あの最後通牒を聞いたとき、あたしは心の底から「死ねばいいのに」と思った。
「こんな所で死んでたまるかっての! 逃げるぞルーシア!」
エレンに手を引かれ、あたし達は追っ手から逃げていた。メーガンの通信からすぐ後、デュプリケート達が攻撃を加えてきたから。
「なんで!? アイツら味方のハズじゃん! どうなってんの!?」
シャルロッテ達は知らない。あのデュプリケートの正体が、ディアボロスタロットを元にしたコピーであることなんて。彼女らはそれくらい巧妙に、セフィロ・フィオーレに溶け込んでいた。おそらく、すべては仕組まれたこと。メーガンだけでなく、エティアが噛んでいることは間違いない。
「知ったところで無意味。みんな死ぬだけ」
「死んでたまるかーッ!!!」
四方に弾丸をばらまきながら、武装ドローンに隊列を組ませながら、シャルロッテが叫んだ。発砲音やドローンのプロペラ音以上に、生への執着そのものみたいな咆哮がうるさくて耳障りだった。
「いいから話せルーシア! アイツらは何だ!?」
「彼女達は――」
かつてマルセイユ支部で垣間見たことを告げようとしたところで、ノイズ混じりの通信が入った。声はメーガンの手先、藤陰雫のもの。明らかに罠だ。
『私だ、余津浜はもうダメだ! 安全な場所へ誘導する!』
「助かったぜ雫! おい、ポンコツども急ぐぞ!」
「ほーい」
エレンが雷光を放ち、前方から飛来するデュプリケートを露払いとばかりに消し飛ばした。その背後では、舜蘭がシャルロッテを小脇に抱えている。後方の敵はシャルロッテの弾幕に阻まれ、側方の守りはドローンが固めている。
生き残るための、必死の逃避行。
――そうまでして生きることに、なんの意味もないのに。
「生きたいなら先に行って。エレン」
「何でだよ!?」
あたしを問い詰めるエレンの形相は、焦り、怒り、怯え。剥き出しの、人間らしい感情に突き動かされている。
あたしはエレンが嫌いだ。やかましくてウザくて、あたしをロックだと言って褒めそやす。放っておいてくれと言うのに、「ひとりは寂しいだろ?」と自分の価値観でしか幸福を測れない。どこまでも自分本位で自己中心的な俗物だ。
だけど、そんな俗物だからこそ――気になってしまうのかもしれない。
エレンはあたしが捨ててしまった人間味を持ち合わせているから、愛おしくも腹立たしいのかもしれない。
「これは、あたしを対消滅させるために仕組まれた罠」
「はあ!? おいどういうことだ雫!?」
くぐもった笑いの後で、雫の本心が垣間見えた。
『強いヤツから潰していくのがセオリーだからな』
「テメエ、裏切ったのか!?」
やり合いを無視して、あたしは宙へ飛び上がった。そして遠方にモノクロームのあたしを視認する。ドッペルゲンガー、生き写しのあたし。
「あたしのドッペルゲンガーが迫ってる。あたしに任せて逃げて」
鎌を持ち上げたところで、あたしの眼前を稲光が奔った。
「ふざけんじゃねえよ! アタシらじゃお前のドッペルゲンガーに敵わないから、自分ひとりで引き受けるってのか!? 雑魚扱いすんじゃねえ!」
姿だけでなく実力も生き写しなら、エレンや残りのふたりが束になってもドッペルゲンガーには敵わない。アレを止められる実力のあるタロット使いはあたしだけ。それでもエレンは食い下がる。虚勢を張って、意地を張る。
「エレンみたいな雑魚じゃ無駄死にだから」
「んなことは分かってんだよ! でもアタシは……お前の友達だろ!? 友達を放っておけるワケねえだろ!?」
挙げ句の果てに、エレンは友情を説いてくる。どこまでも、呆れるほどに、唯我独尊で独善的な人間らしい俗物だ。
なぜ、こんなにも情に厚い、人間味にあふれた「いい子」が、人間を辞めた魑魅魍魎ばかりの悪魔部隊に配属されたのだろう。
答えを確かめる術はないし、目の前まで迫ったドッペルゲンガーは考える時間を与えてくれない。理由は単純だ、あたしだったらそうするから。人間らしさや情なんてものに費やす時間は、あたし自身切り捨ててきたから。
だけど。あたしは――エレンのような俗物のことを気にかけてしまった。
「何とか言えよ、ルーシア! いつもみたいに死ねばいいのにとか言ってみろよ!?」
弱い犬のように吠えまくるエレンを見て、あたしは数百年ぶりに口元が緩む感覚を思い出した。死んだと思っていた人間らしい感情は死んでいない。むしろ何故かより強くなって、あたしの中で暴れ始めている。
「ルーシアお前……笑ってんのか……?」
「あなたは生きて、エレン・ライオット」
ふたつの鎌がぶつかって、あたしは真っ白な光に呑まれた。
* * *
――対消滅。
その正体は、次元の上昇。エレメンタルやディアボロスでは現実世界のひとつ上、アストラルクス止まりだけど、ふたつが対消滅すればさらに昇れる。そこがアイオーンと呼ばれる次元だ。白金ぎんかの対消滅が確認されるまでは誰ひとり信じていなかったし、知る者も限られていた。あたしやアリエルのような古株と、エティアを除いては。
アイオーンは時間も空間もない、魂だけの世界。すべての境界が曖昧で、体も心も無限遠にも思える空間に溶けてしまったような、ただ柔らかで温かい光に満ちている世界。その中をたゆたっていたあたしに、誰かが問いかけを寄越した。
『あたしは死に場所を探している。そうでしょ、あたし』
声の主は、あたしのドッペルゲンガーだ。その主張に笑ってしまう。あたし達はどこまでも生き写しだ。実際、あたしに生きる目的はない。死に場所を探しているんだから。
『鎌を取って。そしてあたしを殺して』
不意に、魂が肉体に引き戻される感覚。無限遠の世界にたゆたっていた心が、数百年前から成長ひとつしない少女の肉体にぎゅうっと詰め込まれる。五感が戻ってきて、それまで白としか認識できなかった世界が像を結んだ。
目の前には、あたしが居た。ドッペルゲンガーだ。
「あなたは、死にたいの?」
あたしの問いかけに、もうひとりのあたしは頷く。
『あたしは死にたい。だけど、あなたも死にたいはず』
本当なら、頷くべきところだった。だけど、あたしの脳裏を過ぎったのは、あの人間らしさにあふれた俗物の姿だった。
『あなたは、生きる目的を失っている。普通の人間だった少女ルーシアの心は、とっくの昔に死んだから。今はただ、自分を殺してくれる存在を求めている、虚しい死に損ない。それがあなた、それがあたし』
生き写しには、すべてがお見通しだった。言う通り、【死神】を継承した時に少女ルーシアの人間らしい心は死んだ。すべてを恨む今のあたしと、かつての人間だったあたしは別人だ。
『対消滅してひとつになれば、あたしとあなたのどちらかは死ぬことができる。だからあたし達はこのアイオーン次元で決着をつける。望み通り、死ぬために』
死を勝ち取るために戦うなんて奇妙なことだけど、それ以外に方法がないことは理解できた。あたしを殺せる実力を持つものはあたし以外に居ない。それは、目の前に居る彼女も同じこと。
だけど、生き写しは完全じゃない。あたしの中で暴れる、彼女とは違う考えまではコピーできていなかったから。
「生きることも悪くない、とあたしは思い始めている」
『そう』
彼女は一言答え、思案するような間を取った。そして、頭を振って続ける。
『あたしとあなたが違うのは何故?』
あたしは黙した。それを口に出すのが自分でも信じられなかったから。
死んだはずの人間らしい心が、蘇ってくるなんて――それもあんな俗物のために、この命を使おうなどと思うなんて思わなかったから。
「あたしは、たったひとりだけ生かしたい人が居る。あなたにはそれが居ない。それがあたし達の決定的な違い」
『そう』
再び沈黙し、ドッペルゲンガーは死神の鎌を手放した。
『あたしは、あなたの心と同じ。みんな死ねばいいと願っている。だけど今のあなたは、あたしと違う。これまでの自分を捨てて、新しい自分になろうとしている』
あたしは、あたしの中で暴れる感情に従うことにした。
「せめて、エレンは守りたい。それがこれからのあたし。だから、過去のあたしは……すべてを恨むだけのあたしはここで殺す」
『理解した』
生き写しの首筋に、あたしは鎌をあてがった。彼女は抵抗しなかった。当然だ。あたしは、あたし自身を殺したかったのだ。「みんな死ねばいい」と世間すべてを恨んで惰性で生きる死に損ないの、無感情な自身を断ち切りたかった。
『死は終わりじゃない。死から始まることもある』
死神は、タロット占いでは何ひとついいことがない絶望のカード。だけど、逆位置の解釈は、死の先にある新たな始まりを意味する。忌まわしき過去を清算し、未来を一から築いていく希望のカード。
「ありがとう。今までのあたし」
『有意義な人生を。これからのあたし』
あたしの体は真下に――物質を引きつける重力に絡め取られ、温かな光の園から落ちていった。
* * *
アストラルクスに戻ったあたしを待ち受けていたのはエレンでも、ポンコツ二人組でもない。いけ好かないメーガンだった。
「すべてを説明してもらう」
「おや、まさかディアボロスに勝利してしまったのですか。この期に及んで、人間らしい情動にでも突き動かされた、と」
問いかけてもメーガンは答えなかった。それどころか眉間に指をやって、やれやれと毒づく。
「貴方には失望しましたよ、ルーシア。自分自身に向き合った結果、弱い方のあなたが勝ってしまうとは」
「エレンをどこにやった?」
詰問したところで、あたしは気付いた。この場にエレン達が居ない理由は、自ずと想像がつく。全員、メーガンの手に落ちたのだ。
「そろそろ、勝敗が決する頃でしょう。おいでなさい、エレン」
呼びかけをきっかけに、紫がかった空に穴がこじ開けられた。飛び出してきたのは、あたしが共に生きようと決意した人、エレン・ライオット。
「エレン」
対消滅を遂げたらしい彼女は、ギターをかき鳴らして稲光を発生させた。攻撃のサインだ。
「これまでさんざん殺してきた貴女に、人並みの幸せが与えられると思っているのでしょうかね。ルーシア?」
あたしは、鎌の柄を握ることができなかった。