幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/02

『こちらマルセイ――在デュプリ――交戦中――応援求――』
『ロン――壊滅――ロンドン壊滅――』
通信にはノイズが混じっていたが、それだけで状況は手に取るように分かった。
「メルティナ、あとどれくらいだ」
東欧からマルセイユへ。メルティナの箒が全速で空を駆ける。その後部に立って、ヴァネッサはアストラルクスに吹き荒れる怨嗟を肌で感じていた。
状況は知りうる限り最悪のものだ。デュプリケートの反乱ですべての支部が壊滅し、今やマルセイユ本部すら風前の灯火だ。
事態を悪化させる要因はもう一つある。
「あと数分! それより前方からドッペルゲンガーが接近! 【魔術師(私の)】よ!」
メルティナの言葉通り、モノクロームのドッペルゲンガーが突っ込んでくる。正面衝突――対消滅が目的だとすぐ分かる、芸のない直線軌道だ。
「そのまままっすぐ飛びな!」
「対消滅しろって!? チキンレースじゃないのよ!?」
「みすみす消させはせんさ」
言ってヴァネッサは箒を蹴って前方へ跳んだ。
セフィロ・フィオーレはじまって以来の未曾有の事態。そしてメルティナの対消滅を阻止すべく、ミサイルか鉄砲玉のような不退転の特攻を掛ける最悪の状況。
にもかかわらず、ヴァネッサの口元は何故か緩んでいた。

――嬉しかったのだ。遠慮なく手加減なく、刃を交えることのできる相手が居ることが。

ヴァネッサはドッペルゲンガーの前に躍り出、肉薄する。
ドッペルゲンガーはヴァネッサを相手にすることはなかった。否、相手取ることすらできないのだ。達人を越え、神仙の域にまで達したヴァネッサの剣戟に対応できるはずもない。
まさしく神速の一閃。ドッペルゲンガーは横一文字に裂かれ、その隙間をメルティナが速度を緩めることなくすり抜けた。
一方、ヴァネッサは落下する。その手を、指先を掴もうとメルティナはさらに箒を加速し、手を伸ばす。
「ヴァネッサ!」
二人の指が触れ、たぐり寄せ合い、繋がった。超高速で飛ぶメルティナの片腕にぶら下がって、ヴァネッサは短く息をつく。後方では、先ほど両断したドッペルゲンガーが休む暇すら与えないとばかりに再生し始めていた。
「退屈させないね、やっこさんは」
「ドッペルゲンガーは生き写し。箒の出力も同じなら、一人分重いこっちは不利よ」
「なら私を捨てりゃいい。本部にはアリエルとプリシラが居る、逃げ延びりゃ何とかなるさ」
「下を見なさい」
ぶら下がったまま眼下に目を遣る。箒に肉薄する速度で大地を蹴る、モノクロームの【皇帝】が見えた。ヴァネッサのドッペルゲンガーだ。
「おーおー、私も本気出せばあれくらい走れるってことかい。我ながらすごいねえ」
「貴方だから始末が悪いの。アレとやり合えるのなんて貴方しか居ないわ」
メルティナが浮かべた大量のカボチャが【皇帝】めがけて降り注ぐ。当然、【皇帝】は意図もたやすく爆風を避け――それどころか爆風に乗って跳躍してのけた。
そして、ヴァネッサは自身のドッペルゲンガーと向き合った。

【皇帝】は笑っていた。戦うことにしか生きがいを見いだせない生粋の剣豪。どこまでもヴァネッサと生き写しの存在だ。

「メルティナ、距離を取りな! アレが私と同格なら余裕で首を飛ばせる間合いだ!」
「冗談でしょう!? なんてデタラメなのよ!」
一閃。ヴァネッサの足元を【皇帝】の太刀筋が掠めた。間一髪だ。
「ヒヤヒヤさせないでよ……。マルセイユ本部上空に到着。デュプリケートと交戦中の模様よ、どうするの?」
「突っ込め!」
「今度は地面とチキンレース? 対消滅した方がいくらかマシだわ!」
箒はさらに加速、ドッペルゲンガー達を引き離しながら、眼下の大聖堂へ向けて急降下する。
ヴァネッサは再び箒を蹴った。今度は地上へ。戦闘を繰り広げているデュプリケートの一人に狙いを定め、鞘から愛刀を抜ききった。
「加減は要らんな、デュプリケート!」

*  *  *

一方、あかり達は余津浜支部を目指して走っていた。
「なんなんやあの女! 沼に沈められたと思ったらどっか分からんとこに飛ばされとるし!」
「鈴掛みなとはダエモニアの沼で長距離移動ができるから、たぶんその応用」
「私たちを邪魔だって言ってましたけど」
るな達が息を切らせて喋る中、あかりの脳裏はデュプリケートのことでいっぱいだった。
タロット使いだった母親を救うため、父親が完成させたデュプリケート技術。しかし父親はレグザリオに騙され、失意の果てにこの世から姿を消した。
「教えて、せれな。デュプリケートって何? どうしてあの子達は、ああなってしまったの?」
問いかけても、せれなは首を横に振るばかりだった。
「分かりません! 秘匿コードなんて私は知らない!」
「本当に知らないの?」
立ち止まったせいらの静かな口調には、どこか怒気が混じっていた。
「デュプリケートは裏切った。あなたも裏切らないという確証はない」

*  *  *

「プリシラッ!」
マルセイユ本部は目も当てられない惨状が広がっていた。荘厳な校舎も庭もことごとく破壊され、必死の抵抗を続けていた二人――プリシラとアリエルはデュプリケートの猛攻に晒されている。
「ちゃっちゃと余津浜に逃げるぞ、退避準備!」
到着するなりデュプリケートを斬り伏せたヴァネッサが、一気に形勢を逆転する。二十人は居た少女達は瞬く間にその数を減らしていた。
「プリシラとアリエルを連れて退避するわ。ヴァネッサ、時間稼ぎを」
「初めからそのつもりだよ!」
踏み込み、肉薄し、両断。反撃の機会すら与えない絶対無比の剣戟でデュプリケートを次々と葬る。まさしく一騎当千だ。
ヴァネッサの猛攻の裏で、メルティナは帰還用の魔法陣を描き始める。
「メルティナ、何やって……」
「静かにして。話なんてあっちに戻ったらいくらでも付き合ってあげる」
「いいや」だが、プリシラは魔法陣の外へ出た。そして傍らで気を失っているアリエルを庇って立ち上がる。
「逃がすのはアリエルだけでいい。アタシはここまでだ」
「プリシラ……?」
一瞬だった。プリシラの体は飛来したナイフに貫かれる。ご丁寧にも両足に1本ずつ、その場に釘付けするためだ。
誰がやったかなど考えるまでもない。実行者――ドッペルゲンガーの【愚者】はナイフを弄びながら悠然と歩んでくる。動きを止めてしまえば急ぐ必要はないからだ。
「イヤよ! 貴女も逃がすから!」
「……そういう、メルティナの実は素直なトコ。アタシは結構気に入ってたよ」
甲斐も虚しく、笑みを遺してプリシラは消えた。メルティナが手を伸ばした時にはもう姿も気配も感じられなかった。

――【愚者】は対消滅した。

「バカなんだから」
メルティナは一言だけ呟く。プリシラならば『感傷に浸る暇があるなら手を動かせ』と言うだろう。だからこそ無心で魔法陣を編み上げる。
「……なぜ、メルティナがここに居る?」
気を取り戻したアリエルが顔を上げた。部分的に発動した魔法陣は、アリエルの周りに薄い光の障壁を作っている。それに手を当てたアリエルは事態を悟った。
「私を逃がす気か!?」
「セフィロ・フィオーレの要人だもの。逃がすとしたら、まずは貴女から」
アリエルは目を見開いた。
「お説教は結構よ、アリエル。もう感情論じゃどうにもならない。敵に囲まれ、プリシラも消えたこの状況で、一番合理的なことは何か。賢い貴女なら分かるわよね」
「そういうこった、副長さん!」
魔法陣にかかり切りのメルティナを護るため、ヴァネッサが敵前に立ちはだかる。周囲にはデュプリケートと、【魔術師】、【皇帝】、【審判】、3体のドッペルゲンガーだ。もはや逃げ場はないだろう。
「冥土の土産に教えてくれ。お前さんとエティアは、こうなると分かってデュプリケートを導入したのか」
対消滅を覚悟したヴァネッサの問いに、歯切れ悪いアリエルが返答を寄越した。感情を制して合理的な、アリエルらしい言葉だった。
「私とてエティアに進言はした。レグザリオ由来の技術に頼るべきではないと。だが、エティアは清濁併せ呑むことを選んだ。おそらく何か策があるのだろうが」
「いいさ。無駄死にじゃないことが分かっただけでも御の字だ」
ヴァネッサは再び、白木の鞘から得物を引き抜く。同じく得物を抜いた【皇帝】と対峙し、間合いを計る。
「部下に恵まれて楽しい人生だったよ。しかも、最期を死闘で飾れるんだからな。お前さんもそうだろ、【皇帝】さんよ」
ヴァネッサのドッペルゲンガーは、口角を上げて笑った。どこまでも生き写しだとヴァネッサは思う。
「後は頼むわよ、アリエル」
魔法陣を書き終えたメルティナも、自身のドッペルゲンガーに対峙する。
「待て、お前達――」
魔法陣が発動し、アリエルが現実世界へ帰還した。それを合図とばかりにドッペルゲンガーが二人を目指して跳躍する。
「せいぜい愉しませてくれよ! 【皇帝()】!」

*  *  *

「……あんたはデュプリケートだ。こうなるって分かってたんじゃないの」
「せいらさん、今はそんな話は……」
黙り込んだせれなに代わり、るなが割り込む。だが――
「あかん、危ないッ!」
気配を察知したぎんかは盾を緊急展開した。盾に曲芸ナイフが突き刺さる。狙いを外さない、寸分違わぬ投擲技術。これほどの腕前を持つ者が誰か、あかり達はよく知っている。
「プリシラさん……?」
あかり達の前に、まだらな光を放つプリシラが立っていた。




TOP