幻影に舞う白銀

Web novel GENEI NO MESSIAH

最終章 幻影のメサイア/13

巨樹セフィロト。22のタロットと紐付いた万物の根源。楽園追放の舞台とも同一視される生命の樹。本来ならアイオーン空間に漂う概念でしかないセフィロトは現在、人類の魂をアストラルクスへ強制的に昇華させる上昇機関(エレベーター)と化していた。
人類の魂が昇るさまを楽しむように巨樹を眺めて、メーガンは肩を竦ませた。巨樹の幹に手を当てるエティアを見留めたからだ。

「セフィロトと一体化でもするおつもりですか。親譲りの無謀さですね」
「無謀でも構いません。私にできることはこれだけです」

瞬間、エティアの触れた場所から蛇のように這い出した枝が、全身を絡め取る。だが、エティアは毅然としていた。
それは覚悟の上。
エティアはあえて、セフィロトに自らの身体を捕食させたのだ。

「驚きましたよ。貴女の覚悟がそれほどのものだったとは」
「皆殺しが救世計画だというなら、私は命を持って止めなければなりません」
「親の責任は子が負わねばならないと? 実に下らない、親子関係の連帯責任に絆されるとは。親と貴女は別でしょうに」
「私が負うべき責任は、母親の尻ぬぐいではなく、子ども達の未来を守ることです」

憐憫にも似たメーガンの言葉が、セフィロトに頭部まで呑み込まれたエティアに投げられる。
生命の樹、セフィロトに呑み込まれるということ。それは連綿と紡がれる歴史の中で、死んでいった人々の魂の終着地――死に逝くことに他ならない。

「鍵――ミス【太陽】が来なければ無駄死にですがね」
救世主(メサイア)は来ませり」

賛美歌の一文だ。主は来ませり。
救世主の到来を予言するには、エティアの微笑みはあまりに頼りないものだった。
それでも、完全にセフィロトに呑み込まれるその瞬間まで、エティアの瞳は遠くの一点を見つめていた。その方向に救世主が見えるかのように。

「クク、ククク……ッ! ハハハハハハ……!!!」

メーガンは嗤った。この世の恍惚すべてを持ってしても味わえないほどの絶頂を、こらえ切れなかったのだ。すべてを欺くニヤついた仮面も、もう必要ない。悪魔じみた本性のままに、すべてを嘲笑する。

「素晴らしい! 人類は素晴らしく愚かだ! 己が命も惜しまず、たった一縷の望みにすがりつき他人を信用する! その結果に数々の絶望が待ち受けていると知っていようと、愚かしくも信じざるを得ない!!!」

荒げた呼吸を落ち着けて、メーガンは指を弾く。
彼女にとっては最後の仕上げだ。至上の愉悦を味わうために、レグザリオを、セフィロ・フィオーレを騙し抜き、すべてを企てたのだから。

メーガン・ブラックバーンズ。彼女の望みは、人類の愚かさを観測し続けること。
それは、無為なく散っていく70億の迷える羊達を眺めることばかりではない。
迷える羊達を救おうとする、素晴らしく愚かな救世主もだ。

「愉しませてもらいますよ、救世主。太陽あかり」

*  *  *

あかりは、遠方のセフィロトを視界に捉え、アストラルクスの大地を駆ける。心の底から足の遅さを呪った。セフィロトは少しずつ、その影響範囲を広げている。

「急がないと、余津浜の外まで広がっちゃう……!」

セフィロトを中心に、人々の魂が漂っていた。この光景が余津浜の外まで広がれば、人類はこの世から消えることになる。

――もっと早く、セフィロトに辿り着く。

風のように走る自身の姿をイメージする。エレメンタルとダエモニア、相反するふたつの要素が、今ではひとつの原動力だ。
だが、それでもセフィロトは遠い。走るだけでは、セフィロトが世界を覆う速度には敵わない。空でも飛べない限りは追いつけないだろう。
そう、空でも飛べない限りは。

「今、飛べたらって思ったんちゃう?」

空から声がする。あかりの頭上を、翼を広げたぎんかが飛んでいた。

「ぎんか!?」
「強制的に連れて来られたらこんな状況や。四の五の言ってられへんであかり!」
「分かってる!」
「いいや、何も分かってないから分からせたる!」

ぎんかはあかりを抱え、宙に舞い上がった。走るよりも速く、余津浜郊外の山中から紫色の空に飛び立つ。

「ちょっ!? 飛んでるよぎんか!?」
「なんや、アストラルクスやのにいつものヘナチョコあかりやな? クールな性格はどこいったんや?」

はた、とあかりは気づいた。テネブライモードであるはずなのに、今の意識は普段の自分だ。以前までのように、ダエモニアの意識があかりを塗り潰していない。むしろ、身体の中で溶け合って、共存しているようにさえ感じる。

「これがアイオーンになるってことなのかも……」
「ププ。エティアはんは鍵って言ってたのに、分からんことばっかりやな」
「だ、だって……! とにかく止めなきゃ、って思ったらいつの間にかこうなって――」
「アカン、襲撃や!」

一閃。眼下でなにかが光り、水晶の矢があかりの頬を掠めた。当たれば必殺の精密対空射だ。こんな芸当ができる者などひとりしか居ない。

「この矢、せいら!?」
「せや! 逆位置のアイオーンになった連中はメーガンに逆らえへん! うちも逃げ回るんが精いっぱいや!」

再びの対空射。矢が掠ったただけでも、周囲を取り巻く衝撃波で痛みが走る。

「常々敵に回しとうないと思ってたけど、ここまでやるとはな……!」
「ぎんか、降ろして!」
「はあ、何を言って――」
「せいらを説得してくるから!」

言うが早いか、あかりはぎんかの腕を振り解いた。落下しながら、眼下を――せいらの居場所を探る。せいらの水晶の弓は発射時にわずかに光る。つまり放たれた瞬間、どこに隠れていようと居場所が分かるのだ。
そして――

「見えた!」

三度の一閃。自由落下するあかりを捉えた矢が飛来する。物理法則すらねじ曲がるアストラルクスでは、矢を光速で放つことも可能だ。光った時には既に、あかりは身体を射貫かれることになる。
だからこそあかりもイメージする。光速で飛来する矢を刺突剣で無力化する。タロット使い同士の戦いは想像力のぶつかり合いだ。

「はあっ!!」

刺突。思惑通り、水晶の矢は刺突剣で砕け散った。同時に、せいらの居場所も割り出せた。あかりは落下速度を速め、まっすぐせいらの元へ。そして――

「せいらっ!」

着地と同時に、せいらの鼻先に剣を突きつけた。
せいらは狼狽える様子も見せず、あかりを睨み付けている。

「……救世計画を止めるんじゃなかったの、あかり」

どこかトゲのあるせいらの言葉に、あかりは小さく頷いた。

「そうだよ。そうだけど、こんな状態のせいらを放っておけない」
「じゃあ、あたしの敵だ」
「どうして?」
「……あたしは親友を奪ったダエモニアを許せない。救世計画でダエモニアが居なくなるなら、潰す理由はないから」

苦虫を噛み潰したようなせいらの表情がすべてを物語っていた。
――せいらは逆位置のアイオーンになってしまった。
あかりは、イメージを押し流すほどに強い、メーガンへの怒りを必死に制する。

「……初めて会った頃みたいだね。あの頃のせいらはすごく強くて、熱心で。人一倍頑張ってた」
「説得は無駄。あたしはダエモニアなんて居なくなればいいと思ってる。人間を苦しめるような連中は、一匹残らず」
「じゃあ、私も殺しちゃうの?」
「…………殺す」

あかりを吹き飛ばし距離を取ると、せいらは再び矢を構えた。

「せいら、聞いて」
「……なに」

せいらには届かないかもしれない。そんな思いがあかりの脳裏を過ぎった。同時に、「殺される前に殺せ」と叫ぶ自身の半身――ダエモニアの声も聞こえる。
憤りを抑えつけ、昇華して。あかりは口を開いた。

「……私ね、気づいたんだ。ダエモニアの元になるネガティブな気持ちも、上手く付き合えば前に進む力になるのかもって。せいらだってそうだったよね」

かつて。せいらはダエモニアへの復讐を誓い、ストイックな日々を送っていた。復讐は負の感情の塊。ダエモニアを育む忌むべき感情だが、せいらにとってはそれが力の源だった。

「…………」
「だから私は救世計画を止めるよ。ダエモニアが消えても、みんなが消えたら意味がないから」
「でも、ダエモニアは……」
「じゃあ、まずは私を殺してよ。せいら」

あかりは刺突剣を捨てた。矢で射られようものなら確実に死ぬ。無謀もいいところだ。
矢を番えたせいらは狙いを定める。弦から指を離せば、せいらの願いは叶うのだ。ダエモニアの居ない世界――救世計画が完成する。

「…………無理だよ。出来るわけない」

せいらの頬を涙が伝った。届いたのだ、せいらの心に。
メーガンの言いなりだろうと、彼女はあかりの友人の星河せいらだった。

「ごめんね、ツラいこと言って」
「…………」
「せいらは強いよ。だから、許せないって気持ちを力に変えられたんだよね」

せいらを抱きしめ、優しく頭を撫でる。泣き止むまでこうしていたかったが、事態は予断を許さない。

「時間はあらへんで! 行くんやろ、あかり!」

舞い降りたぎんかに頷いて、あかりは彼方のセフィロトを睨む。ぎんかの助けで時間は稼げたが、急がなければ世界は滅んでしまう。

「ごめん、せいら。もう行くね」
「……待って」

あかりの裾を掴んで、せいらが告げた。水晶の弓を出すように目を見開き、濃紺の粒子を手元に集中させていく。

「まだやる気か!? 今は時間がないんや、相手やったら後でナンボでもしたるから!」
「……違う。あかりを一気に、セフィロトまで飛ばす」
「へ? 飛ばすって……?」

せいらが出現させたのは水晶の弓ではなかった。西洋で用いられた投擲兵器、水晶の弩(おおゆみ)だ。あかり達3人を横に並べても足りないほどの巨大な弦の中央には、ご丁寧にも座席らしきものがついている。
猛烈に嫌な予感がした。

「人間くらいなら余裕で飛ばせる機械式弩。あかり、装置に座って。あたしも後で追いつく」
「え、いや、ちょっと待って!? これ安全性は大丈夫なの!?」
「四の五の言ってる場合ちゃうって!」
「じゃ、じゃあまずぎんかがやってよ!?」
「う、うちは自前で飛べるし~?」
「そんなのズルい――ちょっ、せいらちょっと待ッ……!」
「発射」

ぎんかとせいらに強引に押し切られ、あかりの身体は強烈な加速度に襲われ、宙を舞った。

「ひゃあああああああああああああッ!?」




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