幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/12

「ネガティブな気持ちで『みんなを守りたい』なんて、よくそんな器用なこと考えられるね、あかりちゃん」

 小さな沼に立つみなとがあかりに告げた。咄嗟に距離を置こうとするあかりを尻目に、みなとは余津浜の巨樹セフィロトに視線をやる。

「アストラルクスまで伸びた木。アレで人類皆殺しなんてやることが豪快だよ、あんたらのお仲間はさ」
「レグザリオは仲間じゃない……!」
「なら、私達の敵ってことか」

 『私達』という言葉が、あかりにとっての光明だった。
 今、あかりがアストラルクスへ向かう手段はない。余津浜支部ほかセフィロ・フィオーレは壊滅状態で、エティアのセーフハウスもメーガンに破壊された。歴の浅いあかりでは他のベテランタロット使い達のように、上昇機関なしでの転移はできない。
 だが、自力で転移できる者の助けがあれば、上昇機関は必要ない。かつてエレンの助けを借りたように誰かが側に居ればいい。タロット使いである必要もないのだ。アストラルクスへ転移する、それさえ可能であればいい。

「アストラルクスへ連れていって。みなと」

 手を差し伸ばしたあかりを見て、みなとは目を見開いた。「は?」と怪訝な表情を浮かべるみなとに、あかりは続ける。

「私はみんなを助けたい。レグザリオとアリエッティの計画のせいで巻きこまれたみんなを取り戻したい……!」
「みんなってのは、人間とあんたのお仲間のタロット使いだけでしょ。そんなのあたしに関係ない」
「お願い……!」

 みなとは自身の足元に視線を落とした。小さくなったダエモニアの沼がちゃぷちゃぷと音を立てている。かすかに聞こえたダエモニアの悲鳴に、みなとは「そっか」と一言呟いた。

「いいよ、連れてってあげる。あんたなら、みんな(・・・)を救えるから」

 ふたりは手を握った。あかりの全身に精神に、新型ダエモニアの主、鈴掛みなとのイメージが流れ込んできた。

      *  *  *

 あたしは死にたかった。
自殺した親友まりんの後を追おうとして、ダエモニアに魅入られて、気づいた時には死ねない身体になっていた。
 なんであたしがこんな目に遭うのか分からなかった。攻撃されて傷つこうとも自身で手を下そうとも、ダエモニアがあたしの元に集まって、勝手に意識も身体も再生してしまう。死ねない呪いだ。まるで自らの命を絶とうとした罰を、くそったれの神様が下したんだなんて本気で思った。
 だけど出口はあった。高取肇の研究が結果的に私達を生み出してしまったことを知ったからだ。あたし含め、あたしを構成する存在・新型ダエモニアは、デュプリケートに対抗するために自然が作り出した抵抗力。デュプリケートという異物を排除するためのワクチンだ。
 あたしはデュプリケートと戦う決意をして、新型ダエモニアを結集させた。彼らの気持ちは皆同じ。悲哀・嫉妬・憤怒。決して褒められたものじゃないネガティブな感情から生まれた彼らは、私と同じく解放されることを望んだ。

 死ぬために生きるなんて矛盾してる。だけどそれは人間も同じことだ。
ポジティブな感情だけじゃ人間は生きていけない。時には悲しんで、誰かを妬んで、何かに怒る。ネガティブな感情があるから――ダエモニアが居るから、人間は前を向いて進むことができる。
 それが、あたしが導き出した世界の結論。

      *  *  *

 見慣れた紫色の空があかりを迎えた。遠方に見えるセフィロトは先ほどまでとはうって変わって、眩いほどの光を湛えている。周囲には多くの人々の魂が浮かび、そして魂からは黒い靄――ダエモニアが蒸発している。
 人間の魂を浄化し、ダエモニアを消滅させる。これが救世計画の本質だ。

「行ってきなよ、あかりちゃん。あたしも逝くから」

 あかりの傍らに、みなとは倒れていた。あれだけダエモニアを湛えていた沼も涸れ、立ち上がる力すら残っていないようだった。

「あの木はネガティブな感情を消滅させる。あたし達ダエモニアは死んで、ダエモニアが死ねば人間も生きていけなくなる。その結果があの魂だよ」
「止める方法に心当たりは?」
「止められるなら止めてるよ。あたしは全身ダエモニアだから近づいただけで消滅する。アレを用意した人は余程ダエモニアが憎いんだろうね。ダエモニアが居なきゃ、人間も生きていけないってのにさ」
「人間とダエモニア……」

 みなとと手を繋いだ時、彼女の意識があかりに流れ込んでいた。
 人間は矛盾している。本来ならば毒になる負の感情を昇華して、前を向いて進む存在だ。悲しみも妬みも怒りも人間にとっては必要なもので、それをどう扱うかが大切。それがみなとの出した結論だ。

「……私達は、ダエモニアと共に生きている」

 あかりは、自身の両手に視線を落とした。右と左のように明確に分かれている訳ではないだろうが、あかりの半分はダエモニアだ。その半身であるダエモニアに問いかける。

「力を貸してくれる? 私の中のダエモニア」

 答えは、あかりの心に落ちた。腑に落ちるという表現の通り、全身全霊がひとつの意志でまとまった。
メーガンの手に落ちたタロット使い達を助けたい。
勝手に魂にまで還元されてしまった余津浜の人々を助けたい。
そして、人々の毒にも原動力にもなる必要不可欠なもの――ダエモニアも助けたい。

瞬間、あかりの身体がぼうっと光った。対消滅した者、アイオーンの放つようなまだらな光ではない。ぼやけてわずかではあるが、偏りのない温かなもの。

「やればできんじゃん。あかりちゃん……」

 這々の体であかりを見上げて、みなとは告げた。

「初めて会った時から、あんたの違いには気づいてたよ。それはあんたの中にダエモニアが居るから……いや、あんたがダエモニアと混ざり合った状態だったから」
「私はもしかして、初めから……」

 セフィロト周辺の魂が浄化されるのと同じように、みなとの身体が少しずつ靄になって蒸発していた。彼女の望んだ死が近づいていた。

「ああ、これでやっと死ねるんだ……」
「最後に聞かせて。私は、私ならこの事態を止めることができる?」
「……救世主(メサイア)になりなよ。あかりちゃん」

 エティアはあかりを守ってきてくれた。初めてセフィロ・フィオーレに来た時から今まで、ダエモニアの悲鳴を聞いて狼狽えたあかりも、クレシドラに囚われケルブレムの脅威に晒された時も、ずっとエティアは味方だった。
 はじめは、あかりの母親――太陽ひなたを失ったことを後悔して、二度同じ轍を踏まないように守ってくれているのだと思った。エティア曰くの『鍵』だから守っているのだと思った。
だけどそれだけが理由じゃない。
エティアはまるで母のように、あかり達を守り、育ててくれた。その無限にも等しい愛情に疑う余地はない。

「ああ……鍵っていうのは、そういうことだったんだ……」

 自身の両手を見て、あかりはようやくにして気づいた。
 タロット使いの母親を亡くしたこと、レグザリオ所属の研究者だった父親を亡くしたこと。そしてダエモニアの声が聞こえるタロット使いという不幸な自身の境遇が、今この時のために繋がっていたのだと。

 自身の内のダエモニアと向き合う。どうしたいか、どうなりたいか。ネガティブな感情を、前を向く力に変える。

「自分の運命が分かった?」
「うん。私はもう対消滅している。お母さんとお父さんの間に生まれた瞬間から、気づかないだけでずっと」

 あかりの背後に浮かぶ【太陽】のエレメンタルタロットが輝きを増した。煌々と輝くタロットはまさしく太陽のようだった。眩く、熱く、そして万物すべてを等しく照らす灯りとなって、アストラルクスを彼方まで照らした。

「私は、太陽あかり。【太陽】のアイオーン」

 閃光。エレメンタルタロットからあかりに流れ込むイメージが変わった。タロットの形状には変化はなくとも力の差は歴然だ。全身を活力が駆け抜けた。人間の霊体としての意志と、ダエモニアの負の感情が昇華されたためだ。ただひとつの目的、みんな(・・・)を救うために、世界の救世主となるために、あかりは立ち上がる。

「それが本当のあかりちゃん、か」
「うん」
「まったくさ、もっと早くからダエモニアと向き合っておけばいいのに」
「ごめん」
「まあ、いいよ。デュプリケートはもう居ないから」

 溜まった涙があふれないように、みなとは瞳を閉じた。下半身はすでに靄になっている。数秒もすればセフィロトの力で消滅するだろう。デュプリケートが消滅した今、新型ダエモニアが生まれ、彼女を再生してしまうこともない。

「……新型のあたし達は消えるけど、ダエモニアは消えない。あの子達を頼むよ、あかりちゃん」
「うん、うん……」

 微笑んで、最後の新型ダエモニア・鈴掛みなとは自らの悲願を成就させた。
 こぼれ落ちそうな涙を拭って、あかりは振り返ることなく走り出す。目標は空に向かって伸びる、救世計画の本体・巨樹セフィロト。

「絶対に、みんなを助ける!」

 アストラルクスの大地を蹴って、あかりは天高く飛び上がった。




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