「……やはり、来てしまったのですね。あかりさん」
宇宙空間のような漆黒の中、あかりを迎えたのはエティアだった。
「エティアさん、ここは……」
「セフィロトの内部。アイオーン空間です」
エティアは力なく微笑んだ。
周囲には、星々の瞬きにも似た色とりどりの光。それらが海中を泳ぐ魚群のように下から上へ、右から左へ。都度ルートを変えながら、遥か彼方へ向かっている。
光の正体は――
「……この光は、みんなの魂ですか?」
「そうです。全世界、70億人の魂。セフィロトによって対消滅した魂が、生もなければ死もない場所へ向かっています」
その場所が何かはあかりには分からない。ただ、このまま魂が向かっていい場所でないことだけはハッキリと分かった。
「セ……レナ……オ姉チャ…………」
ともに転送されてきたるなが悲しく吠えた。魂の群れ――70億の中からたったひとりの姉、せれなを探している。この場所に、彼女の魂が留まっているかは分からないにも関わらず。
せれな探しを手伝いたかったあかりだが、半身のダエモニアが眼前のエティアに意識を集中させる。「まずは世界を救うほうが先」。非情かもしれないが、それは送り出してくれたタロット使いたちの願いでもある。
「……エティアさんは何をしようとしているんですか?」
問いかけにエティアは瞑目した。そして静かに告げる。
「……母、アリエッティ・ビスコンティの罪を濯ぎ、理想の世界を叶えようとしています」
「理想の世界……」
後頭部を殴られたような衝撃だった。
タロット使いとしても、人間としても尊敬していたセフィロ・フィオーレの長は、世界中の人々を皆殺しにするような計画を理想の世界だと考えていたのだから無理もない。
その事実が、あかりの胸に突き刺さる。
「……軽蔑しますよね。だから、話すことはできなかったのです。見ようによっては、大虐殺でしかないから……」
「だったらどうして……!」
「……以前、お話したことを覚えていますか。アリエッティがディアボロスを作り出してしまったことと、その顛末」
あかりは小さく頷いた。
エティアの母、アリエッティはあらゆる災害を制御し世界に安寧をもたらすため、災厄を22枚のタロットに封印した。それがディアボロス・タロットだ。だが、ディアボロスは暴走し、うちの1枚がエティアの体内に入り込み、そのために長い眠りにつくことになってしまった。
「私が眠りから目覚めたのは、アリエッティが作ったエレメンタル・タロットのおかげ。つまりアリエッティは、ディアボロスを無毒化するため、エレメンタルを作ったのです」
「……覚えています。それが対消滅の真相ですよね……」
「ええ。セフィロ・フィオーレの最終的な目標は、対消滅によるディアボロスの無毒化です」
「なら、レグザリオは……」
「彼らは、ディアボロスを――人類を支配する手段を、失う訳にはいかなかった。だから、アリエッティの『救世計画』を読み違えたのです」
エティアは手のひらを広げた。群れから離れた魂がエティアの元をふらふらと漂い、螢が羽根を休めるかのように、ゆっくりと手に納まる。
「アリエッティは、人類が安寧な暮らしを続けることを祈っていました。生もなければ死もない場所へ向かうことができれば、災厄に呑まれることはない。怒りや妬み、悲しみ……他者との軋轢に心を痛めることもない、と」
エティアの手のひらに坐した魂が、強く輝き、消滅した。思わず身構えたあかりのために、エティアは「大丈夫」と呟き、話を続ける。
「……レグザリオは対消滅を嫌っていましたが、逆位置アイオーンの存在が明らかになった。彼らは逆位置アイオーンによる人類支配こそが、アリエッティの救世計画だと信じて疑わなかったのです」
「…………」
魂の魚群の中を、獣姿のるなが動き回っている。メーガンの卑怯な手で、るなは負の感情のただ中に叩き落とされてしまった。
「……今、あかりさんが目にしている光景こそが、本当の救世計画。レグザリオが主導していたものではない、アリエッティ自身が1500年前に構想した夢です」
「これが……こんなものが……。アリエッティの考えた世界の救い方だって言うんですか……?」
抑えきれない怒りがあかりから漏れ出ていた。俯いたまま質問に答えないエティアに、あかりはとうとうこらえ切れなくなる。
「生きている人をみんな殺して……何が救いだって言うんですか!? みんなの日常を奪うことが救いだなんて、絶対に間違っています!」
「……そうですね」
エティアはただ一言告げて、古ぼけた手帳を取り出す。エティアが対消滅する際、最後まで持っていた手帳と同じものだ。
「……あかりさん。私たちタロット使いは、呪われた存在なんです」
エティアの声は小さく震えていた。あかりと対称的なエティアの姿は、どこか許しを請うているような悲哀を放っている。
「ダエモニアが人々を喰らうのは、ディアボロスが存在するから。それは、生みの親であるアリエッティの罪です。その罪の償いを……ディアボロスを滅ぼすという贖罪を私は……無関係な皆さんに強いてきた……」
セフィロ・フィオーレの長であるエティアは、1500年もの長きに渡り、タロット使い達を監督する立場にあった。時には新たなタロット使いを探しに、またある時は亡くなったタロット使いを悼み、送り出す。
「……私は、アリエッティ以上に罪深い存在です。自身が負うべき母の罪を他の無関係な皆さんになすりつけてきた……。だからこそ私は、終わらさなければならなかったんです」
エティアの背後で、【世界】のタロットが妖しく輝いた。途端、魂の潮流が大きく揺らめく。このアイオーン空間そのものがねじ曲がり、形を変えているようだった。
「……ディアボロスタロットをこの世から消し去って、アリエッティの夢を叶えたい。誰も苦しまず、悲しまない世界に人々を連れて行きたい。それが、私の贖罪です……」
エティアが何を考えていたのか、あかりには分かった。あかりと出会う以前の――それこそ1500年もの長きに渡って、エティアが何に心を痛めていたのかもようやく理解できた。
「……どうして、私に説明してくれたんですか?」
「……太陽ひなたの娘だからです」
「お母さんは……この計画を知っていたんですか?」
エティアは首を横に振り、「ですが」と続ける。
「ひなたは、私が負う罪の重さに気づいて、最後まで肩代わりしようとしてくれた。高取肇も、タロット使いの負担を減らそうと必死で研究してくれた。あなたの両親の献身的な姿が……私にとっては嬉しくて……申し訳なくて……」
エティアの頬を一筋の涙が伝った。
「……そんなふたりを見殺しにしてしまったんです。自らの無力さのあまりレグザリオに楯突くこともできず……私を助けようとしたふたりの命を……無駄に散らせてしまった……」
「…………」
「……だから、もう……弱いままではいられません。タロット使いも、ふたりの娘であるあかりさんも守って……負ったすべての罪を濯いで……世界を――」
エティアの【世界】が再び妖しく輝いた。魂の群れを急いで追いやろうと膨脹収縮を規則的に繰り返す空間の中で、あかりは静かに息を吐く。
「……エティアさんの責任じゃないです」
「いいえ、これは私の」
言いかけたエティアの鼻先に移動し、あかりは力強く告げた。
「世界を救う方法が分かりました。エティアさんを救えばよかったんですね」
「私を……救う……?」
「ずっと分からなかったんです、世界の救いかた。セフィロトを伐ればいいのかな? なんて思ってたんですけどそんな単純な話じゃなさそうで……セフィロトは堅くて、さっぱり伐れなかったですし」
あかりは、自身の判断を信じることにした。
迷いはなかった。半身を司るダエモニアも否定はしなかった。すべての感情があかりの手のひらに集まる。燃える深紅の粒子が普段通りの刺突剣を創り出す。
あかりの行動を見越して、エティアは弱々しく笑った。
「……最期まで手間をかけさせてしまいましたね。それがあかりさんの決断だというなら、私を殺して……救ってください。そうすれば、セフィロトは瓦解するはずです」
「そんなことしません。私……殺して救うなんて間違ってると思いますから」
予想外の返答にエティアの瞳が見開かれた。だが、真意を尋ねる間もなく、あかりの刺突剣が風を切る。
一瞬の出来事だった。
「あか、り……さん……?」
刺突剣はエティアを傷つけることはなかった。
その切っ先は、エティアの背後に浮かぶもの――【世界】のアイオーンタロットそのものに深く、突き刺さっていた。