幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

第三章 月光下のアマリリス/09

どれだけ潜ったことだろう。
あかりは沼を堕ちている。沼中のダエモニアはあかりに襲いかかることはないばかりか悲鳴のひとつとして漏らさず、敵意すら感じない。ただ不気味な静けさに満ちている。
ふと足元に明かりが見えた。それは徐々に広がり、不意に重力が掛かる。落下だ。
「きゃっ!?」
尻餅をついた。痛む部位を撫でながら、あかりは周囲を見渡した。ちらつく蛍光灯が照らす、打ちっ放しのコンクリート。唸るような機械の駆動音が遠くで聞こえる。
「やっぱアンタは半分ダエモニアなんだね。普通の人間なら保たないはずだし」
みなとの言葉で、あかりの背筋に冷たいものが走った。自分がダエモニアでなかったら、すでに死んでいるような場所らしい。
「ここは現実世界なの?」
「正しくは、過去に存在したある施設を再現した空間かな」
「こっち」と告げられ、あかりはみなとの後を追う。
「質問。新型ダエモニアって何だと思う?」
「ダエモニアの新型……だよね?」
「そのまんまじゃん」
あかりの返答に苦笑して、みなとは一つ咳払いした。
「新型は、この世には必要なかった存在だよ。人間とダエモニアって、昔から共存してきた仲間だからさ」
「共存は、違うと思う」
人間に寄生する生命体がダエモニアだ。人間を破滅させておきながら共存というのは虫が良すぎる。
「そうかな。ダエモニアは人間が居ないと生きていけないのに?」
みなとの真剣な眼差しがあかりに向けられた。冗談で言っているようには見えない。
「ダエモニアが共存を選んでいなければ、人間はとうの昔に滅んでたよ。人間は、未だに野生的な感情に支配された獣だから」
言い返すことができなかった。悪感情を制御する術のない人間は、みなとの言う通り、どこか獣じみている。
「あたし達は殺しすぎないように、選んで人間を捕食している。人間は人間で、ダエモニアの力でのし上がる。この共存で生態系は保たれる」
「……」
「ま、その反応だよね。だから見て理解してもらおうと思ったんだよ」
みなとは足を止めた。薄暗い、がらんどうの空間には、幾本もの巨大な試験管が鎮座している。液体で満たされた円柱の中に、裸の少女達が漂っていた。
「これはアルテミス達の仲間。高取肇が作りだしたダエモニアの天敵で、新型が生まれることになった元凶」
「私の、お父さん……」
「研究日誌が残ってる。覚悟があるなら読んでみなよ」
「待ってるから」と言い置いて、みなとは近くの机に座った。
投げ寄越された研究日誌をめくったあかりは、一葉の写真を見留めた。若き日の母、太陽ひなたと共に映っている、不健康そうな若い男性の姿。一度見たら忘れないような、強いクセっ毛だ。
意を決して、あかりは日誌を紐解いた。几帳面に整理された日誌には、いくつか付箋が添えられていた、みなとのものだろう。

『研究再開1日目。レグザリオに申請した内容は「ダエモニアの制御」だが、実態は彼女を――太陽ひなたをタロット使いの重責から救うことだ。自己犠牲で戦う人間の救世主達を、血脈の運命から解き放ちたい。僕は、僕の残り少ない命をデュプリケートの研究に捧げる』

『82日目。体調が悪い。だが僕の体内のダエモニアは、この命を奪うつもりはないらしい。それどころか僕の狂気を喜ぶかのように力を貸している。奇妙な共存関係だが、滅びかけの肉体までは彼らにも治せない』

『256日目。もう少しだけ保ってくれ。神でも仏でもダエモニアでもいい。安全なデュプリケート技術を確立させるまでは、僕は死ぬ訳にはいかない』

付箋の部分を読んだだけで、あかりの指先は思うように動かなくなった。自分が泣いていることに気付いた途端、抑えきれない感情が唇を震わせる。
「私のお父さんは、お母さんを助けるために……」
「だけど、続きがある」
投げ渡された日誌には、血の跡がにじんでいた。

『502日目。僕は愚かだ。騙されていた。預言書の存在をラプラスから知った。レグザリオが事実を秘匿したのは、僕を利用するためだ。彼らは初めから、タロット使い達を苦役から解放するつもりなどなかった』

『研究を凍結する。デュプリケートは人間とダエモニアの均衡を破壊する。殺しすぎるのだ。それはダエモニアの進化を促進するだけだ』

『ひなたが死んだ。彼女を救えなかった。間に合わなかった。この体ももう保たない。レグザリオの計画が始まる。僕の行いは無駄だった。すべて。無駄だった』

『願わくば僕達の娘が、タロット使いにならないことを祈る』

高取肇は、太陽ひなたを救うために命を燃やした。だが結末は残酷なものだ。成果はレグザリオに利用され、ひなたを救うこともできず、失意のままに。
日誌は余白を残して終わっていた。冷えた地面にあかりは腰を落とした。
「お父さん……」
「新型ダエモニアは、デュプリケートに対抗するために生まれたダエモニアの免疫機能。薬剤耐性みたいなものかな」
「そんなの……まるで第一期生達が悪者みたい……」
「善も悪もないよ。自分達の価値観に従って生きているだけだから」
涙が止まらなかった。自らの半身に流れるダエモニアは高取肇のもの。だが彼は、あかり達が戦ってきた悪いダエモニア(・・・・・・・)ではない。タロット使いを救おうと孤独に戦ったのだ。
「……これを私に教えてどうするつもりなの?」
ようやく言えた言葉に、みなとは答えた。
「あたしはまりんの所に逝きたい。でも、あたしが死ぬにはデュプリケートを皆殺しにしなきゃいけない。ダエモニア達の共通意識が「もう免疫は必要ない」と考えないと、新型は消えないから」
「デュプリケートが死ねば、新型も消える……」
都合のいい話だ、騙されている。そんな気がした。だが一方で、あかりの半身は「みなとが正しい」と告げている。
「最後に質問するよ、あかりちゃん。アンタはデュプリケートとあたし達、どっち側につく?」
「決められないよ……。お父さんの気持ちは分かったけど……ダエモニアは人間の敵で……だけど助けたくて……」
「優柔不断だね」
あかりは立ち上がり、みなとを見据える。
「……ここから出して。新型の真相とレグザリオのことをエティアさんに伝えなきゃいけない」
みなとの顔は、怒っているとも悲しんでいるともつかなかった。

*  *  *

沼を飛び出たあかりを待っていたのは、青白い弾雨だった。みなとの潜む沼ばかりか、高く跳び上がったあかりにまで針のような光が迫っている。
「なにが起こってる、るな! ぎんか! せいら!」
声を荒げたあかりはせいら達に目を向ける。せいらの矢の先に視線をやって、あかりは息を呑んだ。
敵は、試験管の中に居た少女――デュプリケートだ。
「あ、あんたら仲間やろ! なんで攻撃してくんねん!?」
「せれなお姉ちゃん、どういうことなんですか!?」
「分からない……!」
デュプリケートに囲まれた四人を助けるため、あかりは武器をイメージする。
「ヤバいんじゃない、アンタらさ」
「分かってる!」
傍らに現れたみなとを無視して、あかりはデュプリケートの一人に狙いを定めた。
その時、脳裏で声が響いた。

『こちらミレイユ! ロンドン支部、敵襲撃につき支部を放棄! 緊急退避先を請いますわ!』
『マルセイユ本校は壊滅した! ローマも落ちた! アレクサンドリアは!?』
『ダメだね、欧州の支部は全滅だよ。アタシはメルティナの居る東欧に向かう! それでいいね?』
『了解なの、プリシラおねーたん。永瀧もじきに陥落するの。逃げるの~』

*  *  *

「エティア、何か分かるか!?」
ツイングラム社オフィスに居たシルヴィアは、エティアを後部座席に余津浜支部へバイクを走らせていた。各地から伝えられる報告は、どれも壊滅、放棄、撤退ばかり。新型ダエモニアの一斉襲撃である可能性も考えられない。
「…………」
「知っていることを話せ、エティア!」
「それは――」
エティアの声は、ヘルメットを響かせた通信音声にかき消された。

『……セフィロ・フィオーレの皆様。時は満ちました』

「メーガン……!」
イヤと言うほど聞いたメーガンの声に、シルヴィアはスロットルを回す。

『アリエッティ・ビスコンティの『救世計画』を実施する手筈が整いましたので、皆様には犠牲になっていただきます。これはレグザリオの決定です』

多くを語らないエティアを無視して、シルヴィアはメーガン以外のタロット使い、および関係者に呼びかけた。
「無事なのは余津浜だけだ! どんな手を使ってでも余津浜へ集合せよ!」

*  *  *

「我々の計画はようやく最終局面を迎えました。次はあなた方の番です」
白亜の円卓についたメーガンは、賢人達へ不気味に笑いかけた。仮面で顔を隠した賢人のひとりが、円卓を囲む人々に是非を問う。
「救世計画に基づき、ディアボロス・タロットの封印解除を決議する。異議のある者はこの場を去れ」
レグザリオの決議は、常に満場一致だ。何故なら、意に反する者は採決に加われない。採決のたびに円卓が欠けようとも、別の賢人が加わるのみだ。
この日、レグザリオは二名の離席者を出しつつも満場一致で結論を出した。

「……連中は、アリエッティの救世計画の危険性に気付いていない」
壮年の男は、隣を歩く猫目の少年に、苦虫を噛み潰した顔で告げた。
「ああ、もうここに僕達の居場所はない。警告へ向かおう」
「では、余津浜で」
二人は声を合わせ、仮面を外す。目元に傷のある壮年の男はカラスに、そして猫目の少年はネコに変わる。白亜の廊下を飛び、駆けて開け放たれた門戸へ向かう。
だが。
「よくぞこれまで働いてくれました、感謝しますよ」
二匹が進むべき道は閉ざされた。空間を滅茶苦茶に切り刻んで作り上げた即席のバリケードが、二匹の行く手を阻んでいる。
「ですが、あなた方の企みは残念ながらここまでのようです。ラプラス、シュレディンガー?」




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