ」
 みなとは沼を展開した。心をざわつかせるダエモニアの悲鳴が沼からは聞こえない。敵意を感じないのだ。むしろあかりを歓迎するかのように、ちゃぷちゃぷと波打っている。
「あかり、罠だ! 行っちゃダメ!」
 呼び止められた。せいらやるな、ぎんかの声が背後に届いた。
それでもあかりは、この先へ進まなければならなかった。

 自分の父親が新型ダエモニアを創ったなど信じられない。信じたくない。
 だから、真相を確かめなければならない。父親が無実であることを。
「おいで、あかりちゃん」
 あかりは黒い沼に足を踏み入れた。




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