幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/01

手を滑らせたグラスがあっけなく割れてしまうように。
立ちのぼる煙が蝶の羽ばたきでさえ乱されてしまうように。
終末はいつだって唐突に訪れる。

『アリエッティ・ビスコンティの『救世計画』を実施する手筈が整いましたので、皆様には犠牲になっていただきます。これはレグザリオの意思です』

「武装レベル4、秘匿コード《レグザリオ》」
デュプリケートのひとりが呟く。途端、彼女の得物――鈍銀の大剣――は眩く光る。周囲のデュプリケートたちも呼応し、色とりどりのレベル3武装『タロット使いの模造品』が――青水晶の弓も茨鞭も赤き刺突剣も、見る影もないほどに白く染まった。
まるで漂白だ。彼女達がイメージで編み上げた武器が、一点の曇りもない白で洗い直される。それは彼女達の意識が白く塗りつぶされることも同じ――

「なにも思い出せない……。ここは、私は誰?」
「私が消えていく……いや……! 私は! 私はぁっ!」
「あ、ああ……。あがッ……!」

あかり達を取り囲むデュプリケートは苦悶に染まる。金切り声を上げ、身体中の穴という穴から汁を垂らす。うら若き乙女の面影はない、泣き喚き叫び、恐れおののき、最後には沈黙。空想の得物が白く染まるほどに、彼女らは次々に黙していく。

「アイツらには心がない。……真っ白や」
心を読めてしまうぎんかは苦々しげに続けた。
「もう自分の意志がないんや。希望も絶望もない、なんもない。空っぽ……」
「どうすればいい」せいらの問いかけに、ぎんかは口を閉ざした。意識を漂白された少女達を助ける手段はない。
「ブリジット、クロノス!」
一方、アルテミス――月見里せれなは仲間の名を呼んだ。だが仲間の姿は、正確には心はもうない。
多重鏡面結界(ミラージュケージ)、展開」「無尽金属細工(アイアンワークス)、使用」
無感情な音声と共に、二人のデュプリケートが鏡面の牢獄と金属細工の茨を出現させる。かつて鈴掛みなとを追い詰めた彼女らの武装は、あかり達に向けられていた。
「ボサッとしてたら死ぬよ、タロット使い!」
黒い濁流が鏡と茨を押し流す。鈴掛みなとだ。デュプリケートの武装を洗い流して、あかり達の眼前に歩み出る。
「これは」と尋ねたるなの顔も見ず、みなとは吐き捨てた。
「知らないよ! どうせレグザリオとか言う連中が仕込んでたんでしょ!」
「レグザリオ……」
それはラプラスとシュレディンガーが属する組織。メーガン・ブラックバーンズが語った組織。そしてあかりにとっては、父、高取肇の仇。
「彼女達をどうする気!?」
「こんな気色悪い連中、殺すに決まってんだろ!」
包囲するデュプリケートが得物をあかり達に向ける。弓、銃弾、投槍、投げナイフ、炎や雷など魔術の類が降り注ぎ、剣術・体術の使い手たちが吶喊する。
恐るべき物量による一斉攻撃。マスゲームのごとき精緻な動きには一点の隙もない。あかり達を殺しても余りある、暴力の雨だ。
「やめて――」
あかりは叫んでいた。だが叫んだところでそれが、誰に対しての制止なのか分からなくなった。デュプリケートを止めるためか、それともデュプリケートを鏖殺しようとする鈴掛みなとへ向けられたものか。
「邪魔だ! 今すぐ消えろッ!」
叫ぶやいなや、みなとはあかり達を呑み込むほどの巨大な沼を展開させた。瞬時にあかりの足元が揺らぎ、沼の中に引きずり込まれる。
生ぬるい沼の感触。その直後、あかりの視界は再び黒く染まり、アストラルクスから落下した。

*  *  *

メーガン・ブラックバーンズは、セフィロ・フィオーレに反旗を翻した唯一にして最後のタロット使いとなった。世界樹の華ことセフィロ・フィオーレはもはや風前の灯火。余津浜の支部を遺し、ほぼ壊滅に追い込まれていた。

「華が落ちねば実は生らない。それはセフィロ・フィオーレも同じことです」
白亜の廊下を行くメーガンは、背後に続く二人に語る。霧依と雫、メーガンの率いる悪魔部隊の面々だ。
「華を落としたの間違いだろ。ったく、ラクして生きられた寝床を破壊しやがって」
「愉しく解剖できていたのにねえ。ああ、バラしたいなあ……」
背後の二人が吐いた批判を聞き流し、メーガンは歩みを進める。
「認識が誤っていますね。そもそもセフィロ・フィオーレはレグザリオの傀儡だ。天が命じれば華は散る。当然のことでしょう」
「いちいち詩的で腹立つな。理系にも分かるように話してくれ。お前のロジックが知りたい」
「いいでしょう」メーガンは鼻で笑って語り始めた。

「巷を騒がせている第一期生と正規生……デュプリケートは、オーキスが見い出し、高取肇が完成させたもの。ならば、デュプリケート技術に細工が為されているのは当然のことです」
「ああ。この白い女どもはバックドアプログラムだろ」
雫はタブレットに視線を落とした。ロンドン支部付近、万梨亜が真白いデュプリケート達を相手に奮戦する様子が映っている。誰が見ても敗色は濃厚だ。
「デュプリケートは君の手引きだね。よくもまあ実戦配備に漕ぎ着けたよ。こんな悪魔の技術を見過ごすなんて、エティアも耄碌したかな?」
「いいえ、エティアの了解は得ていますよ。すべて承知の上でしょう」
「ワーオ。うちの部隊長がエティアと繋がっているなんてね」
メーガンは突き当たりで歩みを止めた。無機質な白亜の壁へ向けて指を弾く。空間が歪み、人が通れる程度の大きさの亀裂が現れる。
「繋がってなどいませんよ。ただ彼女の理想がレグザリオと近しいというだけです」
「こちらへ」と告げ、メーガンは先ほどの亀裂に足を踏み入れる。空間を歪めるメーガンの能力の前では、あらゆる鍵も封印も意味を成さない。空間そのものをムリヤリ繋げてしまうからだ。

亀裂のトンネルを数歩。その先はがらんどうの広間に通じていた。
先ほどの、嘘を塗り固めたほどに白いレグザリオとは趣きを異にする広間。生と死の狭間、アストラルクスの性質が剥き出しになったような、濃紺と濃紫がまだらに混ざり合う場所。
霧依は熱っぽく嘆息した。周囲を一瞥した時に、広間に漂うそれ(・・)を見つけたからだ。同じく確認した雫は、狼狽えながら問いかける。
「メーガン。アンタ、これはまさか……」

三人の眼前に、黒いタロットカードが浮かんでいた。ディアボロス・タロットだ。

メーガンは懐から、普段とは異なる黒いタロットを取り出した。【悪魔】のディアボロスは周囲の光を奪うかのように、メーガンの顔に影を落としている。
「これがデュプリケートの根源であり、我々が存在する元凶。エティアの母親、アリエッティが見い出し、エレメンタル・タロットを創り出す決意を確かなものにさせたもの。ディアボロス・タロットです」

ここはディアボロス・タロットの保管庫だ。

「興味深いね。触れたら即、対消滅だとばかり思っていたよ」
霧依の発言に、メーガンは口角を上げるだけで答えた。
「さて、お二人に問います。人間――いえ、動物を統べる最も効率のよい手段とはなんでしょう。多様性を認める社会でしょうか。発展した科学技術でしょうか。賞賛に値する文化でしょうか」
雫は鼻で笑った。
「違うね。恐怖、畏怖、畏敬。死を恐れて忌み嫌う、動物の本能だ」
「ええ。では死を制御し、人々を統べる手段は?」
「ああ、ああ。ようやく理解した。素晴らしいよ、絶頂してしまいそうだ……!」
宙に舞う【吊られた男】が霧依の手のひらに降りてくる。【隠者】も同様、雫の眼前に浮かんだ。
「戦争も災害も疫病も、行き着く先は死への恐怖心だろ。人は誰だって死にたくないんだ。だから社会や科学や文化を発達させてきた」
「だけど、ディアボロスとそこから生まれたダエモニアはスプレーかなにかみたいに死を撒き散らす、と。で、もしこの死を――人間に死をもたらす力を制御することができたなら」
「それこそが対消滅です。アイオーンは、エレメンタルとディアボロス、双方の性質を備えるタロットだ」
メーガンは己の【悪魔】のエレメンタル・タロットを掲げてみせる。右手は輝くエレメンタル、左手には影を落とすディアボロス。この二枚が合わさり対消滅すれば、新たなるタロット――アイオーンが現れる。
メーガンは嘆息して告げる。その声色は、普段より弾んでいた。
「……見てみたいでしょう、死で支配された人間の箱庭を。人を傷つけた者は絶対に死ぬ世界などはどうでしょう。他人を傷つけないため、誰しもニコニコと笑っているような。あるいは、死ぬことが分かっているのだから、あらゆる気に入らない者を殺していくような。面白いじゃないですか、そんな箱庭があれば」
「つまりはディストピア願望か。必死な人間を眺めて愉しみたいだけってのが最高に醜悪で悪趣味だな」
「なに言ってんの、最高のエンターテインメントじゃない!」
愉しげに体をくねらせる霧依の隣で、皮肉がちな雫も自らのディアボロスを掴んでいた。悪魔部隊の面々に、人間の尊厳を尊ぶような敬虔な倫理観は存在しない。いかに日々を愉しむかという悪魔的な享楽が存在するだけだ。
「歓迎しましょう、新たなる世界を。アリエッティの救済計画を」
告げて二枚のタロットを合わせた途端、メーガンは二人の視界から消えた。だが次の瞬間には、すぐに戻ってくる。二枚あったタロットは白黒まだらな一枚に変わっていた。
「アンタ、やったのか。対消滅を……」
メーガンの身体を淡い光が包んでいた。かつて観測された白銀ぎんかの対消滅時とは異なる赤色光が、周囲の濃紺と混ざり合っている。地獄の門が開いたかのようだった。彼女の様相は邪悪そのもの、まさしく【悪魔】が顕現した瞬間だった。
「……アセンションに相応しい、素晴らしい感覚ですね。アイオーンというのは」
メーガンは身震いし、二人に宣告する。
「さて、次はあなた方の番だ。死を制御して人々を縛るためには、22枚のアイオーンが必要ですからね」

その日、三名のアイオーンが生まれた。ディアボロスは保管庫を飛び去り、それぞれに引き合うエレメンタルタロットの元へ向かう。
世界に終末が迫っていた。




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