「久しぶりだねえ、教え子たち」
プリシラは、苦々しくも笑った。
「なんでここに私が居るのか分からない、か。プリシラ・トワイライトはさっきまでマルセイユ支部に居たはずだって」
問いかけは、あかりが抱いた疑問そのものだった。もちろん、あかりの他、誰も口にはしていない。
即ち、思考を読まれているということ。そんな芸当が可能な存在は――
「私も対消滅したのさ。おかげで心の声がうるさくてね」
「うちと同じアイオーンになってしもたっちゅうワケやな……」
「少し違うね」言って、プリシラはダガーナイフを構える。指の間に挟んでいたナイフが放たれて、あかり達の足元を抉った。
「『プリシラさんは敵ですか?』ってのは、るなの声だね? どうやらそうなっちまうみたいだよ」
「なぜです! あなたは仲間のはず!」
あかりの叫びにも、プリシラはバツが悪そうに頭を掻くばかりだった。
「私も信じられないよ。けど、知ってしまったからにはね。白金は気付いてんじゃないのかい?」
ぎんかは苦々しげに口を噤んだ。
「どういうこと、ぎんか?」
「まだ確証があるわけやない。証拠もないのにエティアはんを疑うようなことはウチにはできひん」
「どうしてエティアさんを疑うなんて……」
「エティアの考えは読めないからね。厳重に、自分自身に蓋をしているのさ。だから私達は気づけなかった。この事件はエティアが仕組んだことだとね」
「あり得ない!」
「じゃあ、デュプリケートはどう説明を付ける? 意識まで真っ白になるような連中を、なぜエティアが採用したのか。そしてデュプリケートの適格者達は、なぜその事実を知らされていなかったのか」
「それは……!」
黙るしかなかった。自身とデュプリケートの父である高取肇は、デュプリケートの完成後、失意に暮れた。
なぜなら、デュプリケートはダエモニアの進化を促進させてしまう。
もしエティアがその事実を知りながら、デュプリケートを採用したとすれば。
「エティアはレグザリオと繋がっている、かもしれない」
あかりはせいらの発言を否定できなかった。くわえて、せれなが続ける。
「メーガン隊長は、『アリエッティ・ビスコンティの救世計画』と言いました。アリエッティはすべてのタロットと――エティア・ビスコンティの母です」
「真相が見えてきたね。じゃあ答え合わせの時間だよ、教え子達」
プリシラが指を鳴らした途端、【星】と【月】のドッペルゲンガーがその場に姿を現した。モノクロームのせいらが弓弦を引き、るなが両手を掲げている。
「対消滅してすべてを知れということですか、プリシラ先生……」
「ああ、月詠も星河も優秀な教え子だからね。もちろん、太陽も白金も大切な生徒だ。お前達を傷つけずに済ませるには、これくらいしか方法がないんだ」
プリシラは、あかり達が新人だった頃と同じ、頼れる教師の顔で笑った。
るなとせいらは互いのドッペルゲンガーと向き合って、同じ姿勢――臨戦態勢を取った。
「むやみに対消滅する必要はない! まだエティアさんの考えも分からないんだよ!」
「だけど、他に方法は……」
「方法ならまだある!」
ぎんかの声に、プリシラは「やれやれ」とばかりに肩を落とした。
二人の間で行われている心の読み合いは、あかりには分からない。だが、どちらの答えに従うかは、あかりの中で既に決まっていた。
「プリシラさん、道を開けてください。私はエティアさんに確かめたい。新型ダエモニアのことも、デュプリケートのことも、レグザリオも。それから、アリエッティの救済計画のことも」
「……アンタの心は変わんないみたいだね。そういうトコはひなたにソックリだよ」
プリシラのダガーが、あかり達に向けられた。
押し通れ、ということだ。そう判断して刺突剣を握ったと同時に、プリシラのダガーが放たれた。
足元。
それも、プリシラの両脇、ふたりのドッペルゲンガーの足に深く突き刺さる。足止めだ。
「余津浜支部の上昇機関は生きてる。急げばまだ間に合うよ」
「プリシラ先生……!」
「こいつは一回きりの試験だ、質問の答えを見つけてきな」
刺さったダガーを抜こうとするドッペルゲンガーになど脇目も振らず、あかり達は掛け出した。
* * *
「おとん!? なんでこんなとこにおるんや!?」
現実世界、余津浜支部。
もぬけの空だった支部のアセンション補助装置・上昇機関の操作を担当したのは、あろう事かぎんかの父だった。
「アリエルはんから聞いた! 説明は車ン中でする、とにかく早う乗れ!」
入口に横付けされたワゴンに押し込まれ、あかりの身体は後部座席のシートに押しつけられた。
「と、飛ばしますね……ぎんかさんのお父様……」
「悪い、急がんとアカンのや! お父ちゃんが免停になったらぎんか、運転手頼むな!」
「うちまだ免許取れる歳ちゃうんやけど!?」
「それより、アリエルさんって――」
『ご協力感謝します、お父上。後は私が引き受けます』
あかりが言いかけたところで、アリエルの声が反響した。カーステレオから車中には居ないアリエルの絞り出すような囁きが漏れている。全員に聞こえるように、ぎんかの父はボリュームを上げた。
「アリエルさん、無事だったんですね?」
アリエルの返答にはやや間があった。それだけであかり達は事態の深刻さを理解できた。
『私はな。だが、プリシラが対消滅。ヴァネッサ、メルティナと連絡が取れない。メーガン一派もだ』
「エティアさんは!?」
アリエルの声色がわずかに変化した。疑念を隠し切れない、どこか落ち着きのない言葉になる。
『……お前達は今、エティアの隠れ家に向かっている。有事の際に逃げ込むよう設計された彼女のセーフハウスだ。彼女はおそらく、そこに居る』
「教えてください、アリエルさん。エティアさんは……何をしようとしているんですか」
言葉を詰まらせたアリエルに、せれなが切り込む。
「あくまでも秘密主義ということですか、アリエル副長」
『なぜ月見里せれながそこに居る? お前は我々を裏切ったデュプリケートの――』
「裏切ったのはエティアさん達も同じです! どうして何も話してくれないんですか……!」
るなの言葉が車中に反響した。猛烈な速度で回転するエンジンの悲鳴と、アスファルトに食い込むタイヤの音が沈黙を埋める。
『……分かった、知る限りの情報を提供する。構わないな、レグザリオ』
「もう在野の人間だ。機密をどうしようが我々の勝手だ」
あかり達が振り向くと、後部座席に二人の男性が横になっていた。どちらも痛々しい、包帯まみれの姿だ。アリエルに応えた壮年男性に続いて、少年が八重歯を見せて笑った。
「こっちの姿で会うのは初めてだったね。いや、初めてかにゃ?」
「ラプラスとシュレディンガー!? 人間だったの!?」
驚いて顔を見合わせるあかり達に、アリエルの声が飛んでくる。
『生物学上は人間だが、ほとんど人間の枠をはみ出たバケモノだと思え。見てくれは人間だが中身にまで人間性は期待するな』
「ひどい言われようだね、結構傷つくにゃ?」
「本物の猫じゃなかったんだ。残念……」
うな垂れるせいらを尻目に、アリエルは説明を始めた。
『月見里せれな含む第一期生、第二期生の正体はデュプリケートだ。デュプリケート技術は我々が使用するエレメンタルではなく、ダエモニアの大元であるディアボロスタロット。これはもう知っているな?』
「はい。お父さんの研究を調べましたから」
『なら話は早い。デュプリケート技術には副作用があった。デュプリケートを埋め込まれた者達の存在が、ダエモニアの進化を促してしまうこと。言わば、技術の致命的な欠陥だ』
アリエルは続ける。
『だが、レグザリオはデュプリケート技術の欠陥に目を付けた。いや、その欠陥にこそ価値があると考えた』
父親が作り出した技術を欠陥呼ばわりされて、あかりの心中は複雑だった。高取肇は、太陽ひなたを救うためにデュプリケートを文字通りに寝食を惜しんで開発した。途中で過ちに気付いて研究を凍結したのに、いつしかレグザリオの手に渡り、現状のあかり達を苦しめている。
もちろん、新型ダエモニアによって苦しんでいるのはあかり達だけではない。市井の人々はもちろん、死にたいのに死ねない鈴掛みなともだ。
「我々レグザリオは人類の進化を望んでいたが、袋小路に陥っていた。それを打破する手段がデュプリケートだ。一個一個の戦力は貴様らタロット使いには及ばないが、適格者さえ居れば無尽蔵に増やせるメリットがある」
ラプラスの発言を、シュレディンガーが総括する。
「分かりやすく言えば、おねーさん達を力尽くで対消滅させるには、デュプリケートがたくさん必要だったってこと。ざっと見積もって200人くらいで反乱を起こせばいい」
「なんやて!?」
「わたし達を対消滅させるつもりでせれなお姉ちゃん達を育てたんですか……」
「そんな……私は……。るなを救うために……デュプリケートになったのに……」
愕然としたせれなを無視して、アリエルが続ける。
『デュプリケートの採用を決定したのは他でもないエティアだ。そして、彼女に採用を打診したのがメーガン・ブラックバーンズ。彼女は今、レグザリオの円卓会議の一員として活動している』
「つまり……どういうこと……?」
後部座席から包帯を巻いた顔を突き出して、シュレディンガーは告げた。
「レグザリオもメーガンもエティアも、すべてはアリエッティの救世計画のために行動してたってことさ。で、計画はもうすぐ果たされる」
『以上で説明は終わりだ』
「待ってください!」
こらえ切れず、あかりは叫んでいた。
「みんな、あまりに身勝手です! レグザリオもメーガン隊長もエティアさんも! 説明してくれたアリエルさん達も、秘密ばっかりじゃないですか! それに……お父さんの努力はなんだったんですか!? どうして人の努力を悪用するようなことが平気でできるんですか!?」
数秒の沈黙の後、アリエルが呟いた。
『……それだけか?』
「まだあります! アリエッティの救世計画とは何なんですか!? エティアさんの隠れ家に向かわせて、何をさせるつもりなんですか!?」
『救済計画は――』
言葉を濁すアリエルに、にゃあにゃあ笑いながらシュレディンガーは答えた。
「進化の踊り場でさまよい続ける、迷える人類への究極の救済。要するに、全人類の対消滅だにゃ」